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第二話 幸せのフルル

数時間後。

夕暮れが近づくころ、港町最大の円形劇場には、次々と人が集まり始めていた。

石造りの客席は何段にも積み重なり、数え切れないほどの観客で埋め尽くされていく。

家族連れ。

船員。

商人。

旅人。

異国の人々。

皆が期待に胸を躍らせながら、舞台を見つめていた。

舞台は三方向から中央へ向かって緩やかな階段が伸び、その奥には巨大な白い幕が張られている。

照明が一斉に灯り始めると、会場全体が幻想的な光に包まれた。


舞台袖では、ERSの三人が静かに目を閉じていた。

エミリアが深く息を吸う。

リリアナは耳を澄ませるように目を閉じる。

ソフィアは舞台全体を見渡し、音が届く方向を静かに確かめていた。

マルタが小さくうなずく。

「それでは、お願いします。」

三人は同時に歩き出した。

中央。

左。

右。

イントロが流れ出す。

それぞれの階段から、ゆっくりと舞台中央へ降りていく。

エミリアが特技を発動した。

リリアナが特技を発動した。

ソフィアが特技を発動した。

三人そろって発動した。


ほんの数秒。


「まばゆいひかり──」


エミリアが静かに歌い始める。

その瞬間、会場から音が消えた。

話し声も。

子どもの笑い声も。

港から聞こえていた波音さえ、遠くへ消えてしまったように感じる。

そこに残っていたのは、エミリアの歌声だけだった。

誰も動かない。

誰も目を離さない。

舞台へ向かう三人だけが、ゆっくりと時間を進めていた。

舞台中央まで降りた三人は、顔を上げた。

観客は誰一人、身じろぎしない。

老人は目を閉じ、幼い子どもは母親の手を握ったまま舞台を見つめる。

港で日に焼けた船乗りも、豪商らしき男も、旅芸人も。

国も身分も関係なく、すべての人の心が同じ場所へ引き寄せられていた。

歌声はさらに深く、人々の胸へと届いていく。


舞台袖では、スタッフたちが息をのんでいた。

「今の何……。」

一人の女性スタッフが思わずつぶやく。

「あの『まばゆいひかり』……。」

「心の奥に直接響いたわ。」

別の男性スタッフも、胸に手を当てた。

「ドン、と来ました。」

「私の心、一瞬で全部持っていかれました。」

ローザは舞台を見つめたまま言った。

「すごい……。」

「あの子たち、本当にすごいわ。」

その隣でミレイもうなずく。

「さすがサーシャさんが選んだ人たちですね。」


一曲目が終わると、会場は歓声に包まれた。

二曲目。

三曲目。

曲が進むたび、歓声は大きくなっていく。

やがて司会役のマルタが舞台袖から声を掛ける。

「最後の曲です!」

歌い終えた三人が深く一礼すると、再び万雷の拍手が降り注いだ。


マルタがミレイの方へ向き直る。

「ミレイ様、スタンバイお願いします。」

ミレイは小さくうなずく。

「なんかちょっと緊張するな。」

「ミュウミュウ」

「フルルに励まされちゃった。フルル、ありがとう。」

「大丈夫。」

ミレイはそっとフルルのふわふわ頭をなでる。

そして、前を向いた。

「皆さん。」

「今日は最後に、私たちのかわいいマスコット、ふわふわフルルを紹介します。」

客席が静まり返る。

「ふわふわフルルの生みの親、ミレイさん、どうぞ!」


スポットライトが中央階段を照らした。

ミレイが一歩ずつ舞台へ姿を現す。


その瞬間だった。


劇場の上空に設置された巨大なスクリーンへ、ミレイの姿が大きく映し出された。

客席がどよめく。

「おおっ!」

「何だ、あれ!」

「舞台が空に映ってるぞ!」

「こんなの初めて見た!」

驚きの声が、あちこちから上がる。

映像はミレイの姿を鮮明に映し出していた。

ところが、その右下に、白くて丸いものが、ふわりと現れる。

「あれ?」

「何だ?」

「……饅頭《まんじゅう》?」

「うん、海鮮饅頭だ。」

客席から笑いが漏れる。


舞台袖では、マルタが目を見開いた。

「あんた!」

「何やってんの!」

鋭い声に、ポロックが肩をすくめる。

「あ……ごめんなさい。」

「すぐ消します。」

「ちょっと、お腹すいてたもので。」

「もおお!」

ポロックは慌てて両手を振る。

すると饅頭は、煙のようにふっと消えた。

ローザが驚いた顔で尋ねる。

「どうしたんですか?」

マルタは額に手を当て、大きくため息をつく。

「この人ね」

「この人の特技『映すぞ』は、自分が今考えているものまで一緒に映っちゃうんですよ。」

「ポンコツ映像技師なんです。」

ポロックは頭をかきながら苦笑いする。

「面目ありません。」

そのやり取りに、舞台袖では思わず笑いが起こった。


映像は何事もなかったように切り替わり、今度は肩に乗ったフルルが画面いっぱいに映し出された。

会場のあちこちから歓声が上がった。

