第13話:三流の悪役と、氷の女王の帰還
昼休みの生徒会室は、さながら魔女裁判のような重苦しい空気に包まれていた。
「……白峰会長。もうタイムリミットです。今日の放課後までにポスターを印刷所に回さなければ、文化祭のスケジュールに致命的な遅れが出ます。どう責任を取るつもりですか」
副会長の長谷川が、冷ややかな声で莉音を責め立てる。
長机の端では、ポスターの制作者である美術部の織田が「俺はまた描けばいいから……」と弱々しく被害者を演じ、実行委員の佐藤が「会長、大丈夫ですか?」と甲斐甲斐しく莉音の背中をさすっている。
完璧だった生徒会長が、周囲の同情と糾弾によってジワジワと追い詰められ、その仮面を剥がされようとしている瞬間。
――ガラッ!
俺はわざと乱暴な音を立てて、生徒会室の引き戸を開けた。
「……誰だ、君は。今は生徒会役員以外は立ち入り禁止だぞ」
長谷川が不快げに眉をひそめる。
俺は気怠げに首の後ろを掻きながら、室内の中心へと歩みを進めた。
「図書委員のパシリだよ。会長に急ぎの書類のサインをもらいに来たんだが……なんだ、お取り込み中か? ずいぶんと安っぽい三文芝居をやってるみたいだな」
「三文芝居だと……? 君、出て行きたまえ!」
「まあ待てよ、長谷川。お前はただの真面目な馬鹿だから放っておくとして……俺に用があるのはそっちの二人だ」
俺は真っ直ぐに、織田と佐藤の前に立った。
莉音は俺の登場にハッと息を呑んだが、昨日「ただ完璧な会長として座っていろ」と指示した通り、黙って姿勢を正した。
「……僕たちに、何か用かな? こっちは被害者なんだけど」
「被害者ねえ。自分の手で自分の絵を切り刻んでおいて、よく言うぜ」
俺はポケットから、昨日美術室のゴミ箱から回収した『ポスターの切れ端』を取り出し、長机の上に放り投げた。
それを見た瞬間、織田の顔からサッと血の気が引いた。佐藤も小さく「あっ」と声を漏らす。
「お前ら、ミステリーの読みすぎだ。保管箱のダイヤル錠をどうやって開けたか……そんなのはトリックでも何でもない。そこの実行委員の佐藤が、昨日片付けの時に莉音の背後からダイヤルの番号を盗み見て、あとで織田にLINEで教えただけだろ」
静まり返る生徒会室。
長谷川が「佐藤……本当なのか?」と鋭い視線を向けると、佐藤はガタガタと震え始めた。
「俺が昨日、ちょっとカマをかけて『ダイヤル番号漏れてない?』って聞いたら、佐藤の奴、わかりやすくスマホの履歴を消そうとしてたからな。……で、織田。お前は放課後、誰もいなくなったこの部屋に忍び込んで箱を開け、自分のポスターを取り出して、ハサミで切り刻んだ」
「な、なんの証拠があって……っ!」
「証拠なら、お前の美術室のロッカーの中を教師に開けさせればいくらでも出てくるぞ。これはその一部だ。……言い逃れできるか?」
織田はギリッと歯を食いしばり、やがてその顔を醜く歪ませた。
被害者の仮面が剥がれ落ち、そこからドロドロとした『悪意』が顔を出す。
「……そうだよ! 俺がやったんだよ! 悪いかよ!」
織田は机をバンッと叩き、莉音を強く睨みつけた。
「中学の頃から……俺がいくら努力しても、お前はいつも涼しい顔で全部持っていく! 今回だってそうだ。俺が徹夜で描いたポスターを、お前は『とても効率的でいいデザインね』って……ただの作業みたいに! お前のその完璧な仮面が、俺は昔から反吐が出るほど嫌いだったんだよ!」
「……っ」
「だから困らせてやりたかった! お前が泣いて、惨めに謝るところを見てやりたかったんだよ!」
その怒号に便乗するように、佐藤も泣き崩れながら叫んだ。
「私だって……っ。会長はいつも完璧で、私たちのことなんて歯牙にもかけてなくて……一度くらい、私たちがいないとダメなんだって、泣きついてほしかった……っ!」
これが、現実の悪意。
嫉妬、劣等感、そして歪んだ自己顕示欲。
昨日、莉音が「信じたくない」と言っていた、身近な人間の黒い感情が、今、彼女の目の前に全てぶちまけられた。
