我らの神よ
「――どうだ、女神よ。神の名を騙る卑しき女よ――」
「……」
「――お前を信じた人間どもが、どれだけ死んだ?―――」
「……」
「――救えたはずだろう、お前が本物の女神だというのならな――」
私は『女神』を捕らえ、砦に連れ帰った。何度殺そうとしても、殺せなかったからだ。
この女は、本当に死ななかった。いくら引き裂いても、いくら焼き尽くしても。だから、この女は自らを『永遠の女神』などと称したのだ。
死なぬことが、それほど尊いか? その身に与えられた力の意味すら知らず、神を騙る。最早、貴様にとっては呪いでしかないというのに。
女は、魔力によって宙に磔にされたまま、私を睨みつけていた。
「――貴様は神ではない。永遠に人間どもの罪を償い、永遠に我ら魔族の苦しみを背負う。そのためだけに生まれてきた、憐れな女だ――」
「⋯⋯憐れなのはあなたです、魔王」
女が口を開いた。
「あなたは報いを受けます。多くの命を奪った、その罪を償うときが、まもなく来るのです」
「――黙れ――」
杖を振る。
無数の氷の矢が女の身体を貫いた。血が矢を伝い、こぼれ落ちる前に凍りつく。やがて、矢は押し出され、傷が塞がってゆく。
「――報い、と言ったな。なら、この結果はどうだ。これこそ、貴様たちの受けた報いではないのか――」
少し前まで、我々と人間どもの戦力は拮抗していた。互いに領土を奪い、奪われ、幾度となく刃を交えながらも、どちらも決定的な一歩を踏み出せずにいた。
それが、いつからだったか。奴らは、この女を神と担ぎ上げた。
“神は我らと共にある”
そう叫ぶ声が戦場に満ちるたび、人間どもの勢いは増していった。
我々は押し戻された。ひとつ、またひとつと守ってきた土地を奪われ、同胞を失い、ついには故郷である辺境の地まで追い詰められた。
⋯⋯まただ。また、我々は失うのか。あの憎むべき人間どもによって。あの女のせいで。
だから私は、使ったのだ。
〈究極魔法〉。
我らが同胞が、命を懸けて探し出した最後の切り札。
神が我らに与え給うたその力は、燃え盛る岩の雨を降らせた。空を覆う災厄の渦は、夜を越えることなく、人間どもの世界を終わらせた。
……多くの同胞たちを、贄として。
今や、この砦に残るのは私だけ。
「……私は、すべての魔王を知っています。その中でも、あなたは最も愚かで、最も憐れです」
「――黙れ――」
私の指先から電撃が迸った。
女の身体が、大きく跳ねる。目を見開き、口から声にならぬ息が漏れる。白い煙が立ち上り、身体中に雷のような亀裂が広がってゆく。
だが、それも瞬く間に消えた。焼けた肉が戻り、裂けた皮膚が繋がる。やがて、何事もなかったかのように私を見た。
「⋯⋯魔族のためという大義名分を掲げ、多くの命を奪い、多くの仲間を死に追いやった。魔族を統べる王としての資格もありません」
「――……黙れ――」
風の刃が走った。
女の身体が、二つに分かれる。上半身から内臓が垂れ下がり、下半身は力なく地面へ落ちた。
貴様は、何を考えているのだ? 私を挑発したところで、何の意味がある。ただ一方的に、私の魔法を浴びるだけだというのに。
地面に落ちた半身は灰となって崩れ、消えていった。代わりに、磔にされた身体から新たな肉体が形作られていく。
「……あなたの嫌う先代魔王。彼は素晴らしい方でした。憎しみを乗り越え、人間と魔族を繋ごうとした」
⋯⋯黙れ。黙れ、黙れ。
「あなたとは、大違いです」
「――黙れ!――」
炎が、女の足元から吹き上がる。
私は知っている。最初にこの女を焼き尽くしたとき、炎の中で一度だけ涙を流した。この女にとっては、これが一番苦しい。
数秒のうちに足の肉が焼け落ち、露出した骨が黒く変色していく。女の顔が苦痛に歪む。
……苦しいだろう。苦しいと言え。苦しいと言え!
「――貴様が『永遠』を名乗るのならば、永遠に罪を償わせるまで――」
炎が消え、女の身体が元の姿に戻っていく。私は息を荒げながら杖を握りしめる。
「――貴様が人間の希望だと言うならば、お前の心を壊すまで!――」
「……やれるものなら、やってみなさい」
女は、静かに笑った。
「必ず、勇者が来ます」
「勇者だと?」
「ええ」
勇者。聖剣に選ばれし、勇敢なる者。
……笑わせる。今まで何人もの勇者が、我々に恐れをなして姿を隠した。
そして、忌々《いまいま》しき聖剣よ。誰がその名を与えた? それを持つ者こそ正義であり、我々こそ邪悪であるとでも言いたいのか。
「――来るわけがない――」
「いいえ、勇者は来ます。あなたを倒しに⋯⋯必ず」
この女は折れない。その瞳には、なお希望が宿っていた。
なぜ、そこまで信じられる。
⋯⋯ふと考えた。
もし、この女が本当に人間どもの神なのだとしたら。
神よ。なぜ、あなたは我々魔族の前には姿をお現しにならないのですか。
視線を女へ戻す。女は、静かに私を見ていた。
「――何だ、その目は⋯⋯!――」
私が再び魔力を練った、そのとき。
何かが崩れる音が響いた。
私が振り返ると、閉ざされていた扉が、ゆっくりと開いていく。土煙が、薄く流れ込んできた。
その向こうに、一人の男が立っていた。
手には、白銀に煌めく剣。
「――勇者――」
男は、磔にされた女に視線を向けた。
その顔が、険しくなる。
「――動くな――」
私は杖を女神へ向ける。
「――お前たちの大切な女神が、苦しむのを見たくはなかろう――」
「勇者、聞きなさい」
女が口を開く⋯⋯何を言うつもりだ。
「私は、永遠の女神。私の前に、すべての痛みや苦しみは意味を成しません。だから……」
戯言を――
「思い切り、戦いなさい」
女は、勇者に向かって笑いかけた。
しばしの沈黙のあと、勇者が私を見据えた。その瞳に迷いはなかった。構えた剣に、光が反射する。
勇者。魔王を討ち、世界に平和をもたらす者。その世界に、我々魔族は含まれていない。
ならば、私は何者なのだ。魔族を導く者。始祖様の悲願を受け継ぎ、その未来を守る者。
私は魔王。この身に流れる血も、この手に刻まれた罪も、すべては魔族のためにある。私は、ここで退くわけにはいかない。
神よ……そして、始祖様。どうか、私に力をお与えください。勇者を葬り、人間どもの女神を滅ぼす力を!
「――来い、勇者――」