「かわいい!」

「あれかあ、あれ、ふわふわフルルっていうんだ。」

「町でよく見かけたあれか。」

そしてエミリアが静かに口を開いた。

「それでは、お聴きください。」

「私たちのデビュー曲――」

「幸せのフルル。」


エミリアは静かに目を閉じた。

劇場を包んでいた熱気が、すっと引いていく。

その静寂の中、ゆっくりと息を吸い込み、優しく歌い始めた。


「♪ きみのこころ──」


たったワンフレーズだけ、心に響く声。

そして元に戻る。

柔らかく。

温かく。

まるで、大切な人へ語りかけるような声に。


その瞬間だった。

会場の空気が変わった。


最前列にいた少女が、小さく息をのむ。

「なんか、素敵。」

年老いた女性が思わず胸に手を当てる。

「幸せすぎて、涙が出そう。」

港で働く船乗りは腕を組んだまま目を閉じた。


舞台袖でも、その空気を感じていた。

ローザは思わず目を細める。

「この子……。」

「本当に幸せを運んでいるのね。」

ヴィクトリアも静かに腕を組む。

「まさに奇跡の少女と不思議なフルルね。」

その一言に、突貫組の仲間たちもうなずいた。


一方、ポロックは舞台とスクリーンに映る映像を交互に見ていた。

巨大なスクリーンには、歌うERSの三人と、ミレイの肩の上で小さく揺れるフルルが大きく映し出されている。

今度は余計なものは何も映っていない。

マルタが横目で見る。

「ちゃんと映ってるわね。」

「はい!」

ポロックは真剣な表情でうなずく。

「今度は大丈夫です!」

「今度はって……。」

マルタは苦笑しながらも、その映像の美しさに思わず見入ってしまった。


歌は二番へ。

「♪ きみのえがお──」

誰もが自然と笑顔になっていた。

知らない者同士が目を合わせ、微笑み合う。

泣いていた幼い子どもが笑う。

最後の一節が静かに歌われる。


「♪ ありがとう──」


その瞬間。

劇場は静まり返った。


数秒。

いや、十数秒だったかもしれない。


静寂を破ったのは、客席最後方にいた一人の少年だった。


「フルル!」


その一声が劇場中へ響く。


次の瞬間。


「フルル!」

「フルル!」


あちらこちらから声が上がり、それは瞬く間に大きな波となる。

やがて何千人もの声が一つになった。


「フルル! フルル! フルル!」


円形劇場が揺れるほどの大歓声。

手拍子が鳴り響き、人々は立ち上がって声を張り上げる。

その光景を見つめながら、ミレイは肩のフルルをそっとなでた。

「よかったね、フルル。」

フルルは胸を張るように小さく体を揺らし、誇らしげに鳴いた。

「ミュウ!」


会場全体を揺るがす大歓声は、いつまでも鳴りやまなかった。

何千人もの観客が立ち上がり、手を振りながらフルルの名を呼び続けている。

「アンコール!」

「アンコール!」

あちこちから声が飛び交い、その熱気は港町の夜空へと吸い込まれていった。


ERSの三人は顔を見合わせる。

エミリアが小さくうなずいた。

再び演奏が始まると、会場から割れんばかりの歓声が上がった。


もう特技はいらない。


三人はいつもの歌声で歌い始めた。

しかし、観客の熱狂は少しも変わらない。

手拍子が自然とそろい、大合唱が起こる。

子どもたちは肩車の上で歌い、大人たちは笑顔でリズムを刻む。

知らない者同士が肩を組み、一緒になって歌っていた。


ミレイは舞台の袖から、その光景を見つめる。

「すごい……。」

思わず漏れた言葉に、ローザが優しく微笑んだ。

「もう、みんなERSとフルルのファンね。」

肩の上のフルルも、嬉しそうにふわふわ綿毛を揺らしている。


フローラは、舞台を見つめたまま静かにつぶやいた。

「最初の歌……本当に驚きました。」

「あれは耳で聴く歌じゃありませんでした。まるで心そのものに、そっと語りかけられたようでした。」

「ほんの一瞬だったのに、会場中の人たちの心が一つになってしまいましたね。」

肩の上で嬉しそうに揺れるフルルへ視線を移し、柔らかく微笑む。

「そして今度は、この子……。」

「フルルは誰かを興奮させるんじゃなくて、みんなの心を幸せで満たしてしまうんですね。」

「こんなにも大勢の人が、同じ幸せを感じて笑顔になっている光景なんて、私は初めて見ました。」

少し前で舞台を見つめるミレイの後ろ姿を見ながら、小さく続ける。

「ミレイさんとフルル、本当に素敵な出会いだったんですね。」


「終わったぁー!」


エミリアが座り込む。

ソフィアが抱きついてくる。

そして、リリアナも。

三人で抱きしめ合いながら、一斉に、

「楽しかった~。」

そして大声で笑い出す。

「大成功ですね。ご苦労さまでした。」

マルタも満面の笑みだった。

スタッフたちから自然と拍手が起こる。

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