胡桃ナオヤがたそがれた日。 Ⅱ
Ⅰ
その部屋は、五月なのに異常に湿っていた。
ポスターに書いてあった軽音サークルの部室は、文化棟二階奥の部屋。数年前に改装工事があり、輝いたコンクリートの建物になった校舎棟とは違い、文化部の部室や運動部の倉庫の役割を担う文化棟は、何十年も前にできたような木造の建物だった。
が、この湿気は異常であると、直ぐに分かる。この部室に行くまでの廊下や、ほかの部活が使う部室は、床にワックスが塗られ、除湿器が置いてあり、老朽化していたであろう部分はベニヤ板で修理してあった。
改めて、その部屋を見てみる。十畳ほどのそこまで狭くないその部屋は、畳が敷かれ、そこが一段盛り上がっている。ここで下足を脱げということだろう。壁には、ゲーム実況者の実写動画で見るような安い防音材が無造作に張り付けられている。
畳の上には、エレキギターが三つ。いや、一つはツマミのような部分が大きい。よく見ると弦も四本だ。こんな形のギターもあるのか。ようやく軽音っぽい感じになってきて、軽く興奮する。
床には、小さいノートパソコンが一つ。そこからUSBで、DJがよく使っている正方形のボタンが集合している機械……シーケンサーと言っただろうか……が置いてある。そこからもう一つ、USBでシンセサイザーも繋がっていた。
「あれ、君は、一年……?」
後ろから、静かな女性の声が聞こえ、俺はすっと振り返る。
長髪で目が細く、高身長な女性が、俺の前に立っていた。よく見れば、名札の「加藤」の文字の隣に、生徒会のエンブレムが描いてある。
「えっと……、貴方、ここで何してるの?」
如何にも疑われるようなトーンで、俺に問いかける。
「えっと、軽音サークル、の、活動場所がここだって聴いて……、もしかして、貴方が……?」
「?何言ってるのよ?この部室は、去年まで茶道部が使ってた部室よ?」
「え?」
「え?逆に、茶道部じゃ、ない……?」
どういうことだ?頭がハテナでいっぱいになる。
「本当に、どういう……?あ、もしかして、そういうドッキリ、みたいな……?」
「そんな訳ないじゃない。生徒会役員なのに、一年生を揶揄うと思う?もう一度言うけど、ここは、去年まで茶道部の部室だったのよ。去年は三年生が三人と、二年生が二人で活動してたけどね、三年生が卒業しちゃって。うちの学校って、部活動とかサークルは、三人以上いないと活動ができない決まりだから、卒業と同じタイミングで実質的に廃部になったのよ。で、もう、この部室は空き部屋になっちゃったの。」
彼女が、どこか寂しげなトーンと表情で言う。
いや待て。だとすると、軽音サークルって?中にあるギターって?
「で、そんな部屋に、一年生が何の用?茶道部は、もう部活リストから名を消したから、入部はできないわよ?」
「えと、軽音サークルが、ここで活動してる、と、書いてあった、気がするのですが……。」
「え?そんな訳ないじゃない。うちの学校に軽音なんて、ここ三十年は無いと訊いた覚えがあるし、実際この学校に存在しないわ。」
もう訳が分からない。一体、軽音サークルって何なんだ?
いや、冷静になれ。俺は、ぱっとしない理由で軽音サークルの入部を考えた。ここまでして入る必要なんてないじゃないか。それに、話を聞く限り、あのポスターは、きっと悪戯だ。このままのらりくらりしていたら、いよいよ仕掛けた奴の思うつぼじゃないか?
