セルブラント
青白い灯りを前方の視力の届く範囲へ先に行かせて見た限り、廊下はまだ果てしなく続いているが、どうも直線ではないような感じがさっきからしている。うねっているというほどではなく、微妙な曲がり方をしながら気が付かないうちに方向を変えさせられている、といった感じだ。そこで思い切ってかなり遠くまで灯りを飛ばしたところ、小さく小さくなった灯りはふいに姿を消してしまった。
「戻れ!」
慌てて声をかけると、またふいに灯りは姿を見せ、かなりの速さでマリオンの足元に戻ってきて、呼ばれて喜んでいるようにふわりと足にじゃれついた。
「やっぱりまっすぐじゃないんだな」
いくら暗闇の中とはいえ、方向性を失わせるほどなだらかな曲線となれば、この地下通路はかなり大きなものであろう。
「そういえば、誰がこんな巨大な建造物の費用を出したのかな? キング家だったっけか? こんなすごいもの、地下を作るだけで何年もかかりそうなもんだけど、そんな記述はなかったような気がするなぁ」
そしてはた、と思い当たった。
「ここは竜の寝所の一部なんだよな。つまりグラディウスが、封印のためにのみ、作り上げた魔法の神殿なんだ」
そう考えるとすごく強力な魔法だ、としか言いようがない。すでに三百年ほども経っているのに、この質感も堅牢さも微塵もゆるぎない。どう触ってみても、普通の石の壁に石英の床としか思えない。そして不思議なことに魔法の気配は、まるで感じられないのだ。
「じゃあ、あの街道も一緒か」
そこまで考えた時、なんとなく漠然とした不安を感じてマリオンはふと立ち止まった。本当にグラディウスが封じたものは、白い竜、だったのか? ふいに頭の中に生じた疑問を、マリオンはどこかへ追いやることができなくなった。
「そうだよな。最悪の場合、白い竜の本体を殺しちゃうってことだってできたはずなのに、グラディウスはそれはまるで考えてなかった。
白い巫女の人柱を立てることと、竜を殺すことの罪悪感はどれだけ違ったんだろうか? 人柱を立てて、竜ともども永遠に地下深く封印するよりは、死んだほうが竜のためで人のためだ、と考える人間がいなかったはずはないよね。グラディウスだってそう考えなかったはずはないよ」
では、何か殺せなかった重大な理由があるのだろうか? 確かに人道的見地から言えば、人間と同じ、いやそれ以上の知能と感情を持つ竜を殺すのは忍びないことだろう。また、強力な魔力を持っていたとすれば、殺すのは困難を極めたかもしれない。だが、それのどちらも「では、永遠の封印とどちらがよりよいのか?」という話になると、首を傾げざるを得ない。封印することも同様に困難で非人道的だったはずだ。グラディウスには、何が何でも白竜を殺さず、カデカミナに封印しなければならない理由があったのだ。
そして、疑問は最初に戻る。グラディウスが封印したものは、果たして何だったのか? と。
「それと、これだ」
マリオンはブーツの底でたん、と足下の石英を軽く蹴った。
「なんで、この神殿には魔法の気配がないんだ? おかしいじゃないか。魔法で作られたもののはずなのに」
地下の濃い闇の中、ブーツで床を蹴った音がかすかにこだまを返した。
「なんだかちょっと、おっかなくなってきたな。話が別のほうへ向いていきそうだ」
マリオンは立ち止まったまま、腕組みをしてうーんと唸り、
「僕の手には余るのかな、ほんとに」
いささか心もとない言葉を口の中で小さくつぶやいた。
魔法の腕に多少自信はあった。生まれたときから使えるものである、という以外に、自分はたくさん修行をして熱心に学問にも励んできた、という自負がある。伝説の魔術師グラディウスが持っていて、自分にないものは『経験』だけだ、と思う。だが、その経験が一番重要なんだ、とよく師匠に言われてきたのだ。「だからこそ、先達は敬わなくてはならないのだよ」と。
