第011話 商人との縁
「えーと……た、助かったのか?」
俺とリィンが斃した『影狼王』の前で会話を続けていると、馬車の影から行商人のおっちゃん――ディマスさんが姿を現した。
言葉こそ襲い掛かってきたボス級の魔物を退けられたかどうかを問う態だが、その曰く言い難い曖昧な表情は「いちゃついているところを邪魔して誠にスマン」という類ものである。
馬車の陰に隠れていたとはいえ、すでに脅威が排除されたことなどディマスさんも十分理解できているハズなのだ。
俺も中身はディマスさんと似たようなモノだからよくわかる。
一見して十代にしか見えない美男美女の二人がいい感じを出しているところへのこのこ加わるような真似など、よほど必要に迫られでもしなければ避けて通りたいものなのだ、おっさんという生き物は。
とはいえこの状況下でいつまでも蚊帳の外に置かれているのが落ち着かないのも確かだろうし、状況確認のためにやむなしというところだろう。
「ええ、包囲を仕掛けてきていた13体の『影狼』も、そいつらのボスに当たる『影狼王』も、なんとかすべて倒せました」
ディマスさんにどう見えていたのかは置くとして。俺たちはけしていちゃついていたわけではないので極力素の表情を維持してそう答える。
今の自分の容姿があっちとはまるで違っていることを知識としては理解してはいても、魂というか本能にまだ馴染んでいないのだ俺も。
若者二人、それも美男美女の片割れとして扱われることに慣れているはずなどないので、尻の座りが大変よろしくない。
なんかもにょもにょする。
「いや話には聞いちゃいたけどスゲえもんだな……俺はあのデカブツ――『影狼王』ってのか――が飛んで出てきたときゃ、はい死んだと思ったわ」
俺の言葉に頷き、馬車の半分ほどもある『影狼王』の巨躯が倒れ伏しているのをおっかなびっくり確認しながら、いまだに信じられないというような様子で独り言ちるディマスさん。
それもまたよくわかる話だ。
俺だって「異世界用の俺」でなければ腰を抜かして、信じてなどいない神に祈りを捧げることくらいしかできはしなかっただろう。
ディノスさんにとって「九死に一生を得た」という感想を持つことは、大げさでもなんでもなく事実でしかない。
本来であればどうしようもないはずであった、天災と同義ともいえるボス級魔物の亡骸を目の当たりにすれば、つい先刻までの絶望がぶり返して怖気が走るのも当然の事だろう。
だが、なにを「話に聞いて」いて「スゲえもの」なのかが、俺にはピンとこない。
街道で接敵することなどほとんどないらしい魔物という存在に対して、というのが一番通りのいい理解な気がするが、それにしては微妙な違和感を覚える。
「エルフの嬢ちゃん、ホントにありがとよ。今さらだが名乗らせて欲しい、俺はディマス・ラッカード、ヴァリス都市連盟で行商人をやっている者だ。命の恩人殿のお名前をお聞きしても?」
ああ、なるほど。
ディマスさんは『影狼王』を斃してのけたのはリィンだと確信しているのだ。
ディマスさんの言い方から理解できるのは、まず間違いなく冒険者と看做されている俺であれば、半包囲を仕掛けてきた魔物の群れを斃してのけることは百歩譲ってまだあり得るということと――
『影狼王』級の魔物であっても、エルフであれば倒し得ると思われている――信じられているということだ。
そうでなければ今のディマスさんの言葉はあり得ない。
裏を返せば俺――人では絶対に『影狼王』級を斃せないことが常識だということでもある。
だからこその違和感なのだ。
ディマスさんは変わり者らしいが、今までのそう多くもないやり取りからでもこの世界においてエルフという種族が忌むべき存在――それも怯え、畏れられているというわけではなく、蔑まれている存在だということはなんとなく俺にも理解できている。
これまでのリィンの言動からしても、それはおそらく間違ってはいない。
これもまた間違いなく変わり者であろうディマスさんでさえ、自分の馬車に乗せたリィンの名を聞くこともせず、当然自分の名を名乗ってすらいなかったくらいなのだから。
リィンの今の慌てている様子からすれば、たとえ命の恩人だとしても人がエルフに礼を尽くすことなど、少なくともこの世界においての『常識』ではありえないことなのだろう。
だが『常識』というのであれば、蔑まれるのは弱い存在であるはずだ。
「嫌われる」という方向性は同じくしていたとしても、その対象が強者であった場合は蔑まれるのではなく、怯えられ、畏れられるのが普通なはず。
にもかかわらず人には倒せない魔物をエルフであれば倒せることを当然としながら、弱者が強者を蔑むこともまた当然としている歪さ。
それが俺に違和感を覚えさせた正体なのだ。
「えと、私の名前はリィン・エフィルディスと言います。でもあの、違うんです。倒したのは私じゃなくて……」
「こっちの兄ちゃんだってのか……」
「……はい」
あわあわと否定するリィンの言葉に、ディマスさんが「茫然」の見本のような表情を俺に向けてくる。
少なくともディマスさんの『常識』内にある人――魔物と戦う才能に恵まれた冒険者を含む――には絶対に不可能な離れ業なのだろう、今も目の前に横たわっている『影狼王』を単独で倒すことなど。
勇者や英雄と呼ばれるような歴史に名を残し、いずれ御伽噺で語られるような人物であればまだしも、少なくとも行商人の馬車に乗せてもらって街を目指すような、見るからに駆け出しの若造にできていいことではないのだ。
あるいは馬車の後方の森から『影狼王』が飛び出してくる瞬間まで、突然魔物に包囲されているなどと叫んで飛び出して言った俺のことを、「とんだ気狂いを馬車に乗せてしまった」とでも思っていたのかもしれない。
「えーっと……」
おそらくそうだからこそ、ディマスさんのこの気まずそうな表情なのだ。
