第43話:お母さんの「高効率魔力フード」と、静かなる包囲
朝、セナが事務机の引き出しから取り出したのは、聖域の魔力残量を記録した水晶の計器だった。
一晩。たった一晩で、拠点の結界を維持するための予備魔石の目盛りが、全体の三割も減少している。
「……事務的に言わせてもらえば、これは破産寸前の大不備よ! 一点の曇りもない赤字だわ!」
セナの悲鳴に近い叫びが、まだ静かなリビングに響き渡った。
原因は明確だった。昨日、レイの影の中に新しく加わった家族、フェンリルの幼体ルナだ。彼女はその神話級のポテンシャルゆえに、存在しているだけで周囲の魔力を無意識に「喰らって」しまう。いわば、生きる魔力吸収装置だった。
「……ママ。……ルナ、お腹、ぺこぺこだって。……影の中で、キュウキュウ鳴いてる」
レイが、少し青ざめた顔で自分の影を見つめながら言った。レイ自身の魔力も、ルナに分け与える端から吸い取られ、彼の体力も限界に近い。
ハルも隣で「……ママ。……ルナ、食べすぎ。……僕の火、少し分けてあげようか?」と、心配そうに自分の指先に小さな火を灯している。
「だめよ、ハルくん。純粋な魔力をそのまま食べさせたら、ルナちゃんの体が持たないわ。……器に見合った『変換された魔力』じゃないと、彼女はいつまでも満たされないのよ」
セナは、管理官としての鋭い思考をフル回転させた。
このまま魔石をただ消費し続けるのは、物流の無駄であり、経営の破綻を意味する。必要なのは、少量の魔力で最大の満腹感を得られる、高効率な代替エネルギーの構築。つまり、お母さんの「特製離乳食」だ。
「よし! 緊急キッチン・ラボ、開設よ! メルディさん、ロレッタさん、至急支援を!」
「了解しました、セナ殿。……フェンリルの魔力分解酵素に合わせた、最適な配合比率を算出しましょう」
「はわわ〜、了解ですぅ! ルナちゃんが笑顔になる、とびきり美味しい味付けにしますねぇ〜!」
メルディが王都から持ち帰った薬草の成分表を広げ、ロレッタが森で採れた魔力果実を山のように積み上げる。
セナが陣頭指揮を執り、聖域のキッチンは瞬く間に「高度魔導調理場」へと変貌した。
「ハルくん。……この鍋の下、極小の火力で、一滴の魔力も逃がさないようにじっくり煮詰めて。……焦がしたら、一週間の在庫管理に響くわよ!」
「……うん、……わかった。……極小、……そぉっと、焼くね」
ハルが少年の姿のまま、掌から放つ繊細な熱。
鍋の中では、王都の最高級スパイスと、聖域の魔力果実、そしてメルディが精製した魔力安定剤が混ざり合い、濃厚な琥珀色のペーストへと凝縮されていく。
セナは【鑑定】を駆使し、一ミリグラム単位で魔力濃度の不備をチェックしていった。
「……不純物、なし。……魔力伝導率、良好。……これにロレッタさんのハチミツを加えて……。……よし、完成よ! 聖域特製『魔力凝縮エナジーペースト』!」
セナが完成したばかりのペーストをスプーンで掬い上げると、レイの影がゆらりと揺れた。
影の中から、銀色の瞳を輝かせたルナがひょこっと顔を出し、期待に満ちた表情でセナを見上げる。
「はい、ルナちゃん。……お行儀よく、あーんして?」
ルナがぺろりとペーストを舐め取った瞬間、彼女の影のような体が、眩いばかりの魔力の光に包まれた。
これまでは飢えに震えていた影の端が、今は力強く、安定した脈動を刻んでいる。ルナは満足げに「くぅん」と鳴き、レイの影の中へ幸せそうに沈んでいった。
「……あ、……ママ! ルナ、寝ちゃった! ……僕の体も、なんだか軽くなったよ!」
レイの顔に赤みが戻る。
セナは、計器の目盛りがピタリと安定したのを確認し、深く安堵の溜息をついた。
リソースの最適化(コスト削減)。事務職としての勝利の瞬間だった。
だが、その安堵を切り裂くように、屋外からグーの咆哮が響き渡った。
地を揺らすような、重厚な警告。
セナが窓の外へ視線を向けると、拠点の門番をしていたベヒモスのグーが、北の空を睨んで低く唸っていた。
「……グーくん? ……どうしたの?」
「……ママ、……あっち。……昨日よりも、いっぱい。……嫌なやつらが、来てる」
ハルの瞳が、守護龍の鋭い紅に染まった。
北の境界線。そこには、一頭や二頭ではない、数十頭に及ぶ人造魔獣の群れが、森の木々を薙ぎ倒しながら、軍隊のような統制を持って接近していた。
「……王都の残党、なりふり構わず『在庫一掃』をしに来たわね」
セナの瞳から、穏やかな母親の光が消え、氷のような管理者の色彩が宿った。
人造魔獣たちは、ルナが放った「フェンリルの魔力」を逆探知し、聖域の位置を完全に特定したのだ。彼らにとって、これだけの神話級が揃う聖域は、最高の「魔力資源」に見えているに違いない。
「……全員、配置に就いて! ……これは、聖域の資産を守るための『棚卸し』よ! ……メルディさん、防壁魔法の出力を最大に! ロレッタさんは、非戦闘員を安全な倉庫へ! レイくん、ハルくん、グーくん、……そしてルナちゃん」
セナは、レイの影を指差した。
「……新人の歓迎会を、少し過激にやりましょうか。……この楽園に土足で踏み込もうとするゴミ(残党)は、一粒残らず処理してやるわ」
レイは、レガリア・セナを強く握りしめた。
彼の影が、ルナの力を得て、これまでよりも深く、長く伸びている。
管理日誌:『第四十三案件:魔力リソースの最適化、および緊急防衛体制への移行。
特記事項:特製魔力フードにより、ルナの魔力喰らいを抑制することに成功。
……だが、平和な給食時間を邪魔する招かれざる客の群れ。
……人造魔獣の大群を相手に、聖域の『新体制』が試される時ね。
……在庫:不屈の闘志、および三頭の魔獣。
……不備:なし。……徹底的に、掃除してやるわ』
夕闇が迫る中、北の空には不気味な複眼の光が無数に並んでいた。
セナは、家族の背中を見つめながら、自らの知恵と管理能力の全てを、来るべき決戦へと注ぎ込む準備を整えた。




