6話 元婚約者アーネスト王太子視点
アイマー王国の王太子である私の婚約者は、大陸一美しいと言われる令嬢だった。
幼いながらも彼女の笑顔はとても可愛らしく、所作も美しい彼女は誰をも魅了した。
笑わないで欲しいと思う時も度々あり、イザベルにそう伝えた事もあった⋯⋯。
10歳で婚約者候補として初顔合わた時。
イザベルの笑顔を見て私は一目惚れし、母上にお願いして候補ではなく正式な婚約者となってもらった。
イザベルは博識で努力家だった。
私も負けてはいられないと、勉学に励んだが苦手な他国の言葉に躓き落ち込む事もあった。
「アーネス殿下。私も実は刺繍が苦手なのです。淑女としてまだまだです。一緒に苦手な事を克服していきましょう」
手を握り、落ち込む私を励ましてくれた。
外交の際も気が付かれないように、イザベルが通訳をしながら話を交わしてくれた。
イザベルが長年支えてくれた事は事実。
お茶会や夜会にイザベルをエスコートする事は、自慢でもあり不安でもあった。
イザベルが笑みを浮かべるだけで、令息達の視線を集めた。
イザベルに寄せられる多くの秋波に、気持ちがざらついた。
(他の令息に笑顔を向けるな!)
心の中の叫びは、いつしかイザベル本人へと告げていた。
「そんなに笑顔を振りまいて令息達の気を引きたいのか?」と……。
イザベルはいつも困った顔をし、笑顔を抑え始めた。
これでイザベルの笑顔は自分だけのものになる。
そう思い、安堵していた。
だが、私の言葉で一切笑わなくなるなんて思いもしない。
私以外に微笑みかけないで欲しかっただけであり、笑顔を捨てろとは言っていないのだ。
彼女の意思で笑わないのかは解らないが、微笑みすら浮かべない。
そんな婚約者を少しずつ疎ましく感じるようになった……。
学園に入る前の交流会でオリビア嬢と知り合った。
オリビア嬢は笑みを浮かべ挨拶をしてくれた。
彼女の笑顔は昔のイザベルのようにとても可愛らしかった。
笑顔でいつも私の話を聞き、楽しませてくれる彼女に直ぐに好意を持った。
学園で恋人として過ごす甘い日々に憧れがあったのは事実。
王族として過ごす日々の中で、恋人同士で過ごすオリビア嬢との時間は心を満たしてくれた。
だが、私には婚約者がいる。
オリビア嬢と密かに仲を深めても、イザベルを忘れる事は一度も無かった。
昔のイザベルを知る私は、簡単にはイザベルへの想いを消せずにいた。
私は笑わなくなってしまったイザベルをずっと好きだったのだ。
何か理由があるのだろうと思いつつも、オリビア嬢への好意も消せずにいた⋯⋯。
学園に入り、イザベルともう一度だけ婚約者として過ごしてみようと考えていた。
なのに蓋を開ければイザベルは学園に通っていない。
公爵家に聞いても、知らないとの返答が来た。
母上にイザベルの事を聞いても、側近に尋ねても何も教えては貰えなかった。
イザベルと連絡手段が無い事に今更ながら気が付いたが、この先どうするのか考える事すら億劫になっていた。
王太子の権限を使えばイザベルの様子を状況も知る事は出来た。
だが、イザベルの事を考えるのは止めにした。いずれは婚姻するのだからと。
暫くイザベルの事を放置していると、周囲からもイザベルとの婚約を解消し、新たにオリビア嬢を婚約者に据えれば⋯⋯。
そんな話も出て来た。
オリビア嬢も私との婚約を望んでくれている。
私は次の夜会で、ある決意をする。
イザベルが夜会に共に行ってくれるならば、婚約を続ける。
断るのならば婚約を解消する。
と、自身の中で賭けたのだ。
イザベルに夜会の招待状を送ると、断りの返事がきた。
返事を読み返し、イザベルとの婚約の解消を決意した。
父上と母上からも了承を得た。公爵家にも事前に伝えイザベルを無理矢理夜会に行かせるように言付けていた。
そしてあの夜会に呼び出したイザベルに、婚約破棄を告げた。
「はぁー……」
イザベルと婚約破棄をしてから、何もかもが上手く行かない⋯⋯。
オリビアとの仲も少し冷えて来て、最近は会えていない⋯⋯。
執務が多過ぎて、学園には午後からしか通えないからだ。
会いたい、寂しいと言われても執務が終わらなければ学園に向かえない。
しかも最近は執務の量が増える一方で、学園から帰ってからも執務をしている。
王太子の仕事だと言われれば、やるしかなかった。
だが、オリビアとの仲が冷える程の執務の量に限界が来た。
「こんな量を熟していては、学園に通えないだろうっ!!」
書類を持って来ていた宰相に抗議をした。
「そうですよ。ですからイザベル様は学園に通う事すら出来なかったのですよ?
殿下がオリビア嬢と遊び呆けている時間があったのも、全てイザベル様が殿下の執務を熟されていたからです。今更何を仰るのか⋯⋯」
宰相は呆れ顔で私に説明をするが、そんな話を聞いた事のない私は信じられないでいた。
「イザベルは自分が学園に行きたくないから行かなかったのであろう?私がイザベルではない女性といるのを見るのが辛くて、学園に通っていないと⋯⋯。そう聞いているが?」
私は宰相に、そう問いかけた。
私の言葉を聞き、宰相は大きなため息を吐いた。
「イザベル様が殿下とオリビア嬢との関係に、嫉妬していたとでも言いたいのですか?
