お狐様、お説教する
「お初にお目にかかります。クラン『閃光』の人事部、築山です」
「クラン『ジェネシス』人事部の山崎です。ご挨拶出来て嬉しいです」
「赤羽商店会の広報の林です」
「「ん?」」
「え?」
築山と山崎の2人は林に同時に振り向き、疑問符を浮かべる。てっきりどっか知らないクランのスカウトかと思っていたし、そんな奴が自分たちに条件面で勝てるつもりかと思っていたのだが……まさかのクランとか覚醒者とか全然関係ない赤羽商店会である。一体何をしに来たというのか?
「ちょっと、商店会の方は引っ込んでてください。私たちは覚醒者として話があるんです」
「そうです。一般の方が狐神さんに何の用だというんですか?」
「何の用も何も。赤羽商店会が赤羽でお客様に声かけて何が悪いって仰るんですか」
「いや、それは」
「そこまでじゃ」
揉め始めた3人は、イナリのその声でピタッと言い争いをやめる。交渉に来て本人の前で言い争いなんかしている姿を見せてしまったが、本来スカウトやら広報やらに回される人材は会話に長けている者が多い。彼等もその類であり、予想外の事態に普段通りのスペックを発揮できていない実例とも言えるが……ともかく、此処からでも立て直していかなければならない。
ならない、のだが。イナリは腰に両手を添えて明らかなお怒りモードであった。ぷんぷん、と擬音まで聞こえてきそうな空気に3人は静かに冷や汗を流す。
「人をつけてきたうえに勝手に言い争いをするとは。それも天下の往来で真昼間にじゃ! いい大人が3人も雁首揃えて恥ずかしいとは思わんのか? 巻き込まれただけの儂でも恥ずかしいというに、よもや張本人たちが恥ずかしくないとは言うまいの?」
「い、いえ。その、大変申し訳なく……」
「まったく仰る通りです……」
「申し訳ありません」
「うむ。間違いを認められるのは良いことじゃの」
まだポーズはお怒りのままだが、表情だけは多少柔らかにイナリは「で?」と3人に問いかける。しかし3人とも意味が分からず顔を見合わせてしまう。通常であれば迷惑料でも求められるところだろうし「そういう覚醒者」にも散々会ってきたが、どうもそういう雰囲気ではない。しかしそうなると一体何を求められているのか? それがどうしても分からずに、代表して築山がイナリに問いかける。
「あ、あの。狐神さん。その、何を求められているのか具体的にご教授願えますと」
「何を、じゃと? お主等儂にこの紙切れだけ渡しに来て何の用もなかったと言うつもりかえ?」
「え? あっ、そういう」
「他に何があるんじゃ? それとも儂、お主等を置いて帰ってええんかのう」
「い、いえ! では改めましてクラン『閃光』の人事部、築山です。この度はスカウトの件で参りました」
「クラン『ジェネシス』人事部の山崎です。此方も同じです。是非詳しいお話をさせていただければ!」
「赤羽商店会の広報の林です。えーと実はですね、話題の狐神さんに宣伝にご協力いただければと」
「うむうむ」
3人のそれぞれの言葉を聞いて頷くと、イナリはカッと目を見開く。
「馬鹿たれ! こういうのは所属くらんを通すものなんじゃろ!? 儂に直接ねじ込みに来るとは何事じゃ!」
「「「うっ……」」」
全くその通りの正論である。引き抜きはまあ、よくある話なのだが良い人材の引き抜きはクランの力に直結するために暗黙の了解レベルではあるが事前にクラン同士である程度の同意をするようになっている。これは覚醒者組織であるクランが万が一にでも実力行使の大喧嘩にならないようにするための明文化されてはいない「暗黙のルール」であるのだが、実のところ本当に欲しい相手にはこうして直接引き抜きをかけていることも多かったりする。
そして商店会はこれはやはり明文化されてはいないが比較的アウトである。事務所を通さずにアイドルに直接仕事を持ちかけるような行為というか、イナリの場合はフォックスフォンのイメージキャラという立場ではあるので、そんな行為そのものであったりする。別にそれが悪いとは言わないが、本人の迷惑になるのでやはりクランを通して依頼するのが暗黙のルールなのである。
イナリもそこまでうるさく言うつもりもない。ないが……目の前で喧嘩までされるとあっては、話は別だ。ルールを守らなければそうなるというのであれば、イナリとしても心を鬼に……まあ狐だがとにかく鬼にして「ルールを守れ」と怒るしかない。それが結果として3人のためにもなるからだ。
「まったく、儂もうるさくなどしとうないんじゃ。しかしのう、斯様な騒ぎになるのであれば致し方なし。くらんを通さぬ話は一切聞く気はないから、そのつもりでの」
「こ、狐神さん! そこをなんとか」
「ダメじゃ」
「本当に良いお話なんです。ほんの少しだけでも」
「あ、それならこちらの話を是非聞いてくださ」
「喝!」
ビリビリと響く声に気圧されて、3人はぺたりとその場に座り込む。
今のは、ただの大声であったはず。そのはずだ。なのに、どうしたことか? 一般人の林はともかく、築山と山崎まで気圧されて座り込んでしまったのだ。
スキルではない。それは分かる。しかし、これは……まさか、実力差だとでもいうのだろうか?
「お主等……儂の言ったことをちぃとも聞いとらんかったとみえる」
「え、いえ。そんな」
「それとも儂の言うことなど聞く気は無かったかの? ん?」
3人は気付く。イナリは笑顔になっているが、笑っていない。目が、全く笑っていない。つまり怒らせた。さっきの「ぷんぷん」と聞こえてきそうな可愛い怒り方ではなく、結構ガチめにキレている。だからこそ、3人は我先に謝ろうとして。
「お主等『仁義八行』って知っとるかの? 南総里見八犬伝なんじゃが」
そうして始まったイナリのお説教は……後でSNSに上げられて一気に広まったのだが。当然のようにイナリはそれを知らないのだった。
イナリ「儂だって怒りたくないんじゃよ?」