実際のところ、黒の封印は果たしたことがあるが、白の封印は理論上はわかってはいても、試みたことすらない。
「一度、師匠のところを追ん出る前にやってみりゃよかったな」
マリオンは口のへの字に結んで、今はもう遠く二度と戻れるはずのない懐かしい師匠の工房に思いをはせた。
しかし、今さらここでそんなことを思ってみてもしょうがない。マリオンは小さくため息をついて、再びまとわりつく灯りを頼りにゆっくりと歩きだした。
「ま、何事にも初めて、ってのはあるわけだしねぇ」
口調ののんびりさ加減と裏腹に、緊張が身体中を走っていて筋肉という筋肉がかすかな震えを帯びているのが自分でもわかった。
失敗は許されない。失敗したら、自分はおろか、囚われの母もラヴィーニアもニコーレもグロリアもあの兵士たちも、みんな白い闇に飲まれてしまう可能性がある。
「そんときゃ、親子心中ってことで納得してもらうかな」
くすくす、といささか神経質な笑いがマリオンの口から漏れた、そのときだった。
「その昔、この世界がまだ、混沌としていた頃・・・・・・」
よく通る男の声が、いきなり闇の中に響き渡り、マリオンはぎょっとして足を止めた。
「すべては、泥と空気と水と熱から成り立っていた」
若い男の声は続いているが、暗闇の何処から聞こえてくるのか方向がつかめない。
「創始聖伝(※)の一節か」
※(地上はいかにしてできたか? ということが書かれた伝説の本)
マリオンは闇の中に目を凝らした。
「その混沌の中に天上界から白い乙女の腕が一本伸びて・・・・・・」
男の声がまるで書物を読むように淡々と続いている。
「手の中の美しい聖杯に、なみなみと泥をすくいとったっ!」
男の声をさえぎるように、マリオンが続く一節を怒鳴った。すると前方の闇の中からかすかな含み笑いが聞こえ、
「その泥は世界の北の隅に聖杯ごと逆さに伏せられ、北の大地となった」
と、何事もなかったかのように男は続きを口にした。
「お前は誰だ!」
大声で誰何して、マリオンが見当をつけ前方へ青白い灯りを飛ばす。だが、視界の中には何も入ってこない。灯りは戸惑ったようにあたりをくまなく浮遊していたが、やがておびえたようにこそこそと再びマリオンの足元に戻ってきた。
若い声はそれを一切無視して、淡々と創始聖伝の暗誦を続けていく。
「再びそのたおやかな乙女の腕が伸ばされ、さらに新たな聖杯に東の大地をすくい上げた。
そのように四たびそれが繰り返され、世界に青い海と四つの大陸が創りあげられた。それぞれの聖杯は四つの大地と共に地の底深く眠っている。その四つの聖杯は、地上のあらゆるものにも勝る強大な創始の魔力を宿していた」
男の声が、ふいに止まった。闇の中に相手の気配だけが濃厚に漂っている。ふん、とマリオンは、口元をゆがめて意地悪く笑った。
「お前などに創始聖伝の暗誦なんか聞かせてもらわなくても結構だぜ、セルブラント」
ほう、と感心したような声があがった。
「よくわかったな、マリオン、いやアルヴィン殿か」
前方の闇の中に一人の男の影がにじみ出た。濃い闇のおかげで、姿かたちははっきりとは見えない。ただ、遠目にも長身細身の若い男のように感じられた。
「だが、さすがの君にも、今なぜ、創始聖伝を暗誦したかまではわかるまい」
「ふん、何かわからなくてはいけない理由でもあるのか? お前みたいな嫌味な奴の考えることなどわかってたまるか」
マリオンが言うと、いきなりセルブラントの影がげらげらと笑い出した。
「僕が、僕が嫌味な奴、ね。こいつはおかしい」
「何がおかしいっ!」
「それはね、マリオン殿。僕を嘲ることは、君が天へ向かってつばを吐く行為と同じだからさ」
天へ向かってつばを吐けば、それはおのれに返ってくる、つまりセルブラントを嘲る行為がマリオン自身を笑うものだということなのか?
