20.あてずっぽう
角を曲がったところに、唯が立っていた。俺はポケットを探り、通話中のスマホを取り出した。
「俺はまだ、オカルトというものを信じてはいません。ただ、事件にかかわった人間があの神社と、噂に関わりがあるというのは確かなようです。これを……その、小澤さんにうまく伝えてもらえませんか」
『わかったわ』
通話を終えると同時に、唯がやり取りを録音していたレコーダーアプリを終了させた。スマホに向けた視線は、自分の手に余ると言わんばかり。
「俺のスマホに転送してくれ。牧野が今後、変な動きを見せた時の切り札になる」
「それで? 肝心の事件はどうなるの?」
問題はそれだ。ずっと頭の隅にしこりのようなものが残っている。
「整理してみよう」
と、俺は唇を湿らせながら言う。
「きっかけは、一人の男が『神社でおまじないを用いたことで、完全犯罪を成功させた』という言葉を、牧野が聞きつけたからだ。
牧野は半信半疑ながら、これをより多くの人間に広めることによって、信憑性を高め、オカルトが現実を侵食すること、多くの人間の弱みを握ることを狙った。
その噂がきっかけ、あるいは原動力となって、他の殺人が連続的に発生した。そして、それらの殺人はおまじないの通り、完全犯罪になってしまった――『オカルトが現実に作用する』という牧野の言葉が、真実ならば」
「でも、牧野が言う通り、個別の事件が連続殺人とみなされただけなら、一連の
犯人は自分だ、と言い出すのは矛盾でしょう?」
「それは多分――オカルトと現実、両面からの影響だろう」
「オカルトと、現実?」
「連続殺人と最初に銘打ったのはマスコミ側だ。『おまじない』を信じる側は、当然オカルトの対極である科学の側にいるわけだ。となれば、『一連の事件は同じ人間によって引き起こされた』という、マスコミの見解が、予め刷り込まれていたとしてもおかしくはない。
一方、オカルトサイドでは、この事件は確かに『連続殺人』なんだ。直接手を下した人間にとっては自分一人のものだが、そのために利用したのは同じもの。『同じ力によって引き起こされた一連の事件』と言えなくもないわけだからな」
「どこまでも推測でしかないわけね」
「ああ」
「じゃ、それが崩壊してしまった理由はどう考えるの? 私たちは神社で、それらしいものに遭遇したけど、殺しの能力を得られるどころか、覚えのない罪で自白している連中が何人も出たじゃない」
「これも推測だが、噂そのものが集団によって変質してしまったんじゃないか。今まで事件の発生はタイミングがバラバラだった。おまじないの発生源たるオカルトには、情報処理の限界があった。
俺たちは犯人を暴くという目的でそこへ向かった。そこに、特ダネを狙う連中や、従来のように殺人の力を借りようとした連中も大勢押し掛けた。
一つ一つの願望が処理できないばかりか、オカルトが成立する前提である『共有』すらも崩れてしまった」
「つまり、オカルトが従来のような『殺人の力を与える』ことができずに暴走した、と?」
「俺はそう考える」
「その暴走のとばっちりを受けて、自分のものじゃない罪の記憶すら引き受けるなんて、ある意味災難ね」
「自業自得だ。事件を自分のために利用しようとしたんだからな」
だがそれは、俺にだって言えることじゃないのか?
警察が事件を解決するのは公務であり義務だが、何の捜査権もない民間人が、代わりに乗り出す理由は虚栄心だと言い切れるのではないか?
「……となると、今後はどうなるか、だな」
噂の真実を聞き付けて、来週を待つ人間が増えるのか。
それとも、既に異変をきたしたおまじないが暴走を始めるのか。
「……なあ、唯。お前は、『サタデーナイト』を見たか?」
「ヒトならざるもの、らしき影ならね。それに撃たれたんだから」
「……俺も、撃たれたはず、だよな……」
「ええ。壊れた電話ボックスの残骸に、身を埋めるようにして、ね。喪服のような服を着た男の姿、に見えたけど、それもどこまで正しいのか。私には、顔すら見えなかったわ。炎上するバイクという明かりがあってすらも」
限りなく人間に似た、願望に依存する怪異――あるいはオカルト。
土曜の夜に現れる、銃を携えた騎士。
その銃弾に貫かれたら、決して捕まることのない犯罪者になれる。
「どうしたの?」
無言で額を小突いている俺を見て、唯が不審そうな声を出す。
俺は彼女の方に視線を戻し、ほとんど無意識に答えていた。
「サタデーナイトについて考えていたんだが――何かこう、違和感のようなものがあるんだ。お前さんは何か感じなかったか?」
「リストにできるわよ」
唯は指を折りつつ言う。
「大多数の人間に同時に目撃されるだけでなく、干渉すらできる『実在するオカルト』。
人間の意志に影響を与えるように、人間に影響されたかのような、演出過剰な振る舞い。
まったく、日本は随分アメリカナイズされたっていうけど、幽霊までそれに便乗しなくたっていいのにね」
「だがな、サタデーナイトなんて名前を付けたのはあくまでも人間の方であって――」
口にした瞬間、頭の中で爆発が起こった。
そうだ、なぜこんな、最も単純な問いに気づけなかったのか。
『オカルトが人から人へと伝播するために、共通の認識を必要とする』ならば、『名づけ』や『定義』こそが問題だ。すなわち、
「誰が最初に、『サタデーナイト』という名前を付けたんだ……?」
「え?」
警察ではないことは確かだ。小澤さんは、洋画のタイトルと間違えたほどなのだから、警察が非公式につけたとしたら、そういう反応にはならない。
となると候補は叔父と牧野に絞られるが、牧野の用いた『サタデーナイト』は、そのまま『土曜日の夜』という意味合いでしかなかった。
一応『サタデーナイト』というオカルトについても知っていたが、彼女は初め、それを『おまじない』として知った。名付け親ではありえない。
自分が唾を呑み込む音が、体中に響き渡ったような気がする。
叔父が名付け親であり、オカルトを定義した張本人であるならば、だからこそアメリカナイズされていた理由もわかるというものだ。
小澤さんが茶化したように、名前だって、洋画からとったに違いない。
叔父はアメリカに憧れていた。名探偵というのも外国から輸入された概念であるが、その華々しさはあくまでイメージだけだ。
それでも彼は、探偵事務所を立ち上げた。形だけしか存在しない事務所に、自分の願望を仮託して。
そう考えると、叔父こそが、一連の現象の名付け親とすら思えてくる。
――叔父は何のつもりで、俺たちに、その名前を用い、知らせたのか?
迷っている暇はなかった。
服を着替えると、そのまま病院を出た。入り口でタクシーを拾う。後部座席に飛び込んだ俺を奥に押しやるようにして、唯が続いた。
「何か思いついたの?」
シートにバウンドするように座りなおした唯に、ああ、と小さく頷いた。
「嘘であってほしい、というのが、今の願いなんだがな」
自分の声が、遠く聞こえた。