お狐様、コロッケを堪能する
そうして見事目的の米を手に入れたイナリはテクテクと歩きながら市場を見回っていた。
魚に果物、野菜に肉、雑貨に様々な高級品まで……色々と並ぶ商品とそれを売る店は、赤羽の活気をこれ以上ないくらいに伝えてきている。
ただ歩いているだけでも楽しい、そんな赤羽でイナリは不可思議な香りを感じ取る。それはブラザーマートでも感じたような……いや、アレよりも余程本能に訴えかけるような強い香りだった。そう、これは……揚げ物の香りだ。
フラフラと歩いていったイナリは、そのお店を見つけ出す。「コロッケ名人のコロッケ屋さん」と書かれた看板と、商品説明に描かれたコロッケの数々。どうやら今この瞬間も揚げているらしいコロッケは出来たてにしか発することの出来ない香りを発していたのだ。
「おお、ころっけじゃのう……知っとるぞ、子どもは皆ころっけが大好きじゃ」
それはどうだろう、諸説ある気もするがまあ、嫌いな人は少ないかもしれない。ともかく引き寄せられるように近づいていったイナリは、商品説明にあるコロッケの数に驚愕する。
王道コロッケ、めんたいコロッケ、野菜コロッケ、カレーコロッケ、牛肉コロッケ、かぼちゃコロッケ……コロッケのお祭りかというようなたくさんの商品名と簡単な説明が並んでいる。イナリからしてみればどれも美味しそうで、しかし全部買うというのはちょっと欲張りすぎな気がする。イナリは「足るを知る」を実践できる良いお狐様であった。具体的には「そんなにたくさん買っても食べられないのじゃ」という感じである。
というわけで、とりあえず1個買おうとイナリは決める。しかしそうなると迷ってしまう。だって、どれも美味しそうなのだ。
(かれえは知っとる。確か辛いけど美味しいやつじゃ。めんたいは……明太子じゃろ? 食べたことはないのう……しかし、なんだかんだと安定しとるのは王道ではないか……?)
悩む。悩んで……イナリは「王道を1つお願いするのじゃ」と注文する。悩んだ末の決断であった、正直東京に来てからこんなに悩んだのは、ふりかけを選ぶときくらいのものだ。激うま焼肉味とかいうふりかけにひどく惹かれたものの、まずは本物の焼肉を食わねば判断できんと買うのをやめたのだ。ちなみにまだ焼肉は食べていない。ふりかけご飯とおにぎり最強である。さておいて。
「ほお、これが王道ころっけ……どれ、まずは一口」
小さな紙の袋に入った揚げたてコロッケを、ザクッとイナリは噛んで咀嚼する。そうして伝わってくるのは新鮮な油で揚げられたがゆえの食感の良い衣と、その奥に秘められたじゃがいものホクホク感。基本に忠実に作ったからこそ、素材の良さと揚げ具合がダイレクトに美味しさに影響する中でこのコロッケは……実に美味しい、のである。
思わずイナリの表情もゆるみ「はぁ……」と幸せそうな笑みを浮かべる。実際幸せなのだ。揚げたてで美味しいコロッケ。そんなものを食べられるようになるとは、あの廃村の日々では想像もしていなかった。勿論最強なのはご飯ではあるが、こういうものも素晴らしい。イナリは素直にそう思う。
大量の油にパン粉、そしてジャガイモ。他にも様々なものを贅沢に組み合わせたコロッケは、まさに人間の豊かさの象徴とも言えるのだから。
「美味いのう。幸せじゃのう……人の豊かさの生み出した幸福が此処に詰まっておる」
「え、アレってそんなに美味かったっけ……」
「でも凄い美味しそう……」
「あれ? あの子ってイナリちゃんじゃ……」
何やらイナリのことに気付く者も現れる中で、そんなに美味いなら食べてみようとコロッケ屋に並ぶ者たちも当然のように現れる。そして人間の感覚とは不思議なもので誰かが「美味い」と食べているのを見ると「美味しそう」とか「食べたい」とかいう気持ちが強くなるものであり、更に言えばコロッケの香りほど空腹なときに訴えかけてくるものも中々ない。自然と皆がコロッケ屋に並びコロッケを買い求めていくが……店主としては嬉しい悲鳴である。突然インフルエンサーが自分のお店を宣伝していってくれたようなものなのだから。
「ど、どんどん揚げろー! 頑張れ、後でボーナス出すから!」
「がっつり貰いますからね!?」
ずらりと並んだ列は、いつもの数倍の売り上げをすでに約束してくれている。それどころではない、上手くいけば「コロッケ名人のコロッケ屋さん」が赤羽の定番スポットになるのも夢ではない、かもしれない。まさに大チャンスである。
(ありがとう、狐の子……! なんか有名ぽいし後で検索するよ……!)
イナリちゃんイナリちゃんとお客が話しているのを聞きながら店長はまだ名前も知らないイナリに感謝するが……イナリ自身は、そんなことを知る由もない。「美味かったのう」などと言いながら設置されたゴミ箱にキチンと紙袋を入れて、あとは帰るだけ……なのだが。
「で、お主等は何処の何方様かのう?」
コロッケ屋のちょっと前あたりからついてきていた男たちに、イナリは振り向く。自分が多少有名になったことは知っていたが、どうにもファンという雰囲気でもない。現れた男たちはどうやら互いに仲間でもないようで、牽制するように睨みあうとイナリへ不器用に笑みを浮かべてくる。そうして彼等が懐から取り出したのは……なんと、名刺であったのだ。
イナリ「ころっけ、美味しかったのう……」