「どういう意味だ?」
それには答えず、くくく、とセルブラントが低く含み笑い、おいでおいでをした。
「ゆっくり話そうか。こんな暗いところでは、君の顔をゆっくり見ることもできないしね。こちらへきたまえ」
黒い影が無造作に壁に手をつくと、そこに細い光の筋が縦に入り、扉があったはずのない所にやがてぽっかりと大きな四角い入り口が開いた。軽く肩をすくめた影が、わざとらしく大きく腕を広げてマリオンに向かって一礼した。
「さぁどうぞ? マリオン殿。まぁ、ちょっとしたずるだけど。竜の寝所へ行くにはここをどうせ通るわけだからね。お客さんもここで待たせているし」
「客だと?」
闇に慣れた目に眩しさが痛く、顔をしかめたマリオンが慎重にその四角い光の扉へ向かって歩き出した。マリオンがそこへたどり着く前に、セルブラントは身のこなしも鮮やかに、一足先にするりと光の中に消えていた。マリオンの口はへの字に歪んだままだ。
「あいつ、絶対何か企んでいるはずだ」
迂闊に誘いに乗るわけにはいかないが、この場合、行かないという選択はマリオンの中にはなかった。彼は、ためらわず光の入り口へ近づいた。
やがて、入り口の前まで来ると、足元の蒼白い灯りが名残惜しげにふるっと揺れて姿を消し、それと同時に、
「さぁ入りたまえ、マリオン殿」
光の向こうからセルブラントの、どこかかすかに笑いを含んでいるような声がかかった。マリオンが一瞬だけ躊躇して、それから決意したように一歩踏み出すと、目の前には白い石でできた閉じられた空間が広がっていた。四角いそこは部屋、というより石室というべきかもしれない。真っ白な壁にはなにも飾り気がなく、どこか墓所を思わせるような閉鎖的な雰囲気が漂っている。
その中央に立つのは、マントからブーツまで身に付けたもののほとんどを黒で統一した、セルブラントと思しきすらりとした長身細身の若い男。背の中ほどまで伸ばされた少しクセのある髪の色もやはり黒い。そして、その顔の上半分を覆うのは、光沢のある銀色の仮面で、マリオンの左目につけられている魔法封じと似たような細工が施されている。目の出ている部分が少ないので表情が読み取りにくいが、口元にはいかにも人を小馬鹿にしたようなにやにや笑いが張り付いている。マリオンの祖父あたりなら、「口調はともかく、表情に品がない」と言うところだろう。
そして、その後ろには、二つの簡素な作りの椅子がおいてあり、どちらにも人がかけているようだ。一人はセルブラントの陰になってよく見えないが、もう一方のほうの椅子にかけている人物の衣服には見覚えがあった。その椅子に脱力したようにぐったりともたれているのは、なんとさっき上と下に別れたばかりのラヴィーニアだったのだ。
「ラヴィーニア?! どうしてここに?」
くくくっとセルブラントが含み笑い、もうひとつの椅子からマリオンの視界を遮っていた自分の身体をずらした。
「彼女はこの件には必要不可欠だからね。それともう一人の重要人物、占い女アニスさんにも来ていただいたよ、マリオン殿」
「・・・・・・!」
セルブラントの身体の陰に隠れていた人物はアニスだったのだ。アニスはマリオンの顔を見ると、口の両端を笑みの形に持ち上げた。前にあったときと同じような、どこかの民族衣装のような華やかな色合いの細かな柄がついたシルクの上下を身に付けていた。だが、あの時とは異なり、どこかすでに観念したような、諦めたような暗い表情を浮かべている。
一人足りない。マリオンは、部屋の端から端にすばやく視線を滑らせた。
「ニコは、ニコーレはどうした? ラヴィと一緒だったはずだろう」
それを聞くと、ふっとセルブラントが鼻で笑って、
「殺して上に置いてきたよ」
と、こともなげに言ってのけ、おおげさに両腕を広げて見せた。
