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胡桃ナオヤがたそがれた日。 Ⅰ

僕に夢をくれた全てのアーティストへ。

 Ⅰ

 人間とは、実に欲深い生き物であると、目の前の光景を見て痛感する。

 嘗ては「欲していたもの」は、手に入れると「失いたくないもの」となる。そしてそれは、手放すと深い絶望感に飲み込まれる。

 俺の手元のスマートフォンには、とあるネットニュースが表示されていた。とあるアーティストの引退発表。そいつは二年前、まさに彗星の如く現れては、YouTubeで100万回、1000万回、1億回再生を連続でたたき出し、ここ最近を代表するアーティストだった。しかし近年、暴露系のインフルエンサーによる楽曲の解析で、AIの使用が疑われると、たちまち炎上騒ぎが起こった。その収束の仕方がこれである。

 そいつは、引退表明と同時に、AIの使用を認めた。ネットニュースのリプには、「裏切られた」「でも僕は好きだよ」のような、励ましと誹謗が玉石混合に散らばっていた。

 「裏切られた」その言葉が、心の中で何度もリピートされた。とある人物の声で、何度も、何度も。過去に言われたその言葉は、脳裏にこびりついて離れなかった。誰に言われたかは思い出せない。思い出したくもない。

 裏切り、なんてものは、相手が勝手に信頼していた人物の堕落によっても言われる言葉である。極めて自己中心的な考え方で、俺はその言葉が嫌いだった。

 欲深い人間は、手に入れたいもの、失いたくないものが思わぬ形でボロを出した時、絶望し、その矛先を躊躇なくそれに向ける。しかし、それを信じることを望んだのは、自分であることには気が付かない。なんとも哀れで、おかしな話だ。

