第36話:小さな杖の役目と、新たな契約
凍りついた広場には、朝日さえも跳ね返すような冷酷な白銀が居座っていた。
セナは、霜で白く染まった事務机に向かい、王都から持ち帰ったばかりの緊急連絡用魔導具を起動した。その指先は怒りと決意で微かに震えていたが、叩き出される文字は、極めて正確で、冷徹なまでの実務能力に満ちていた。
「バルトさん、聞こえるかしら? ……ええ、不備の報告よ。聖域の北側から異常な環境汚染(冷気)が発生しているわ。……至急、王宮の宝物庫に眠っている最高級の魔力触媒を一点、こちらへ『超特急』で回して。……代金は、次回の乾燥果実の優先納品枠で相殺(相殺)よ。文句は言わせないわ」
通信の向こうで、糸目の事務官が悲鳴を上げているのが聞こえたが、セナは無情に通信を切った。
事務職にとって、現場の混乱は「リソースの不足」に直結する。ならば、管理者の役割は、あらゆる手段を使ってその穴を埋めることだ。
「……セナ殿。……ドラン殿からも返信が来ました。……『龍の熱に耐え、かつ子供でも振り回せる超軽量の魔導鋼』、在庫を確保したそうです。……今すぐ、コボルトの高速運搬隊が境界線まで取りに向かいます」
メルディが、眼鏡をクイと押し上げ、分厚い納品予定表をセナの机に置いた。
聖域の総力を挙げた「緊急調達」が、音を立てて動き出していた。
その傍ら。
レイは、拠点の縁側に座り、自分の膝の上にある小さな木の杖をじっと見つめていた。
昨日の冷気を前に、一羽の小鳥さえ温められなかった木の棒。
かつてセナが森の枝を削って作ってくれたそれは、レイの魔力が強まるにつれ、あちこちに微細な亀裂を刻んでいた。
「……ごめんね。……僕が、下手くそだから。……ママがくれたのに、ボロボロにしちゃった」
レイの瞳から、一粒の涙が杖の表面に落ちた。
自分はまだ、誰かを守る騎士にはなれていない。そんな無力感が、少年の小さな肩を震わせていた。
セナは、ペンを置くと、レイの隣に静かに腰を下ろした。
そして、その泥と涙で汚れた小さな手を、自分の温かな両手で包み込んだ。
「レイくん。……その杖はね、失敗じゃないわ。……あなたがまだ魔力の使い方も知らなかった頃、暴走しないように、優しく魔法を逃がしてあげるための『安全装置』だったの」
セナは、レイの手の中にある折れそうな杖を、愛おしそうに撫でた。
「でも、見て。……これだけの傷は、あなたがそれだけ大きな魔力を生み出せるようになったという、立派な成長の証拠なのよ。……この子は、もう十分にお仕事をやり遂げたわ。……卒業させてあげても、いいんじゃないかしら?」
「……卒業?」
「ええ。……お母さんの『手作り』は、ここまで。……これからは、一人の騎士として、本物の『資産』を手に取る時よ。……不備を直すのは、お母さんの得意分野でしょ?」
セナの微笑みに、レイは涙を拭い、力強く頷いた。
正午過ぎ。
聖域の広場には、王都から届いた眩いばかりの「星銀石」の触媒と、ドランが命懸けで鍛え上げた「魔導鋼」の芯材が並んでいた。
セナは、王都で学んだ最先端の魔力回路図を地面に広げ、設計を開始した。
「ハルくん。……この芯材を、あなたの龍の火で焼き固めて。……でも、ただ焼くんじゃないわ。……レイくんの魔力と共鳴するように、拍動に合わせて一定の熱を送り続けて」
「……うん。……ママ、任せて。……レイのためなら、僕、……頑張る」
少年の姿のハルが、真剣な眼差しで鋼を手に取った。
彼の指先から漏れるのは、かつて隣国を護っていた守護龍の、純粋で気高き業火。
熱気が広場を満たし、白銀の霜を一時的に押し返していく。
「メルディさんは、魔力伝導率の調整を。ロレッタさんは、仕上げの冷却と、持ち手の滑り止めをお願い。……さあ、聖域の『最高傑作』を作り上げるわよ!」
セナの指揮の下、家族全員が一つになった。
ハルが熱を加え、メルディが精密な回路を刻み、ロレッタが丹念に磨き上げる。
セナは【鑑定】を駆使し、一ミリの狂い、一グラムの誤差も許さず、全体を統括していった。
数時間の激闘の末。
広場の中央に現れたのは、これまでの木の枝とは似ても似つかない、気高き輝きを放つ一本の杖だった。
芯材には魔導鋼、先端には星銀石。
そしてハルの火によって鍛えられたその表面には、龍の鱗を思わせる繊細な紋様が浮かび上がっている。
「……レイくん。……手に取ってみて。……これが、新しいあなたの相棒よ」
レイは、唾を飲み込み、震える手でその杖を握りしめた。
その瞬間。
レイの体内に溜まっていた魔力が、まるでダムが決壊したかのような勢いで杖へと吸い込まれ、増幅され、純粋な「光」となって天へと突き抜けた。
「……わあぁ……! ……ママ、すごい……! ……軽いのに、力が、……力が溢れてくるよ!」
レイが杖を一振りすると、周囲に残っていた不自然な冷気が、物理的な衝撃波によって一瞬で霧散した。
ただの枝では耐えきれなかった魔力の負荷を、この杖は平然と受け止め、より鋭く、より遠くへと導いている。
「……お母さんの手作りは卒業ね。……でも、その持ち手の部分には、前の杖の破片を一部、お守りとして組み込んであるわ。……初心を忘れないようにね」
セナの言葉に、レイは杖の持ち手を強く握り直した。
そこには確かに、以前の木の杖の、あの温かな感触が残っていた。
「……ありがとう、ママ。……僕、もう負けない。……この杖と一緒に、みんなを、聖域を……絶対に守ってみせる!」
レイの瞳に、絶望の影はもうなかった。
あるのは、一人の騎士としての、揺るぎない覚悟。
セナは満足げに頷くと、事務机に戻り、管理日誌に今日一番の成果を刻み込んだ。
『第三十六案件:主武装の全面刷新、および新規契約の締結。
特記事項:レイくんの「卒業」を確認。
……主武装名:聖域の指揮杖。
……ハルくんの火、ドランさんの鉄、バルトさんの触媒、そして家族の想い。
……これだけの資産を投入したんだもの、不備なんてあり得ないわ。
……さて、準備は整ったわね。
……あの『冷気の主』に、お母さんの厳しい『是正命令』を叩き込みに行きましょうか。』
新しい杖を掲げるレイと、その横で誇らしげに胸を張るハル。
聖域の空に、反撃の狼煙が力強く立ち上った。