「・・・・・・!! なんだとっ!?」
怒りの余り、思わずマリオンが大声をあげた。
「ほう? あんな野蛮な男、君は大嫌いなのかと思っていたのだが? 気になるのか。ふーん」
セルブラントは意外そうに首をかしげながらそう言うと、
「やはり、僕と君は別のものなのかな?」
と、小さく独り言のように続けた。
「いったい、お前は何を言っているんだ? 何が言いたい?」
その問いにセルブラントは、くくくっとそろそろマリオンの癇に障り始めた彼特有の含み笑いをしながら、自分の仮面の端に手をかけた。
「知りたいかい? マリオン」
「その仮面の下にお前の本性があるというのか。なら、とって見せろ。お前が何者なのか確かめてやる」
マリオンがそう言うと、セルブラントはその黒い手袋の手を仮面の上に思わせぶりにそろそろと這わせた。口元のにやけた笑みは、さっきからずっと張り付いたままだ。
「僕の本性ね。では、まず本名から名乗ろうか?」
ゆっくりと仮面から手を離し、セルブラントはそこで切って一呼吸置いた。
「名乗りたいなら、もったいぶらずに早く言えよ」
焦れたマリオンに、セルブラントは再びあの引き込むような含み笑いをして見せた。いつのまにか、目を大きく見開いたラヴィーニアとアニスも固唾を飲んで見守っている。
「僕の本当の名前は、ノーボディ(Nobody=誰でもない)、と言うんだ」
「・・・・・・! なんだって?! 何をふざけたことを」
あまりにも予想外の答えにマリオンが怒りに我を忘れそうになったとき、セルブラントことノーボディが銀色の仮面を顔からゆっくりとはずした。
「そして僕の顔は、こんな顔さ」
ラヴィーニアが小さく悲鳴をあげ、さすがのマリオンも息を飲んだ。仮面の下から現れたのは、白い肌、緑の目の整った顔立ちのごく普通の人間の若い男の顔である。しかし、その顔は黒い髪で両目とも緑だということをのぞけば、マリオンの顔に酷似していたのだった。まるで、鏡の向こう側とこちら側のように、気味が悪いほどよく似ている。
「どうだい? 僕は君で君は僕だ。君が光で僕が闇。ぴったりだろう?」
セルブラントことノーボディが、部屋中に響き渡るほど哄笑した。
「これはいったい、どういうことだっ!」
気を取り直したマリオンがセルブラントに迫った。
「シルヴァーナに貰ったのさ。君の顔を・・・・・・。彼女の大事な息子の顔をね。おかげで君の性格までも僕のものになった気がするよ。髪の毛の色だけは、どういうわけか君みたいな金色にはならなかったんだけどね」
セルブラントは、マリオンとは異なるその黒い髪をつまみあげて見せた。
「ふざけるなっ!」
「名前も付けてもらった、セルブラントとね。気に入ってるよ。でも」
セルブラントは、マリオンと同じ顔で、にやっと笑った。
「マリオンという名前のほうがいいな。女名前だけど。君がアルヴィンを通すなら、僕にマリオンをくれないか? どうせいらないんだろう?」
マリオンは彼に得体の知れない薄気味の悪さを感じて、相手の胸元に伸ばそうとした手を宙にさまよわせた。
「お前は、何だ? 何者なんだ?」
「僕は、ノーボディ、誰でもない、と言っただろう? 僕はこの世の誰でもない。自分自身ですらない。誰でもない者、なのさ」
ふっとセルブラントが笑った。今度はどこか自嘲的ですらあった。
「僕は僕を探している。そして君を見つけた。シルヴァーナを通してね。顔も名前もない僕を憐れんだシルヴァーナは、君の顔をくれ、名前も付けてくれた」
「顔も名前もない? お前は人間ではないのか」
マリオンが眉を寄せると、セルブラントがにぃっと口を横に大きく広げて笑った。
「それは君とおんなじさ」
マリオンは唇をかんだ。その意味は? 人間と魔族の混血だと言いたいのか?