長谷川は信じられないものを見るような目で二人を見ていた。
さて、俺の『編集者』としての仕事はここまでだ。
(さあ、白峰。昨日、血反吐を吐きながら書いたお前の『答え』を、こいつらに見せてやれ)
俺が視線を向けると、莉音はゆっくりと椅子から立ち上がった。
その顔には、昨日までの怯えや戸惑いは一切なかった。
あるのは、氷点下のように冷たく、そして圧倒的な『支配者』の眼差しだった。
「……くだらないわね」
莉音の口から紡がれたのは、絶対零度の声だった。
織田と佐藤が、ビクッと肩を震わせる。
「私の仮面を剥がすため。私を泣かせるため。……そんな取るに足らない自己満足のために、全校生徒が楽しみにしている文化祭を台無しにしようとしたの?」
「うっ、うるさい! お前に俺たちの気持ちが――」
「ええ、わからないわ。わかる必要もない。あなたたちのそれは、ただの甘えよ」
莉音は冷徹に言い放ち、一歩前へ出た。
その姿は、彼女が昨夜書き上げた小説のヒロイン――悪意に屈せず、すべてを氷で覆い尽くす気高き魔法使いそのものだった。
「織田君、佐藤さん。あなたたちの処分について、職員会議にかけることもできるわ。……でも、そんなことをすれば、文化祭に泥を塗ることになる」
「じゃ、じゃあ……」
「明日の朝イチ。それがタイムリミットよ」
莉音は長机に両手をつき、織田の目を真っ直ぐに射抜いた。
「織田君。あなたは明日の朝までに、切り刻んだものよりも遥かに素晴らしい、誰もが息を呑むようなポスターをもう一度描き上げなさい。佐藤さん、あなたはそのサポートを全力でしなさい。……もしそれができなければ、この切れ端を持って、私が直々に先生に報告するわ」
「あ、明日の朝までなんて、無茶だ……!」
「無茶じゃないわ。あなたが本気で私に勝ちたいなら、姑息な真似じゃなくて、自分の『作品』で私を黙らせてみなさい」
圧倒的なプレッシャー。
それは、被害者のものでも、いじめられっ子のものでもない。完璧な『生徒会長』としての絶対的な命令だった。
織田は完全に気圧され、へたり込むように床に膝をついた。佐藤も声を出さずに泣きじゃくっている。
勝負は、完全に決した。
「……長谷川副会長。そういうことで、スケジュールの調整をお願い。まだ挽回できるわね?」
「は、はい……! 直ちに各所に手配します!」
長谷川もまた、莉音の気迫に呑まれ、慌ててタブレットを操作し始めた。
*
放課後。
純喫茶『琥珀』の指定席で、莉音は机に突っ伏して「はうぅ……」と奇声を上げていた。
「し、死ぬかと思った……! 足、ガクガクだったのよ!? 夏目さんが隣でニヤニヤしてるから、強がるしかなかったじゃない!」
氷の女王の面影はどこへやら、今の彼女は完全に限界を迎えたポンコツ作家である。
俺は笑いを堪えながら、彼女の頭にポンと手を置いた。
「上出来だ。お前の言葉、完全に昨日の暗黒騎士を圧倒したヒロインのセリフだったぞ。……悪意に触れて、少しは世界の見方が変わったか?」
俺の言葉に、莉音は顔を上げ、少しだけ真剣な表情になった。
「……うん。怖かったけど、今は少しだけわかる気がする。人間って、綺麗事だけじゃない。ズルくて、弱くて、だからこそ……そういう感情を描く物語には、深みが出るのね」
「その通りだ。お前の小説の敵役も、これでただの『悪い奴』から『血の通った人間』に昇華される。……PVも、まだまだ伸びるぞ」
夕日に照らされる喫茶店。
莉音は自分のノートパソコンを開き、愛おしそうに画面を見つめた。
「……夏目さん。私、もっといろんな感情を知りたい。もっとたくさんのお話を書きたい」
「ああ。付き合ってやるよ、毒食らわば皿までだ」
こうして、青海高校を揺るがしたポスター消失事件は、誰の目にも触れることなく秘密裏に解決し――俺たちのWEB小説は、いよいよ最初の大きなクライマックスへと向けて、加速していくのだった。




