8 王都でのトラブル
衣料品店を出たあと、フルールはブラブラと首都を歩いていた。
次はどこに行こうか、と考えながら散歩していたそのとき、ある光景が視界の端に映った。
――「テメェ、どうしてくれんだよ!!!」
穏やかな広場に、突如として響き渡る怒声。
和気あいあいと話していた人々は一瞬にして静まり返った。
「す、すみません……前を見てなくて……」
「ふざけんな!俺は貴族だぞ!」
弱々しい幼い女の子の声に、再び響く男の荒々しい声。
その二つで、フルールは大体の状況を理解することができた。
(やっぱり、そういうことね……)
野次馬たちをかき分けて近くまで行ってみると、三十くらいの男が幼い少女を前に声を荒らげていた。
足元には、割れたメガネの破片が散乱していた。
どうやら二人はぶつかってしまい、その拍子で女の子が床に落ちた男のメガネを踏んでしまったようだった。
男は平民にしては高価な服を着ており、その姿は貴族に見えた。
(さっき貴族って言ってたし……平民じゃどうにもできないわよね)
周囲の人が恐ろしさで動けなくなっているのを横目に、フルールは男の前に立ちはだかった。
「――一体何をしているんですか?」
「……誰だ、テメェ」
突然間に割って入ったフルールに、男は眉を上げた。
「子供相手に本気で怒るなんて、みっともないですよ」
「そのガキが俺のメガネを踏んで割りやがったんだよ!」
フルールに庇われるようにして立っていた女の子がビクリと肩を上げた。
(子供とぶつかっただけでメガネが床に落ちるとは思えない……この男、見るからに酔っているし……)
メガネは最初から落ちており、それに気付かなかった女の子が踏んでしまったと考えるのが自然だろう。
だとしたら、女の子ではなく男に非があるのは間違いない。
「さっき貴族って言ってましたけど、一体どちらのお貴族様ですか?」
「コンラード侯爵家だよ!俺はそこの当主なんだよ!」
――コンラード侯爵家
フルールはその家名に聞き覚えがあった。
(たしか、数年前に領地で起きた火災が原因で財政難に陥って苦しんでいるんだったわね)
昼間からこうやって酒を飲んでいたのは、心に余裕が無かったせいか。
酔っ払っている男は、弱みに付け込んでとんでもないことを言い出した。
「おい、ガキ。お前が今踏んだ俺のメガネは五万ゴールドだぞ?きっちり弁償しろよな?」
「そ、そんなお金払えないです……!」
「あなたねぇ……」
メガネ一つで五万ゴールドだなんて聞いたことがない。前世の価値で言ったら五十万円ほどだ。
大体、困窮している侯爵家の令息がそんな高いメガネを持っているわけがなかった。
フルールは呆れてものも言えなかった。
「――いい加減にしてください、これ以上騒ぎを起こすつもりですか?」
フルールは男に鋭い視線を向けたが、彼はケラケラと笑っているだけだった。
相手がアレクシスだったら尻尾を巻いて逃げていたかもしれない。
しかし、フルールでは迫力が到底足りなかった。
「そんなにそのガキの肩を持つってんならよぉ、お前が代わりに弁償しろよ」
「……!」
男の標的が少女からフルールに移った。
その瞬間、男は下卑た目で彼女を眺めた。
「お前みたいな一介の平民の女に払えるわけがないよなぁ?特別に、体で勘弁してやってもいいぜ?顔は地味だが、体のほうはなかなか……」
「……!」
フルールは寒気がした。
そんな彼女の気持ちなど気にも留めず、男はフルールの手首を掴んだ。
「お、お姉ちゃん!」
背後から少女の焦ったような声が聞こえる。
フルールは振り返ることなく、ただじっとその屈辱に耐えていた。
「なぁ、そこのガキを助けたくはないか?」
「……」
男の左手が、フルールの腰に回された。
手は体の線をいやらしくなぞり、耳元に唇を近付けた。
「お前が体で応えるってなら……特別にガキは見逃してやってもいい。もちろんお前は永久的に俺の奴隷――」
「――いい加減にしろよ、テメェ」
突如放たれた低い声に、男は手を止めた。
フルールはその隙を狙って、男の足をハイヒールのかかとで思いきり踏んだ。
「グッ……!」
痛みでうめき声を上げた彼はフルールから手を離した。
男は一度膝をついたあと、彼女を睨みつけた。
「あぁ、そうか……俺の提案を断るってのか……」
「……」
男は面白そうにニヤリと笑い、再び少女に視線を向けた。
「ならそのガキを奴隷にするか」
「……ヒッ!」
男と目を合わせた少女は、恐怖心からか、顔を青くして震えていた。
フルールは少女を男の視線から遮るように間に入った。
「誰が断るって言った?」
「……何?」
その瞬間、フルールは懐から金貨袋を取り出し、中身をばら撒いた。
「――さぁ、五十万ゴールドだ。好きなだけ持っていけばいい」
「ご、五十万ゴールドだと!?」
あまりの大金に周囲の人々は驚きの表情を浮かべ、男は床に落ちた金貨を必死の形相で拾い上げた。




