お狐様、むずかしいことを考える
「イナリは難しいこと考えるね」
旅館での食事時。試しに自分の考えを話してみたイナリに返ってきた紫苑の答えは、それだった。
「む、難しいかのう」
「超難しい。ダンジョンが世界にもたらす影響。月子が研究してそう」
「確かにそうじゃの。悩むより月子に相談したほうがよかったかの」
「うん。でもボクに言ってくれたのは嬉しい」
青い固形燃料の火でぐつぐつ煮えていく鍋を前に、紫苑はそう頷く。サラダはレタスにトマト……一般的な組み合わせだが、ドレッシングが美味しいせいかシャキシャキと美味しく食べられる。そんなサラダをペロリと食べ終わり、紫苑は「んー……」と考えるような声をあげる。
「ボクとしては、別に気にしなくていいんじゃないかなとは思う。たぶん大体の人もそう」
「ふむ……」
確かにそうなのだろう。今の時代、人々はジョブの力やダンジョンから産出するものを使った新しい技術……そうしたものを使って「かつての時代」よりも豊かになっている。勿論海のモンスターたちのような新しい危険もあるが、それを受け入れた上でより良い状況を生み出そうとしている。
そうであれば「世界の謎を解こう」などということを考える者は……あまりいないのかもしれない。
「だから、イナリがそれを気にしてて、知りたいと思うなら。ボクも色々考えてみようとは思う」
「そうか。ありがとうのう」
「友だちだから」
言いながら紫苑は鍋の蓋をカパッと開ける。上州牛のすき焼きがぐつぐつと煮えていて、溶いた卵につけて口の中に運べば、上質な脂の甘みが口の中に広がっていく。
「ん……美味しい」
「うむ、地元の牛肉なんじゃったか? 旨いのう」
旅館の食事処での夕食は他の客は……まだ早めの時間のせいかチラホラとしか居ないが、客の視線は先程からチラチラとイナリたちに向けられている。まあ、如何にも美少女な2人の組み合わせであるから仕方ないといったところではあるだろうか?
旅館側が館内着として提供している浴衣を着て半纏を纏っている紫苑と、それに似たものを自分の巫女服を変化させて着ているイナリ。なんとも目立つ2人である。
「世界が変化してから、色んな問題が解決したって言われてる」
「む?」
「環境問題とか、なんか難しい問題とか、色々。月子は魔力の影響じゃないかとは言ってたけど」
「魔力、のう」
そういえば、とイナリは思う。イナリがこの世界で身体を得た日。あのとき確かに風の匂いが変わって、世界の何かが切り替わっていった。それはあるいは「魔力」というものがこの世界に広がった感覚なのではないだろうか?
「……ふむ」
デザートのフルーツまでしっかり食べてから部屋に戻ると、湯畑がライトアップされているのが窓から見える。なんとも美しい光景だ。今となっては電気に関しても魔石発電なる方式に切り替わっていっているらしいが……そういう意味では今の世の中は、ダンジョンに頼ることで形成されているともいえる。それは間違いなく人間の強さでもあるのだろう。石炭を求めて危険な地底まで掘り進めていた頃と、何も変わらないのだから。
(しすてむは人の進化と繁栄をもたらした。じゃが、何のために?)
前回の質問権のときに確信できたことがある。それは「システムには確実に何かの意思がある」ということだ。ただ自動的に動くものであればイナリの質問に対し敬意を示すことなどなかったはずだ。つまりシステムには何らかの意思が存在しており……意思があるということは目的がある。
(敵のようでも味方のようでもある。はてさて……)
「また難しいこと考えてる?」
「そうじゃな、考えておったよ」
「そっか。ボクもね、考えてみたよ」
隣に寄ってきた紫苑にイナリは「ほう?」と声をあげる。自分以外の視点。どのようなものが出てくるか純粋に気になったのだ。
「なんかこう、厳しいお師匠様って感じ」
「師匠……ああ、なるほど。そういう風にも見えるのう」
「だよね。全人類修行編?」
「ははっ、うむうむ。その発想は儂には無かったのう」
言いながらイナリは本気で自分にない発想が出てきたことに驚く。なるほど、全人類への修行。その先に何を見据えているのかをさておけば、しっくりきてしまう答えではあった。
「修行、か。はてさて、その先には何があるやら」
「スーパー覚醒者とかになって強い敵とすごいバトル?」
「くはははは! なるほど、なるほどのう!」
アツアゲとビシッとポーズをきめている紫苑を見ながらイナリは笑う。なるほど、意外にそれが真実であるのかもしれない。イナリをシステムが引き込んだのも、その一環であるのならば。もし、そうであるとしたら。
「うむ、うむ。そうであれば踊らされるも悪くはない。それで人の子が更なる高みに届くというのであればな」
言いながら、イナリは机の上に置いた鍵を1つ手に取る。「難しいこと」を考えるのは、今日はここまでだ。
「ではちょいとひとっ風呂浴びてくるのじゃ」
「あ、ボクも行く」
「長湯するがええのかのう」
「そしたら先に上がってアイス食べてる」
そんな2人と……ついでにアツアゲもイナリの肩にのっているが。そうして二人は旅館の大浴場でゆったりとリラックスしたのであった。
旅館で食べるすき焼きは美味しいですよね