頭に血が上りそうになって、マリオンは、深く息を吸った。
「僕は、人間だ」
「なら、僕は人間だ」
そっくりの声で、セルブラントがマリオンの言葉を鸚鵡返しにする。ふん、とマリオンは、鼻で笑った。
「物まねが得意なんだな」
「物まねじゃないさ。僕は君、だからね」
「お前は僕だと言い張るが、僕はお前になんか似てないぞっ!」
マリオンが歯噛みしたが、セルブラントはいたって涼しい顔だ。
「そうだね。もちろん違うところも多いさ。髪もそうだが、君のその金色の左目も違う」
「誰も、外見の話などしていないっ!」
怒声を上げるマリオンに、おや、というふうにセルブラントは眉を上げて見せた。
「性格が違う? そう、僕は君ほど気が短くはないな」
「なんだとっ!?」
くくくっとセルブラントが低く含み笑った。
「だが、僕だってそう気が長くはないさ。これでも僕は、ずいぶん待った。僕はずっと、君になりたかったんだ。そのためには」
突然、セルブラントの表情が、底なしの悪意に満ちた邪悪なものに変わった。
「実は僕にとって、君はとーっても邪魔なんだよ」
セルブラントの右手から白い炎がマリオンめがけてほとばしった。炎はマリオンの身体を焼き尽くそうと、大きくうねりながら襲いかかる。マリオンは、斜めに身体をそらし炎をよけ、低く身を沈めたまま、気合いを発してセルブラントへ手刀を打ちこむべく前へ走った。炎は獲物を捕らえそこない、そのままマリオンの後ろの壁を破壊した。セルブラントがマリオンの攻撃をかわし、真横へ回り込むと、再度右手を閃かせようと上へあげた。
そこへマリオンの高い蹴りが炸裂し、セルブラントの右手は攻撃目標を大きくそれ、天井の一部を焦がした。セルブラントの右手からぐきりと嫌な音がしたが、彼は涼しい顔で一向に気にした様子はない。セルブラントは左の上腕で二度目のマリオンの蹴りをかわすと同時に身を沈め、抜き放った剣でマリオンの胴を横になぎ払う。
一瞬の差でそれをよけたマリオンは、もう誰も座っていない椅子を左手でつかみ、剣を持つセルブラントの右手に振り下ろした。ばきっと椅子の砕ける乾いた音と、がらんと抜き身の剣が石室の床に落ちる音が同時に響き渡った。
「おもしろい。なかなかやるね」
セルブラントは、後ろへすかさず飛び退り、おかしな方向に曲がった手首をぶらぶらと振りながらにやりと笑った。
「お前は僕、なんだろう? 互角で当然だと思うけど?」
警戒を緩めず、マリオンがセルブラントの軽口に答えた。
「互角? それはどうかな?」
にやにやと笑いながらセルブラントは、自分の右手首を左手でつかむと、ぐいっと正しい方向に向けてひねった。不思議なことに手首はそのまま元の状態に戻り、見つめていたマリオンは顔をしかめた。
「魔法じゃないな。お前は不定形生物か? それを利用して僕の顔を盗んだのか?」
ふふん、といった顔でそれに答えずセルブラントは手首の調子を確かめるように、二度三度、指を閉じたり開いたりしている。その隙にマリオンはすばやくもうひとつの椅子を手に取ると、今度は相手の足めがけて思いきり横になぎ払った。
セルブラントは、そのままの無防備な体勢から真後ろに大きく飛んでそれをよけると、壁で反動をつけ、マリオンへ向かって逆に体当たりしてきた。剣を拾おうとしていたマリオンはそれを食らって仰向けに倒れこみ、セルブラントに組み敷かれた。
「こんな近場で君の顔が見られるとは、なんとも光栄だね」
