第63話:世界樹の共鳴と、実りの不備
影の王ノクスからもたらされた「影の物流門」の開通により、聖域を起点とした世界の動線は、事務的な極致へと達していた。
王都、エルフの里、ドワーフの工房。これまで数週間、あるいは数ヶ月を要していた物資の移動が、今や影を潜り抜ける一瞬で完結する。セナは事務机の上で、絶え間なく更新される世界各地の在庫状況を、満足げに眺めていた。
「……不備、なし。……王都の飢えは解消され、エルフの里の資材不足も埋まったわ。……納期ゼロ、在庫の完全循環。これこそが事務職の夢見た理想郷ね」
セナが羽ペンを置くと、窓の外からはレイとハルの元気な声が聞こえてくる。
広場では、グーが地均しを終えたばかりの地面でルナと追いかけっこをし、エルフの若者たちやコボルトたちが、種族の垣根を越えて協力しながら新商品のパッキングに励んでいた。
かつての戦乱や、人造魔獣の恐怖。それらはすべて、セナの引いた「完璧な管理」によって、過去の遺物へと追いやられていた。
だが、そのあまりに完璧な調和が、世界の深淵に眠っていた「古い掟」を呼び覚ましてしまった。
突如として、聖域の上空が不自然な幾何学模様の光に覆われた。
それは雲でも魔法でもない。空そのものが巨大な液晶画面になったかのような、無機質で冷徹な、光り輝く魔法陣の羅列だった。
「……な、……何ですか、あれは? ……セナ殿、聖域の魔力濃度が、計測不能な領域まで跳ね上がっています!」
メルディが、真っ青な顔で拠点から飛び出してきた。
セナは事務用の眼鏡を光らせ、空に浮かぶその巨大な「警告灯」を仰ぎ見た。彼女の鑑定スキルが、これまでにない機械的なログを脳内に直接叩き込んでくる。
『警告:領域「聖域」の安定指数が閾値を突破。……不確実性の消失を確認。……世界の停滞を招くバグ(異常値)と断定。……全システム・リセット(強制消去)シーケンスを開始します』
「……リセット? ……事務的に言わせてもらえば、契約の一方的破棄じゃない。……冗談じゃないわよ、誰が私の作った在庫(家族)を消すって言うの?」
セナの怒りに呼応するように、空の魔法陣から、一点の歪みもない「消去の光」が放たれた。
ドォォォォォン!!
聖域を護っていたハルの加護や、メルディの結界が、紙細工のように焼き切られていく。地響きが轟き、コボルトたちが悲鳴を上げて逃げ惑った。
「……ママ! ……空が怒ってる! ……僕たちの家が、消えちゃうよ!」
レイがレガリア・セナを握りしめ、セナの元へ駆け寄ってきた。
ハルも、少年の姿のまま、空の巨大な圧迫感に震えながらも、セナを守るように前に出る。
「……ママ。……あいつ、……嫌な匂い。……ハルたちのこと、……ゴミみたいに言ってる」
アルウェンや先行隊のエルフたちが弓を引くが、その矢は空に届く前に「存在を否定」されるように消滅していった。
それは、この世界を作った神が、あまりに完璧になりすぎた場所を「世界の調和を壊す毒」として排除するために設置した、古の管理システムだった。
「……古の管理システム、ね。……上等だわ。……同じ管理の専門職として、どちらの『処理』が上か、はっきりさせてあげようじゃない」
セナは、崩れかけた事務机を片手で支え、羽ペンを真っ向から空へと突きつけた。
彼女の目には、もはや恐怖はなかった。あるのは、自分が慈しみ、育て上げてきた「生活という名の在庫」を奪おうとする理不尽なシステムへの、猛烈な拒絶だった。
「メルディさん、ロレッタさん、アルウェンさん! ……非戦闘員を影の物流門の最奥へ! ……そこはノクスさんの領域よ、システムの干渉を受けにくいわ!」
「……セナ殿、まさか戦うつもりですか!? ……相手は、この世界の理そのものですよ!」
「……理不尽なルールは、是正されるべき『不備』よ。……マニュアルを書き換えるのは、私の得意分野だわ!」
セナは、レイと三頭の魔獣を呼び寄せた。
「レイくん。……あなたのレガリア・セナは、三頭の力を一つに束ねるための『指揮杖』よ。……ハルくんの火でシステムの殻を焼き、グーくんの地で大地の接続を断ち、ルナちゃんの影で本体にハッキングする……。……一分の狂いもない、同時波状攻撃を敢行するわよ!」
「……わかった、ママ! ……僕、やってみる! ……ママの教えた通りに、絶対、不備は出さないよ!」
レイの杖が、黄金、紅蓮、漆黒、琥珀の四色に輝き、天の魔法陣と共鳴し始めた。
世界そのものが聖域を消そうとするならば、聖域は世界を上書きしてでも生き残る。
セナは、震える手で管理日誌を開き、最後から二番目の案件を力強く刻んだ。
『第六十三案件:世界管理システムの暴走に対する最終是正措置。
特記事項:神様の作った古い管理基準が、私の家族を『バグ』と呼び、強制消去を試行中。
……上等よ。……アップデートを忘れた古いシステムは、現場の怒りで物理的にクラッシュ(粉砕)してあげる。
……レイくん、ハルくん、グーくん、ルナちゃん。
……あなたたちは、不備なんかじゃない。……この世界で一番、完璧で、愛おしい『成果』よ。
……在庫:不屈の事務官魂、および最強の家族。
……いよいよ、大掃除(最終決戦)の最終工程ね。……一秒の遅滞もなく、完了してみせるわ。』
空からの光が、聖域の拠点を完全に飲み込もうとした瞬間。
レイが放ったレガリア・セナの閃光が、世界を縛る幾何学模様に、一本の、決定的な「亀裂」を刻み込んだ。
お母さんが綴る管理日誌は、世界の理さえも是正の対象として飲み込み、真の結末へと、その頁をめくった。




