お狐様、草津温泉に行く2
「舞茸の天ぷら……?」
海老でもない。イカでもない。カボチャでもない。舞茸の天ぷら。つまりキノコである。はたしてどのようなものなのかイナリには想像もつかない。まあ、天ぷらは食べたことないのだけれども。
「草津名物らしい」
「ではそれにしようかの。この……舞茸天ぷらともり蕎麦のセットでええか」
「ボクもそれにする」
蕎麦打ちの実演をしている職人がリズミカルに蕎麦を切っている音を聞きながら待っていると、やがて料理が運ばれてくるが……イナリは思わず「おおっ」と声をあげてしまう。
もり蕎麦の横にあるのは、大きめの皿に盛られた舞茸の天ぷらだが……これが豪快な大きさをしている。そんなお皿からはみ出しそうな大きさのものが2つもあるのだ。
「こ、これが1人分なのかえ?」
「はい、そうですよ!」
「おお、なんという……」
店員の元気な返事にイナリは絶句しそうになってしまう。メニューに写真がのっていれば想像できたかもしれないが、まさかこんなものがくるとは思ってもいなかった。いなかった、が……それはそれとして何とも美味しそうだ。
「では……いただきます」
「いただきます」
手を合わせて「いただきます」をすると、まずは舞茸の天ぷらを箸で持ち上げて口に運ぶ。そうするとザクッという揚げたての衣の食感と同時に舞茸の柔らかで肉厚の食感が口の中に感じられる。
思ったよりもずっと食べやすい。それがイナリの素直な感想だった。確かにこれはキノコだ。揚げることで食感や味が変わるものもあるとはいうが、これはキノコの味……つまり舞茸の味だとしか例えようがない。衣のザクザクとした食感が実にあっていて、なんとも素晴らしい。
「なんと……もう2つとも食べてしもうた。しかしこのくらいで丁度いいと思えるのが素晴らしいのう」
1つだと足りないかもしれない。しかし2つだと丁度良い満足感が得られた。勿論舞茸の大きさなどによって適正な個数は異なるだろうが……この大きさならば2つがいいとイナリは思う。
「美味しいね」
「うむ、実に素晴らしい新体験じゃった……さて、では蕎麦を……」
打ち立ての蕎麦を食べられるというのは実に素晴らしいものだ。薬味を入れたつゆに蕎麦を軽くひたし、口の中へと運んでいく。この歯応えもまた素晴らしい。正直に言えば蕎麦の違いなどイナリにはそこまで細かく分かりはしないのだが、それでもこの蕎麦が美味しいものだということはよく分かる。だから、その言葉は正直に口の中から出てくる。
「……美味い」
「ん、蕎麦もいい」
紫苑も蕎麦に移行し食べているが……とても美味しそうな表情で食べている。実際、美味いものに対しては「美味い」以外の言葉は然程必要ないのだ。そば茶が運ばれてきているのもこれまた素晴らしいサービスだ。暖かいそば茶は独特の風味があり、飲めば「今合うのはまさにこれなのだ」と思わせてくれる力がある。
気付けば蕎麦も食べ切っていて、会計して外に出れば不思議な満足感がイナリたちにあった。
「……このまま宿に帰って寝たいね」
「分からんでもないが……まあ、そういうわけにもいかんからのう」
ひとまずダンジョンのある場所の下見と、「要塞」に挨拶くらいはしておきたいところだ。
「ほれ、頑張ろうではないか。それとも先に宿で休むかの?」
「ん、行く」
「よし、良い子じゃ。では行こうかのう」
そうしてまた歩き始めると、これまた様々な宿や食事処などが立ち並んでいる。野沢菜を売っている店もあるが……中々美味しそうだ。そうした場所を抜けながら歩けば、やがて西の河原公園に辿り着く。
しっかり整備された石畳の道と、あちこちから湧き出ている温泉は他では中々見られない光景だろう。足湯としても利用されているそれらに足をひたしている人々もちらほらと見受けられるが、やはりお昼時だからだろう。その数はあまり多くはない。
此処もモンスター災害のときにはかなり酷いことになったらしいが、それでも今はかなり頑張って当時の姿を完璧ではないにせよ取り戻している。
「お、アレかのう」
「たぶんアレ」
見えてきた建物は、2階建ての一軒家だ。こんな場所に家があるというのは、まさに日本のトップランカー3位だからこそ……といったところではあるだろう。コンクリート打ちっぱなし……そういう「風」かもしれないが、そんな感じの外観の家は立派な塀と門で囲まれており、インターホンも門の外にカメラ付きのものが設置されている。
「立派な家じゃのう」
「アポは取ったんだっけ?」
「あぽ?」
「……訪問の約束」
「おお、うむ! 安野に頼んでおいた」
時間は分からないが今日訪問する、といった旨を伝えて承諾されたとのことなので大丈夫のはずではある。だからこそ、イナリはインターホンを押して。然程の時間もかからずインターホンから「そちらに向かう」と声が聞こえてくる。恐らくは「要塞」の声なのだろうが。
「まだ儂、自己紹介もしとらんのじゃが。ええのかの?」
「耳と巫女服」
「おお、なるほどのう」
狐耳ヘアバンドもブームにはなったが、それに巫女服と尻尾まで揃えている者は中々いない。言ってみればイナリの格好は「狐神イナリである」という強烈な自己主張なのだが……イマイチ自覚が薄いのは、イナリにとってその辺が「ふーん」で済まされる話であるからであったりする。
とにかく、ドアを開けて現れたのは……意外にも線の細い青年であった。





