第三話
井端朝日は酷く愛おしいものに触れるように、私の頬に両手を添えて、ベンチに座る私の背中から見下ろしていた。
「百合花、高校生の頃はこんな感じだったっけ」
天乃百合花、私の名前だった。
「ねぇ百合花、ここでは星、見えた?」
酷く優しい声で問いかけてくる
「あさ、ひ?」
また、酷く嗄れた声だ。
「なぁに?」
酷く甘い声が返ってくる。
「なんで?」
たどたどしい言葉しか出てこない。
「なんで生きてるかって?それとも、なんで大人になってるか?説明するとややこしいからさ、とりあえず、私は井端朝日だよ。百合花の親友で、きっとこっちではもう死んじゃってる井端朝日。」
その言葉は酷く自然と胸に入ってきて、私は今何が起きているかを理解しようとして、何か言葉を紡ごうとしていて、もしくは今すぐ立ち上がって朝日に抱きつこうとしてい、そのどれもが出来ずにいた。
「あさひ、あさひなんだ。」
それでも、未だ頭上にある顔に手を伸ばして、その頬にある熱に触れて、酷い安堵感に襲われて涙が溢れ出して来た。
久しぶりに見た朝日は酷く大人びていて、スーツを来ていて、髪が少し長くなっていて、身長だってあの頃よりずっと伸びていた。
なのに、朝日は朝日だった。
そういえば、朝日の顔を思い出せなくなっていた。
辛くなるからと言い訳をして写真を見ないようにしていた。
葬式の遺影も、葬式自体の記憶が曖昧なのだから意味が無い。
声だって忘れていた。
人間が最初に忘れるのは声だとか、そんなことは関係なく、ただ忘れていたのだ。
その瞳を忘れていた。
あまりにも夕日を綺麗に映すその瞳を忘れていた。
身長だって、あの頃から朝日の方が高かったのに、今の自分よりは低かったなと思い出してしまった。
その全てがふと急に蘇ってきて、どうにかそれを嚥下しようとしてまた涙が溢れてきた。
ああ、ようやく今になって、井端朝日が死んでいることに気づいてしまった。
あの日、あの炎を見てから止まってしまった時間が、動き出してしまった。
あの切れ長の眦も、海のように夕日を反射する瞳も、鈴の音のような声も、もうこの世には無いと、いままでの空虚さを埋めるようにその実感が流れ込んでくる。
ついには私は朝日の手を離れて、ただ俯いて涙を流し続けていた。
朝日は私の目の前まで回ってきて、ただ黙って隣に座って、私を抱き寄せた。
「ごめんね、ごめんね、ごめんなさい」
意味もない謝罪が口をついていた。
本当のことを言えば、あの日朝日を救えたのは自分だけだったのではないかという後悔があった。
無知ゆえの蒙昧なのかも知れないが、それでもずっと後悔していた。
あの笑顔の裏には、何かが隠されていたんじゃないかと気になって仕方なかった。
後悔は口を出れば止まらなくて、私はただ謝罪をずっと繰り返していた。
朝日はいずれ私を強く抱きしめるようになって、それでもずっと何も言わずに、ただ私の謝罪を聞いていた。
「それで」
あれから少しの時間が経って一先ず泣き止んで、まずは居住まいを正してから問いかけることにした。
「それで?」
朝日が柔らかく微笑んでいる。綺麗になった、とただそう思った。
「私の知ってる井端朝日は....
「死んでるよ、きっと死んでる」
被せるように朝日が言ってきた。
「私はあなたが知ってる朝日じゃないんだ。同時に、あなたも私が知ってる百合花じゃない。」
なんだか、酷くありえない話が始まろうとしているのだと頭が理解を初めて、視線を上に動かせば不自然に動きを止めた隕石があるのだから、どうでもよくなってしまった。
「パラレルワールドとかマルチバースとか、私はよく分からないんだけどさ、きっとそうゆうやつなんだ。」
何を言っているのか、理解が出来なくはなかった。
「改めて自己紹介、私は井端朝日28歳、百合花とは....親友だったんだ。それで、こっちの百合花は私が24の時に事故で死んじゃって、私もいろいろあって28歳で死んじゃったの。」
「それでさ、死んじゃう瞬間になんか、神様みたいなやつの声が聞こえてさ、ほんとに偶然の気まぐれで、私はその神様に選ばれたみたいなの。」
昔見た、酷く滑稽なショートフィルムを思い出す内容だった。
それが実際に28歳になった友人の口から語られるのだから、酷く不思議な感覚だった
「私は割と後悔のない人生を歩んでたからさ、なんか願いを叶えてやるぞーって言われて、じゃあ百合花に会いたいですって言ったら、ここに連れてこられたんだ。」
「ねぇ百合花、今から急に驚くようなこと言うんだけどさ。」
今更か、
「この世界は、あと1週間で滅びちゃうんだって。」
予想してたよりもずっと重たい言葉が飛び出してきて、思わず目を見開いた。
「あの空のでっかい隕石、もうすぐ落ちちゃうんだって」
「今日ってクリスマスイブだよね?だから、この世界の人は新年を迎えられない。」
朝日はどんどんと言葉を続けていく。
「それでさ、井端朝日が死んでて、どうせ1週間しか残らない世界だからって、私は百合花に会いに来れたんだ。」
何もかもを当たり前のように語る朝日のことがわからなくなって、人間は1度死んだらこうなるのかと、場違いな思考すら生まれていた。
「ねぇ百合花、その1週間のうち、1日だけ私に来れないかな?」
急な問に、思考が引きずり戻されるのを感じた。
「実はさ、私の世界では百合花とは、大学を卒業する時くらいに喧嘩別れしちゃってさ、だから話したいこととかやりたいこととか、いっぱいあるんだ。」
朝日と自分が喧嘩別れをすると聞いて、酷く驚いた。
「だからさ、最後の日は家族と過ごしたい?百合花は1人で色んなところ行くの好きだったよね?やりたいこととか、話したいこととか、きっと時間はまったく足りないと思うんだ。」
まるで一世一代の告白かのように張り詰めた顔で、朝日は言葉を紡いでいく。
「その百合花の貴重な1日を、私にくれないかな?」
思わず遠慮がちになりました。そんな口調で、頭を下げて、朝日が私に問いかけた。
返す言葉に迷って上を見ると、空にはあの隕石がゴウゴウと燃えていた。
あの日、朝日を焼いた炎と同じだ。
私の為に朝日はもう一度あの炎に焼かれなければ行けなくなってしまったんだと、今更になって気づいた。
返事は決まっていた。
「ずっと....」
「ん?」
あまりにも私の声が小さかったのだろうか、朝日が静かに聞き返してきた。
「ずっと、一緒にいよう。」
朝日は目を見開いて、しばらく固まって動かないようだった。
もしまた、朝日があの炎に焼かれなければいけないのなら、次は一緒なら悪くないと、そう思えてしまった。