馬乗りになったセルブラントは、不敵に笑いながら両腕で思いきり相手の首を締め付け、マリオンのほうもそれを阻止せんと押し返す。力はどうやら拮抗しているようで、どちらも相手に譲る気配はない。お互いの熱い息が感じられるほどの距離で、両者はきつい視線を絡めあい睨み合った。
鏡を見ているようだと思っていたが、間近で見ると微妙な違いが目に付く。目の形や鼻の線も幾分異なっているような気がするが、なによりも口元の線が決定的に違っていた。セルブラントの口元は、常に口の端が歪んで嫌味な薄笑いを浮かべているように見えるのだ。
それは過ごしてきた日々の違いなのか、あるいは本来の性格から滲み出てくるものなのか。鏡をめったに見ないから絶対にそうだとは言いきれないが、自分が常にこんな嫌味な薄笑いを浮かべているとは、どうにも思えなかった。どうやって自分の顔を写したのか、元がどうだったのかはまるでわからない。しかし、どうやら似ているのは、ほんの表面的なものだけだ、とマリオンは改めて安堵した。
「後からできた複製品のほうが出来損ないだってのは、よくあることだぜ、セルブラント」
食いしばった歯の間から押し出すように、しかしそこに嘲笑をこめてささやくと、セルブラントのマリオンと同じ色合いの緑の瞳が、きらりと一瞬だけ赤く光った。
「誰が出来損ないの複製品だと?」
セルブラントの口調に、苦い怒りがかすかに混じっているのをマリオンは聞き逃さなかった。その力のわずかの隙をついて、マリオンがセルブラントを押し返して半身を起こし、さらに勢いをつけて自分の身体を倒しながら反動を利用して後ろへ投げ飛ばした。セルブラントも投げ飛ばされながらも受身を取り、そのまま床をすべるようにマリオンから離れた。身体をすべらせた先には、自分の剣が落ちている。セルブラントは、その剣を取ろうと身体を長く伸ばした。
「させるかっ!」
セルブラントの指が剣の柄に届く寸前、マリオンが彼の足首をつかんで力いっぱい引きずり倒す。すかさず、頭めがけて繰り出されたセルブラントの蹴りから身体を横に転がして逃れると、右肘で相手の横腹に体重をかけたきつい一撃を放った。
さすがにセルブラントが低いうめき声をあげたが、さほど痛手を受けたようにも思えない。両者は同時に起きあがり、部屋の両端に間合いを取って対峙した。
『本当にこいつは何者なんだ?』
再びマリオンの脳裏に、その疑問が浮かんだ。魔術師だというだけでもなさそうだ。「君とおんなじさ」と、セルブラントが言ったということは、やはり彼も魔族と人間の混血なのだろうか? であるとすれば、人間離れした彼の特技にも納得がいく。ただし、もっと厄介な事態であることは間違いない。
それにしても彼は、いったい何の為にラヴィーニアとアニスをここへ連れ込み、自分を呼びこんだのか? 自分と対戦するためなのだとしても、もっと簡単な方法がいくつもあるだろう、と思う。その対戦自体も魔法を使ったのは最初だけで、とても本気のようには思えない。彼の魔法の力がさほど低いものではないと思えるだけに、それは非常に奇妙なことだった。
やがて、嫌な理由に思いあたり、マリオンの眉が一瞬曇った。
『もしかしてこいつは、事態を掻き回しておもしろがって遊んでいるだけなんじゃないのか?』