「えっと、俺の思い違いだったかもしれません。いやぁ、入学して一か月なのに、さっそくヒドイ目にあったなぁ。それじゃあ、俺はここで……。」
「待って!」
そそくさとその場を去ろうとしていた俺の手を、彼女が慌てて掴む。
「あなた、まだ入部する部、決まってないの?だったら、茶道部に入ってくれない?」
Ⅱ
うーん。
俺は、机上に頭を付け、深く考え込んだ。
頭の中では、昨日の、生徒会の先輩……加藤先輩との会話が、エンドレスでフラッシュバックしていた。
「茶道部に?え、でも、入部できないんじゃ……?」
「あなたが入ってくれたら、茶道部は、少なくともあと一年、活動ができるの。さっきは言わなかったけど、実は、私、去年まで茶道部で。一年生はいなかったけど、でも、別の学年の人と話したりするのがすごく楽しくて。もう一人の子も、今年活動できないことに気を落としてるから、お願い!」
と言い、加藤先輩は両手で俺の手を包み込んだ。
話を聞いて、納得した。さっき、少し寂しそうだったのは、思い入れのあった部が潰れたからだったのか。
そこで俺は、それはそれは深く考えた。俺が入部しなければ、この先輩は、部活に無所属で、後輩との接触なしで卒業することになる。それは、とても悲しいだろう。それに、正直に言えば、加藤先輩の凛々しくもどこか幼い表情や、それはそれはふくよかな体つきは、男には万人受けするものだろう。入ったらそれなりにメリットはあるはずだ。
散々考えた挙句、
「もうちょっと、考えさせてください。」
お茶を濁す形で逃げてしまった。
「はぁ……。」
「なーに悩んでんだよ、クルミ。」
頭を軽くたたかれ、俺は起き上がる。
「よ、クルミ。」
「おはよ、四島。」
俺を叩いた女……四島は、中学からの付き合いで、異性ながらも男友達のような関係性を保ってきた友人。そんな関係はあるはずないというやつもいるだろうし、多くのラブコメ作品では、そんな関係性は序盤に破綻するまでがお決まりの展開だが、生憎俺もこいつも、一切として下心は無い、と思う。実際、四島のチャラ男みたいな言動を見てると、どこをどういう風に見ても惚れる要素がない。
「え、クルミも部活はいるんだ。」
四島は、机に乗った入部届をチラッと見ると、そういった。
「入学当初からあれはダメこれはダメって言ってたクルミが、一体どこに入ろうとしているんだ?もしかして、陸上部?」
「そんなわけないだろ。」
四島は、悪ガキのような亜笑顔で「へへへ」と笑った。
「で、どの部活に入るの?」
「……さぁ、どこだろうな。」
「えー、教えてくれたっていいじゃん。」
そういいながら、俺の机をバシバシと叩く。
はぁ、めんどくさい奴に絡まれた。
俺は、入部届を引き出しに入れた。
Ⅲ
さて、本当にどうしよう。
放課後になっても、俺は決断ができずにいた。
茶道部に入れば、それなりもメリットはある。しかし、俺には軽音サークルという選択肢が残っていることを忘れてはいけない。
加藤先輩の言ったとおり、あの部室はもともとは茶道部のものだ。畳の部屋だし、靴を脱ぐような設計になっていることからも伺える。
が、あそこに置いてあった楽器は、明らかに軽音サークルのものだ。茶道部はギターどころかパソコンなんていらないだろうから。そして、この学校に弦楽を扱う部活は大きく見ても吹奏楽くらい。しかし吹奏楽ははあそこを倉庫とする必要なんてないほど大きな部室を持っている。
つまり、軽音サークルは絶対に存在する。
いやいや、冷静になって考えてみろ。生徒会の先輩がその存在を知らない、すなわち、軽音サークルは不正な部活動であると考えれる。もしそんなのに入って、トラブルに巻き込まれたりするのは、まっぴら御免だ。それに、俺は音楽の経験がほとんどない。最後に楽器に触れたのは、中学校のリコーダーくらいだった。それに俺は、琴の授業で五回連続で弦を切り、小太鼓を破り、電子ピアノをショートさせた経験がある。楽器は得意どころか苦手中の苦手。
そんな俺がそこまでして軽音サークルに入部する理由なんてない。
よし、決まりだ。茶道部に入ろう。
しかし、心の奥では、まだ納得できずにいた、気がする。
俺は、その気分をごまかすように、口笛を吹きながら、例の部室へと向かった。
(旧)茶道部の部室の前には、加藤先輩が立っていた。
俺は、軽く深呼吸をした後に、部室に、加藤先輩に近づく。
先輩は、俺の姿に気付いて、少し明るい表情になりながら近づいてきた。
「えっと、昨日ぶりだね。」
「そう、ですね。」
「……で、茶道部の件、考えてくれた?」
俺は、ゆっくりと、ポケットに手を入れる。
中には、四つ折りになった入部届の感触が、間違いなくした。
これを出せば、俺の高校人生が大きく変わる。そのことは、もう承知の上だった。
紙を掴み、ぱっとポケットの外に出す。
そして、それを加藤先輩に渡そうとした。
その時だった。
「お~い!」
真横から、野太い男の声が響いた。
「は!」
ベッドから勢いよく起き上がる。
1LDKの洋室が視界に入り、安堵の息を吐く。
急いで、横に置いてあるスマホを確認する。
8時30分。今日の講義は9時からあるはずだ。
ヤバい!
俺はベットから急いで出ると、クローゼットを開き服を無造作に取り出した。
着替えながら、俺は今日見た夢を思い出す。
思い返せば、俺の高校生時代は、あの先輩によって輝き、あの先輩によって汚されたのだろう。
もしあのまま、茶道部に入れば。
今でも考えてしまう。
いや、過去のことはどうだっていい。俺は、未来のために講義を欠席するわけにはいかないんだ。
歯磨きを済ませると、ソファに置いてあった鞄を背負い、鍵を持つ。
朝食は、講義終わりでいいか。
俺は、急いで部屋を出た。
______続く