それこそ、あり得ませんよ。イザベル様はただ、婚約者としての役目を果たしていたに過ぎませんから。それに、殿下は学園に通いオリビア嬢と過ごす間の執務は、一切されていない事に気が付いていないのですか?」
私は宰相からの答えに、ショックで呆然となった。
椅子にドサリと座り、頭を抱えた。
(イザベルは学園に来なかったのてはなく、来れなかったと?私との婚約が役目でしかないと。ずっとそう思っていたのか⋯⋯?
それに、私の執務を全てやっていたと。私がオリビアと過ごす時間を作っていたのはイザベルなのか?)
「婚約者がいながら他所に目を向け、自分を蔑ろにする相手を好きになるとでも?
笑わないからと、何も事情も聞かず支えもせず自分の欲望を満たすだけの相手に、好意などある訳ないでしょう?アーネス兄上」
そう言い放ったのは、異母弟のキースリルだ。
一つ下のキースリルが執務室の扉にもたれ掛かり、そう言い放った。
「イザベル様がどれだけこの部屋で仕事をしていたか、私は知っています。勿論、宰相達もね。兄上達が遊び呆けている間、一人この部屋で執務をするイザベル様を助けていたのですから。
今の兄上の仕事は、イザベル様がしていた仕事の半分もありませんよ?
王太子の仕事に加え、王妃様の仕事をイザベル様は熟していたのですからね」
アーネスはキースリルのある言葉に疑問を感じた。
「なぜ母上が出てくるのだ?王妃の執務は母上の役割であろう?」
キースリルは溜め息を吐きながら、私の前までやって来た。
「可愛い息子に新たな恋人が出来た。
可愛い息子とその令嬢が一緒にいる為には、イザベル様が邪魔になる。
ならば、仕事を与え学園に通わせなければ良い。イザベル様の自由な時間を奪い兄上と過ごす時間を一切与えなければ良い。
そう両陛下は考え、イザベル様をこの執務室に縛り付けた。王妃様に愛されてますねー?兄上?!」
嫌味満載で伝えられ、カッとなるが宰相の次の言葉に青褪める。
「キースリル殿下と私達大臣達がアーネス殿下に何も伝えなかったのは、イザベル様とアーネス殿下との婚約の解消を私達が待ち望んでいたからですよ?
自身の役目の為だと、冷遇されながらも殿下に尽くし国に尽くす令嬢を見て、幸せになって貰いたい。
そう願う事は罪ではありません。そう思わせる殿下達に問題があるのです」
(私を思って何も言わなかったのではなく、イザベルを思って何も言わなかったのだと⋯⋯。それに冷遇されていたとは………)
「冷遇までした覚えは無いが⋯⋯」
私がポツリと呟く。
「そこからですか?兄上がオリビア嬢と浮気を始めた辺りから、社交界ではイザベル嬢に直接侮辱の言葉が投げかけられていましたよ。
それに、公爵家は早々にイザベル様を切り捨てていました。兄上の婚約者だからこそ、公爵家にいられたのです。
婚約破棄をしたあの夜会の時には、イザベル様は既に公爵家から籍を外されていましたからね」
キースリルの話を聞き、
「嘘だ⋯⋯」
(イザベルが⋯⋯。そんな状況だったなんて。誰からも聞いていない……)
「イザベル様を養女にしたい大臣達は沢山いましたから、公爵家から籍を抜かれても別に良かったのです。イザベル様に瑕疵をつける事を避け私達が助ける予定でしたから。ですが、イザベル様は既に別の幸せを見付けられたので私達はただ見守る事にしました」
宰相の話を聞いても、何も言い返せなかった。
周りがお膳立てしたとは言え、イザベルとの婚約破棄を決断したのは私自身。
全て自業自得であると理解した。
私がイザベルときちんと向き合い話をしていれば、何かが今とは違ったのだろうか。
笑わないだけで、彼女は完璧な婚約者だったのだ。
イザベルがいなくなってからは、オリビアの出来の悪さが次々と露呈していく。
イザベルという婚約者がいたから、私に好かれたく可愛らしい令嬢の演技をしていたようだ⋯⋯。
最近のオリビアは、イザベルには無かった散財や我が儘が酷くなる一方だったのだ。
私と会えないから寂しいからと、宝飾品を贈らされたりもした。
認めたくなかった。
オリビアがイザベルより劣る事を。そんな女性を選んだ事を、認めたくなかった。
宰相とキースリルの話を聞いて、自分の愚かさに気が付いても何もかも手遅れなのだと。
オリビアは、イザベルを破棄という形で捨ててまで手にした令嬢なのだ。
再び婚約解消など出来るはずもない⋯⋯。
イザベルとの婚約時代を思い出せば思い出す程に、イザベルがどれだけ婚約者として、未来の王太子妃として相応しかったのかが解る。
オリビアでは王太子妃になどなれる筈がない。そう痛感する。
今、この時に気が付いたとて、全て手遅れなのだが⋯⋯。
イザベルの事、自身の事を考えている間に執務室からは人がいなくなっていた。
(私はこれからどうなるのか⋯⋯)
先の見えない不安を抱え、残された執務を熟すしかなかった⋯⋯。