 俺は、胸ポケットから煙草とライターを出した。火に煙草を近づけたとき、今自分が禁煙中であることを思い出し、そっとライターから手を放す。

 座っていたパイプ椅子が軋む音がして、今自分がコンビニのバックヤードで休憩をしていることを思い出す。

 手前の入り口から足音が聞こえてきた。恐らく、同じバイトの川口先輩のものだろう。

 欠伸をすると、さっきまでの謎の疲弊はどこかへ飛んで行ったように感じた。

「お疲れ様~。あっ、クルミくん、何見てるの?」

 案の定、シフトの時間を終えた川口先輩は、俺の元へと近づいてくる。そして、スマホの画面を横からのぞき込むと、

「へぇ~、この人引退しちゃうんだ。私結構好きだったのになぁ~。」

 と呟く。人のスマホを勝手に覗き込んだことには目を瞑っておくとして、川口先輩がこのアーティストを知っていることに驚く。そのことを言うと、

「まぁ、好きなアイドルに曲書き下ろしてたから、それで聴いたりしてたかな。」

 と返ってきた。なんとも変な楽しみ方だ。普通作曲家の名前なんてテロップこそ出るものの無視するものだろう。

「でも、AI?使ってたんでしょ、その人。だったら、引退するのも妥当なんじゃないかなぁ?」

 川口先輩は、当り前のことの様にそう呟いた。この騒ぎはそこまで肥大化していたものだったのだと、少し関心のようなものを覚えた。

「あっ、ところでクルミくん。そのポケットに入ってるのって…?」

 川口先輩は、俺の煙草を指さした。この人が重度のヤニカスであることを思い出し、ため息を吐く。

「ねぇねぇクルミくぅん。君、確か禁煙中なんでしょぉ?その銘柄、前々から気になってたんだよねぇ~。」

 チラ、チラ、という音が聞こえんばかりに、あからさまにこちらに視線を向けてくる。俺は再度ため息をつき、一本の煙草とライターを差し出した。

 川口先輩は、それは嬉しそうにライターで煙草に火をつけ、煙草を口にくわえた。

 バックヤードは禁煙なのにな、と思いつつ、この場で煙草を渡したのは自分であることを思い出す。これは責めれないな。

 そういえば、こんなやりとりを過去にしたことがある気がする。少し考えこみ、思い出そうとしても、相手の顔と名前がどうしても思い出せない。

『なぁ、クルミ。俺、その菓子好きなんだよ。一つ、くれないか?』

 なんとも遠慮のないその声に、俺は鼻で笑った、気がする。

 ただ、同時にその声で、もう一つ、声が聞こえた。

『お前には失望したよ、裏切者。』

 頭を殴られたような痛みが走る。もう、高校生の、あの頃は思い出したくないと、脳内で何度も繰り返される。

 気が付けば、俺の目の前には、ライターを乗せた手があった。

「何ボーっとしてんの?」

 川口先輩が、心配そうに俺の顔色を伺う。

「……いえ、なんでも。」

「これ、ありがとう。返すよ。」

 そういわれた後に、俺はその手に乗ったライターを受け取った。

「さ!もうシフトは終わったし、一緒に帰ろぅ!」

「……そうすね。」

 パイプ椅子から降り、机に置いてあるリュックサックを背負い、俺は裏口の手前にいる先輩を追いかけた。


 Ⅱ

 人生の転機とは、ある時、唐突に降りかかる。

 俺の場合、それは三年前、高校一年生の時に起こった。

『軽音サークル入部者募集!!』

 部活案内のボードにある、小さく、蛍光色で彩られたポスターが、俺の視覚を刺激した。

 時は入学からはや二週間。クラスのみんながぼちぼちと部活に入り始めた時期だった。

 俺の学校では部活は強制参加ではないが、部活の数が多く、歴史があるらしく、この高校の部は毎年全国ニュースで見かける程の知名度だった。俺の同級生の中には、当然と言っていいほど、部活目的で入学したものが何人かいる程だ。

 なので、そんな学校で部活に入らないのは勿体ないと、学年の九割が部活に入部する。俺もその希望者の一人で、この学校に入学する前に、ネットで部活についてリサーチしていた。

 漫画研究会、パソ研、科学、山岳、目を引くものは多く、入学した後の仮入部期間には候補に挙げた部活に何度か仮入部をしたりした。しかし、どれもピンとこず、良い感じと思っているものは事実が盛られていたりと、まあ何とも言えない結果に終わっていた。

 そんななかで色々と見ているうちに、軽音サークルのポスターを見つけた、というわけだ。

 どのサイトにも軽音サークルの存在は書かれておらず、今初めてこのサークルの存在を知った。

 はっきり言えば、好奇心だった。別に楽器は特別好きでもなければ嫌いでもないし、なんなら触った回数でさえ知れていた。家にある楽器と言えば、単身赴任で不在の父が残していったエレキギターくらいだ。それも触ったことすらない。

 ただ、今まで裏切られた期待を、上回ってくれるんじゃないかという考えと、軽音という言葉の印象が楽しそうという好奇心が相まって、気が付けば俺はそのポスターに書かれていた教室に向かっていた。

 今思えば、これは俺の人生を大きく狂わせる第一歩であり、俺の数少ない人生で一番の失態であるだろう。もし仮に、この時に戻れるのなら、俺は足を止めて引き返していたと断言できる。


 Ⅲ

 目覚まし時計の音で、俺は勢いよくベッドから起き上がる。

 さっきのことを思い出し、なんだ、夢か、と、安堵の息を漏らした。

 高校時代の夢、だろうか。もうすっかり忘れていたのに、何で今になって。

 そう思いながら、俺はリビングに向かった。

 寝室のすぐ横にあるリビングの椅子に腰かけ、俺はテレビを見ながらトーストを齧った。マーガリンの塩味が、目覚めたばかりの味覚を呼び覚ます。

 テレビでは、昨夜観たアーティストのニュースについて、専門家を交えて解説や討論を行っていた。専門家は、AI使用の際に生じる著作権などの問題や、動画投稿サイトでの隠し事のしやすさなどを、それは賢そうに語っていた。だが、そんなことは最近の高校生ですら知っている。今更何を言うのだろうか。こんな浅はかな知識で専門家を名乗れるのなら、俺だってなれるだろう。

 トーストを食べ終えた後は、大学の講義に行くための身支度に取り掛かる。

 やや眠気を帯びながら歯磨きをし、顔を洗う。一気に脳が覚醒した気がする。

 私服に着替え、講義に必要な荷物や財布などが入ったリュックサックを背負い、俺は家を出た。


_____続く。

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