まるで子供が、たくさんのいろんなガラクタをポケットにしまいこんでは時々取り出して遊ぶように・・・・・・。『僕たち』というおもちゃを何個か取り出しては、いいように弄び、ひっくり返し、放り投げ、飽きたら捨てる。ニコーレを殺したように無造作に、だ。
最後はどうなろうと知ったことじゃない。途中が面白ければいいのだ。あとはどうせ全部、捨ててしまうだけのことだから。
『こいつの性格に似てるなんて言われるくらいなら、破滅したほうがましだな』
マリオンは心の中で、思いきり顔をしかめた。
『これ以上こいつに、主導権を握らせないぞ』
マリオンは、さりげなく右手を後ろに回した。
「さぁ、来たまえ。遠慮などしなくてもいいんだよ?」
セルブラントが毒を含んだ口調で挑発しながら、手招きをしている。いつもの青白い灯りを後ろ手でひそかに呼び出し、マリオンは前へ走ると同時に右手を前へ掲げ、それを相手の顔の前で破裂させた。
セルブラントの目の前で灯りはひときわ鮮やかな光と共に四散し、彼の網膜を白く焼いた。うめき声すらあげぬまま、セルブラントはその眼を押さえ、よろけるように身体を左へ飛ばしてマリオンからの攻撃を避けた。しかし、マリオンのほうもそれは計算の上だった。
左へ飛んで自分の蹴りをかわしたセルブラントに、低く身体を沈め、足払いを掛ける。
掛けられたセルブラントの身体は均衡を崩して壁に激突した。マリオンはその隙に身体を床に滑らせてさっきの剣を拾うと、鮮やかな身のこなしで後ろから彼の首にそれを突きつけた。
「動けば首が飛ぶぜ。首が飛んでも生きていられるなら、見せてもらおうじゃないか」
セルブラントの首から細く赤い血が一筋、床に滴り落ちる。するどい剣の切っ先が白い石壁に当たってじゃりっと音を立てた。
「どうやら血は赤いようだね、セルブラント」
今度はにやりとマリオンが、笑った。
「ふん、マリオン、君に人が殺せるのか? 剣で人を切り刻んだことがあるのかい?」
セルブラントも負けてはいない。邪悪とも言える笑みを浮かべて、ぎりぎりの限界まで首を曲げてマリオンの顔を覗き込もうとした。視点の定まったその目の視力は、既に回復していると見える。脅威の回復力にマリオンは、心の中で舌を巻いた。だが、それをおくびにも出すわけにはいかない。
「あるよ、残念なことに、ね。あの時よりずっと今回のほうが罪悪感は感じずに済みそうで嬉しいよ」
マリオンが涼しい声で告げた内容がよほど意外だったらしく、ほう? とセルブラントが小さく声をあげた。
「貴族のお坊ちゃまの割に、そこそこ苦労はしてるわけだ」
マリオンの持つ剣が、さらに皮何枚か分だけ深くセルブラントの首筋に食い込んだ。
「こういう体勢での軽口は、やめといたがいいぜ? 僕はお前より気が短いんだろ?」
くくくっとセルブラントが、またあの癇に障る含み笑いをする。
「僕を殺したら、竜がさぞかし怒るだろう。竜の神殿を血で汚すとは何事か、とね。たとえ血を流す僕が、黒の魔術師であろうとも」
「ふん、そもそも、お前が出入りしていること自体を怒らないのが不思議だぜ、セルブラント。僕でさえ危ういところだぜ」
セルブラントは、剣を突きつけられた身としては可能な限り小さく肩をすくめて見せた。
「君が危ういとすれば、その左目のせいだろうよ。いくら浄化してあっても、白竜の大嫌いな血の精霊の匂いがするからね。まぁそれも寝所へ入れば、おのずと解決するだろうけど」
最後の部分を独り言のようにつぶやくセルブラントに、マリオンは疑惑のまなざしを投げた。




