第1話:無気力な本屋店員と、怪しすぎる不審者
何かに影響された作品です。
1部完結済みですので毎日投稿します。
ひとまずは一挙に5話分どうぞ
物語の構造というのは、たいていの場合、残酷なまでに理不尽だ。
主人公には乗り越えるべき試練が与えられ、ヒロインは都合よくピンチに陥り、悪役は倒されるためだけにヘイトを溜め込む。
すべては「読者」という神様を楽しませるため、作者の手によって巧妙に計算され、配置された舞台装置にすぎない。
だからこそ、俺は現実世界が嫌いだった。
現実には、劇的な伏線もなければ、カタルシスを約束された見せ場もない。ただ平坦で、退屈で、救いのない日常がダラダラと続いていくだけだ。
かつて俺は、そんな退屈な現実に抗うために、自分だけの物語を紡ごうとしたことがあった。
結果はどうだったか。
見事に大爆死だ。俺の書いた物語は世間の誰の心にも届かず、たった一巻で打ち切られ、あっけなく絶版になった。
元・商業作家、文月ソウ。
それが、十七歳の高校生である俺、夏目創の、誰にも言えない過去の墓標である。
「……はあ」
休日の午後。駅前の裏路地にある古びた書店『文教堂』のレジカウンターで、俺は深々とため息をついた。
季節を問わず羽織っているゆるいカーディガンのポケットに手を突っ込みながら、気怠い視線を店内に向ける。
インクと古い紙の匂いが漂う店内には、数人の客がまばらにいるだけだ。
週末だというのにこの客入りでは、この本屋も俺の小説と同じように、遠からず打ち切りの憂き目に遭うかもしれない。
「おい夏目。ため息なんかついてないで、しっかり監視しろ。最近この時間は万引きが多いんだからな」
不機嫌そうな声とともに、バックヤードから先輩アルバイトの郷田が姿を現した。
年齢は二十代半ば。就職浪人中だというこの先輩は、なぜか万引き犯を捕まえることに異常なまでの執念を燃やしている。まるで自分が正義のヒーローにでもなったかのように、常に客を疑いの目で見ているのだ。
「……はいはい。見てますよ、一応」
俺は適当に生返事をしながら、眠たげな三白眼をこすった。
昨夜もつい、海外の古典ミステリを読み耽ってしまい、目の下にはうっすらとクマができている。そもそも、こんな過疎っている本屋で万引きなんて起きるはずがない。
そう思っていた、矢先のことだった。
ウィーン、という間の抜けた電子音とともに、自動ドアが開いた。
西日に照らされて店内に入ってきた『それ』を見た瞬間、俺は危うく飲みかけていたペットボトルの麦茶を吹き出しそうになった。
(……なんだ、あれは)
俺は目を疑った。郷田先輩も、目を丸くして入り口を凝視している。
入ってきたのは、一人の女性客だった。
いや、女性客という表現は正確ではない。完全に『不審者』のルックだった。
つばの異様に広い女優帽を目深に被り、顔の半分を覆い隠すような真っ黒なサングラス。さらにその下には、不自然なほど分厚い白いマスク。
極めつけは、まだ少し汗ばむ季節だというのに、足元まであるベージュのトレンチコートの襟を立てて、前をきっちりと閉めている。
まるで、昭和のスパイ映画から抜け出してきたかのような、古典的かつ絶望的にセンスのない変装だった。
「……おい、夏目。あいつ、絶対にヤル気だぞ。見ろ、あの怪しすぎる風体」
郷田先輩がレジカウンターの下に隠れるように屈み込み、興奮した声で囁いてくる。
いや、ヤル気ってなんだよ。万引き犯がわざわざ「私は怪しい者です」と自己主張しながら入店してくるわけがないだろう。
俺は呆れ果てながら、その不審者を観察した。
本人は『完璧に周囲の風景に溶け込んでいる』つもりなのかもしれないが、すれ違う客が全員、ぎょっとして道を譲っていることに全く気づいていない。
抜き足差し足のような奇妙な歩き方で、彼女は迷うことなく店の奥――ライトノベルのコーナーへと向かっていった。
(……なるほどな)
俺は冷静に分析を始める。
あの変装の意図は、犯罪行為のためではない。単純に『本屋にいる自分を、絶対に誰にも見られたくない』という強烈な自意識の表れだ。
歩き方のぎこちなさ、トレンチコートの裾からわずかに覗く、手入れの行き届いた黒のローファー。そして、本棚を見上げる際の姿勢の良さ。
年齢はおそらく十代後半。俺と同世代の女子高生だ。
普段はあんな奇抜な格好をするような人種ではない。むしろ、周囲から『真面目』や『優等生』といったレッテルを貼られているタイプの人間だろう。
