9 処世術
「満足したなら、とっとと帰りなさい」
「は、はい!」
衝撃で酔いが覚めたのか、男は金貨をいっぱいに抱えたまますぐにこの場を立ち去って行った。
男が去ったあと、拍手が沸き起こった。
貴族に勇敢に立ち向かったフルールを称賛するものだった。
「お姉ちゃん、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
フルールは少女の頭を優しく撫でた。
「これはお礼です、お代はいりません」
「あら……綺麗な薔薇ね」
少女がフルールに渡したのは、売り物の薔薇だった。
どうやら彼女は花売りをしていたようだ。
「花瓶に生けて、大切にしてくれると嬉しいです……」
「そうするわ、ありがとう」
フルールが柔らかく微笑むと、少女は嬉しそうに頬を染めた。
この笑顔を守れたのなら、五十万ゴールドなんて金額大したことはなかった。
(でも、彼の言っていたことは案外正しかったのね……)
フルールは王妃のサロンへ行く数日前の出来事を思い浮かべた。
あの日、アレクシスはフルールに処世術を教えてやると言い、彼女の首の後ろを掴んで引き寄せた。
フルールはドキドキしながらも、じっと耳を傾けていた。
『困難に直面したときはな、まずは相手を脅迫しろ』
『きょ、脅迫!?』
フルールは狼狽えた。
何てことを言うのか。前世なられっきとした犯罪に値する行為だ。
(脅迫だなんて……そんなこと私には絶対できないわ!)
フルールは当然、彼の言葉を真に受けなかった。
そんなことをしたら彼女が捕まってしまう。
『それでもダメなときはな、金で解決するんだよ……』
『お、お金ですか……?』
またまた馬鹿げたことを。お金で全て解決するだなんて、どこかの大悪党が言いそうなセリフだ。
『金があれば何でもできる。貴族ですら金を前にひれ伏し、国家権力すらも動かせる』
『こ、公爵様……』
暴論ではあるが、彼が言うとやけに説得力があった。
(彼の処世術を使う日が本当に訪れるとはね……)
フルールは先ほどの金貨をかき集める男の姿を思い浮かべた。
あれが侯爵家の当主とは、世も末だ。
フルールがばら撒いたお金は、結婚したときに実家から持ってきた持参金だ。
ルースはその存在を忘れていたのか、持参金はほとんど手付かずだった。
グロリア伯爵家の忘れ去られた正妻・フルールのように金庫に置きっぱなしになっていたのである。
(持参金が残っていたことに気が付いたのはつい最近だったけれど……こういうところで役に立ったようでよかったわ)
じっとその場に立ち尽くしていたフルールに、周囲の人々が押し寄せた。
「お姉さん、さっきの超かっこよかったよ!これ、もらっていって!」
「私からもプレゼント!勇敢なお姉さんに乾杯!」
「ファンになりました!僕の気持ちを受け取ってください!」
お菓子にお酒、花束や屋台に売っていた装飾品類まで。
フルールの両手はあっという間に彼らからのプレゼントでいっぱいになった。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ……」
フルールの制止の声も聞かず、吟遊詩人たちは勝利の音楽を奏で始めた。
花売りの少女は辺りに花びらを撒き、踊り子は音楽に合わせて踊っている。
フルールはその中心で、一人呆然としていた。
贈り物で塞がれた両手は、自由に動かすことができない。
周囲からの注目を集めている今、こっそりとこの場から立ち去ることもできそうになかった。
だ、誰か私を助けて――!
フルールは心の中で叫んだが、いくら待っても彼女を救ってくれるヒーローは訪れなかった。