だが実際に目の前に武勇譚でしか聞いたことが無いような大型魔物の亡骸がある以上、俺がそれを斃したということをディマスさんも認めるしかない。
この状況でリィンが嘘をつく必要などまるでないのだから。
「堅苦しいのはいいですよ、ディマスさん。俺は真岐 匡臣と言います。リィンと同じようにマサオミって呼んでください」
「いやでも、命を救ってもらっていながらだな……」
だがこの状況は俺にとって都合がいいともいえる。
悪く言えばディマスさんが助かったのはついでのようなものであり、俺にしてみれば自助の結果でしかない。
無理を承知で、それでも助けようとしてくれたリィンとはちょいと違うのだ。
それでも勝手に相手が俺に対して気まずさを感じ、命の恩人と思ってくれているのであれば話の通りをよくするのはそう難しいことではないだろう。
「それより勝手に食料を食べてしまったので、お支払いはどうしたらいいですか」
「は? 食料? そんな時間あったか? いやもうすぐ街にゃ着くし、命救ってもらっといて飯代水代請求するほど恩知らずじゃねえけどよ」
御者台を確認して「あ、ほんとだ、いつの間に」などと言いつつ、ディマスさんは食糧の無断拝借に関しては不問にしてくれるつもりらしい。
命の対価としては確かに格安かもしれないが、長距離を移動する行商人にしてみれば水や食料は商品と同じくらい大事なもののはず。
場合によっては命と等価と言っても過言ではない。
ディマスさんも基本的にはやはり「いい人」なんだと思う。
「現物払いでかまいませんか?」
「現物払いって?」
「いや、倒した魔物とかでも代金代わりになるのかな? って……」
だからこそ、その善意に付け込むような真似はしたくない。
本当に無一文であれば「いつの日か必ずお支払いします」という約束をするしか手はないが、今の俺は狩った魔物そのものや、それを分解した結果得た『魔石』や『ドロップ武器』をいくつも所有している。
それらがどの程度の価値なのかはまだ分からない。
とはいえ冒険者が稼業として成立している世界なのだ、無価値ということだけはあり得まい。
「……いったいどこの山奥で修業していたんだ、この命の恩人様は」
だが俺が拝借した食料の対価として魔物の提供を提示したことは、俺の世間知らずぶりを強調する結果にしかならなかったようである。
本気であきれたように天を仰いだディマスさんの表情が、それを雄弁に物語っている。
とはいえその瞳に行商人としての欲が一瞬浮かんだことも確かだ。
中身がディマスさんと近しいおっさんである俺は、そういう反応は見逃さない。
「ですよね。エルフに対する態度もなんだか……」
「言われてみりゃ確かにそうだな」
リィンはリィンで、自身の種族であるエルフに対する俺の態度から、ディマスさんと同じく俺が相当な「世間知らず」であることをほぼ確信している。
そして俺が本当の意味でエルフというものを知らないという見解は、人であるディマスさんからしても同じようである。
立ち位置も価値観も違う両者――人とエルフの見解が一致することによって、俺がどうやら相当な世間知らず――一般的な世間から隔絶された環境で生きてきた人だと認定されているらしい。
さすがにモノの例えとしてはアリでも、本気で「異世界人」だなどとは思ってはいまい。
どういうカラクリなのかは知らないが、普通に会話もできていることだしな。
『常識』を知らない者のらしさとしては、隔絶した戦闘能力というものは結構な説得力、根拠となり得るモノなのだろう。
どこぞの山奥で引退した英雄だの賢者だのに育てられ、修行に明け暮れていた主人公がふらりと人里に降りてきたという状況である。
普通の人であれば絶対にできないことを実際にやらかしているために、普通の人から乖離した言動が逆に自然に思えてしまう。
というかそうであってこそ、目の前の「ありえない」を納得することができるのかもしれない。
「あのー」
俺への見解で妙な意気投合をして話し出しているらしい二人に対して声をかける。
この際、その思い込みを利用して知っておくべきこの世界における『常識』を知るいい機会だ。
行商人であるディマスさんだけではなく、エルフであるリィンから見たこの世界の『常識』を、街に入る前に知っておけるのは正直なところありがたい。
街では最低限の「ふつうのフリ」ができるようになるからだ。
「いやすまねえ。そりゃ狩った魔物を売ってもらえるってんなら、行商人の俺としちゃ万々歳だ。きっちり対価も払わせてもらう。だが命の恩人に対して詐欺みたいな商売はしたくねえから、きっちり説明させてくれるか。それだけの強さを身につけるためたぁいえ、マサオミはあまりにも常識を知らなすぎるからよ」
「……助かります」
人間離れした戦闘能力を持ち、そのわりには常識を知らない俺に対して、ディマスさんの商人としての嗅覚が利益の匂いを嗅ぎ取ったことは間違いない。
でありながらため息一つでその利益を手放そうとしているということは、ディマスさんは目先の利益よりも優先すべきものを持ったヒトだということだ。
第三者であるリィンのいる前で説明をしようとしてくれているということは、嘘をつくつもりなどハナから無いということだろうし。
こういう真っ当な商人と誼を持てるのは俺にとっても利益がある。
そして双方にきちんと利益があってこそ、商売は商売たり得る。
そうでなければそれは商売ではなく、詐取か搾取だと思うのだ。
ディマスさんはただいい人だというだけではなく、莫大な利益の匂いを感じ取ったからこそ目先の利益を得るだけではなく、恒常的な利益確保の道を模索しようとしている。
つまりディマスさんは俺から「魔物を買い取る」ことに間違いなく魅力を感じている。
だからこそ、それがどういうことなのかを俺にきちんと理解させようとしてくれているのだ。