そんな彼女が、なぜあそこまでして本屋で身分を隠す必要があるのか。
答えは簡単だ。彼女が今、食い入るように見つめている本棚のラインナップにある。
(……異世界転生、溺愛ラブコメ、悪役令嬢もの)
彼女は、ライトノベルのコーナーの前に立ち尽くし、震える手で一冊の文庫本を手に取っていた。
表紙には、露出の多い美少女キャラクターと、やたらと長いタイトルがデカデカと印字されている。
普段の『優等生』という仮面を被った彼女にとって、あのようなオタク向けのコンテンツを立ち読みし、あまつさえレジに持っていく行為は、社会的な死を意味するのだろう。
だからこその、あの不審者ルックだ。
本人は完璧な隠密行動のつもりなのだろうが、傍から見ればただの奇行である。
(……まあ、気持ちはわからなくもないが。やり方がポンコツすぎるだろ)
俺は密かにため息をついた。
かつて俺も、自分の書いた小説が本屋に並んだ日、変装して遠くから自分の本を監視したことがある。あの時の痛々しい自分を見ているようで、なんだかいたたまれない気持ちになってきた。
彼女は周囲をキョロキョロと見渡し、防犯カメラの死角になる本棚の影へと移動した。
手には、先ほど手に取ったラブコメ小説の『一巻』と『二巻』が握られている。裏表紙のあらすじを読んでいるのか、マスク越しの息遣いが荒い。
だが、俺の隣にいる郷田先輩にとっては、そんな彼女のオタク的な葛藤など知ったことではなかった。
「……ビンゴだ。防犯カメラの死角に入ったぞ。夏目、俺は裏から回り込む。お前は入り口を塞げ」
「いや、先輩。あれはただの恥ずかしがり屋なだけで――」
「馬鹿野郎! あんな風体の奴が真っ当な客なわけあるか! 現行犯でとっ捕まえてやる!」
俺が止める間もなく、郷田先輩は鼻息を荒くしてレジを飛び出していった。
やれやれ、と俺は前髪をかき上げる。あの先輩の暴走癖には本当に辟易する。
その時だった。
彼女が立っている本棚の反対側で、ドサッ、という鈍い音が響いた。
おそらく、別の客が雑に本を戻したか、棚の整理が甘かったせいで、面陳列されていた新刊が崩れ落ちたのだろう。
不審者(彼女)の足元に、分厚い新刊のライトノベルが一冊、滑り落ちる。
彼女が「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、落ちた本を拾おうと身を屈めた、まさにその瞬間だった。
「――そこまでだ!!」
本棚の影から、郷田先輩が鬼の形相で飛び出してきた。
「な、なんですかっ!?」
突然の怒声に、彼女は素っ頓狂な裏返った声を上げた。
サングラスがズレて、その奥にある怯えたような大きな瞳が露わになる。
「とぼけるな! 今、その本を自分の鞄に入れようとしただろうが!」
「ち、違います! これはただ落ちてきただけで……!」
「言い訳はバックヤードで聞く! 大体なんだその怪しい格好は! やましいことがないなら、今すぐその帽子とマスクを取ってみろ!」
郷田先輩の容赦のない追及に、彼女の肩がビクッと大きく跳ねた。
帽子とマスクを取れ。その言葉は、彼女にとって死刑宣告に等しいのだろう。
ここで正体を明かせば、あんなポンコツな変装をしてまで隠したかった『オタク趣味』が、万引き騒動という最悪の形で白日の下に晒されてしまう。学校に連絡でもされれば、彼女の築き上げてきた完璧な日常は崩壊する。
「あ……ぅ……」
彼女は反論することもできず、ただ小刻みに震えながら、手にある『一巻』と『二巻』をギュッと抱きしめた。
その姿は、俺がかつて書いた小説のヒロインのように、理不尽な状況に追い詰められ、誰にも助けを求められないまま孤独に凍えているように見えた。
(……面倒くさいことになったな)
俺は再び、深くため息をついた。
放っておけばいい。ただのバイト店員である俺が、首を突っ込む義理なんてどこにもない。
現実には、ご都合主義な名探偵も、ピンチを救ってくれるヒーローも存在しないのだから。
――だが、俺の頭の中に染み付いた『物語のロジック』が、告げていた。
この状況は、ミステリとして決定的に破綻している、と。
「……しゃあない」
俺はカーディガンのポケットから手を抜き、首をコキリと鳴らした。
眠たげな目をわずかに細め、レジカウンターの外へと足を踏み出す。
現実がクソみたいな三流の悲劇だというなら。
俺がほんの少しだけ、この理不尽なプロットを書き換えてやる。




