10 痛くても、自覚する
「千夏さ、智弘とは最近、どーなの」
「…何、急に」
突然、窓がノックされたと思ったら、そんな話。
窓越しで陽太とたわいもない会話をするのは珍しいことではないのに。
――なんだか陽太の様子がおかしい。この間感じた違和感を、更に色濃く感じる。
「だって、気になるじゃん?大事な親友と大事な幼馴染を、くっつけたの…オレだもん」
改めて聞かれるようなことは特に何もないような。
でもたぶん陽太は、私たちが好き同士だと思っていて、そういうのをきっと信じて疑わないのだろう。
そんな陽太の純粋さに私はずっと、憧れていた。
「千夏が誰よりいい女だってこと、オレが一番よくわかってるよ」
「…う、ん…?」
「でも、大事な家族みたいなもんだからって…、自分を無意識にセーブしてたのかな」
(…は?)
どの口が、それを言うの。
私が、今まで、どんな気持ちで陽太のことを好きだったのか―――、彼は、知らない。
知るはずもない。だって、知られないようにしてきたから。
「でもさ、智弘と千夏が仲良くしてんのとか見たら…嫌だって、思っちゃったんだよね」
頭が、殴られたみたいに痛い。なんで今、そんなこと言うの。
どういうつもりなのか、わからない。
私は動きを止める。時間が止まったみたいに、頭も上手く働かない。
どうして。
…少し前の私だったら、この言葉、喜んでたよね―――?
伸びてくる手を、石みたいに固まったまま眺めていたその瞬間だった。
―――♪
マナーモードにしていなかった携帯が、着信音と共に震える。
このメロディは、智弘からの着信だ。
陽太はすっと手を引いた。
驚いた。だって、さっきぱっと思い浮かべたのは、智弘の顔で。
なんで、このタイミングでかかってくるのだろう。
――救いの手か、果たして。
「――もしもし」
『千夏、今どこにいる』
「どこって、家…」
『もうすぐ、着く、出てこれるか?』
智弘も、様子がおかしい。
要件も言わずに、こんな風に言うのは今までなかった。
「智弘から?」
電話越しの智弘に聞こえるような声量で、陽太が尋ねる。
これはたぶん、…わざとだ。
『……陽太も一緒なのか』
「今、窓越しで喋ってたの。すぐ準備するから、待ってて」
『ん』
そう言って切れた携帯をポケットに入れて、準備を始める。
智弘の様子が気になるのと、この場から逃げ出すいい口実だと思ったから急いで手を動かした。
ここで彼氏を優先するのも、一般的な彼女としてはたぶん間違っていない。
「じゃあ、私行くから」
「―――なあ」
窓を閉めようとしたら、遮られた。いつになく真剣な表情をした陽太に、固まってしまう。
だって私、陽太のこんな顔――見たこと、ない。
「―――彼女と、別れた。」
いつも聞く、お決まりの台詞なはずなのに、いつもと全然違って聞こえる。
「智弘に、おまえのこと…渡したくない」
* *
「行くぞ」
門の前で待っていた智弘は、私が近づくなり腕をつかんで車に引っ張り込んだ。
…どうやってあの場を切り抜けたのか覚えていない。
陽太の表情が頭から離れない。
一体何が起こったのか?
私はこれを望んでいたんだっけ?
じゃあひとかけらも喜んでいないのは何で?
このことを、智弘に何て言う?
伝えようにも、彼を纏う空気が冷たくてできそうになかった。
明らかに様子がおかしい。何かあったの?なんで、黙っているの?
そのままずっと、沈黙が落ちる。
車のエンジン音だけが、静かに響いていた。
「…どこ、行くの」
「ホテル」
「………は?」
やっとのことで尋ねた頃には、もう目的地に到着する寸前だったようだ。
そういうホテルでは、なかった。
普通の、ビジネスホテル。
智弘は素早くチェックインを済ませると、私を押し込むように部屋に入れた。
そのまま硬いベッドに押し倒される。
何が起こっているのかわからなくて、私は目を見開くことしかできない。
「―――陽太に、口説かれでも、した?」
「――どうし、んう…っ」
どうして、という問いかけは、塞がれた唇に吸い込まれてしまった。
「かまかけただけなんだけど」
「…なに…なんなの…」
やっとのことで解放されたけど、冷たい色を纏った瞳が刺すようにこっちを見ていた。
智弘が何を考えているのか全くわからなくて、途方にくれる。
今までだってもちろん、わからなくなることはたくさんあったけど、今回は何か違う。
「でも、残念だったよね。」
ただ、ただ、怖い―――。
「千夏は、俺のもんだからね」
(なんで、そんな顔を、あなたがするの)
その時、薄く笑った智弘の表情が、怒っているようで、寂しそうで。
千夏はって。
誰のことを思って言っているのかなんて、聞かなくてもわかってしまった。
始まった行為は、はじめは少し強引に思われたけど、結局はいつもの智弘だったように思う。
普段は自信たっぷりなくせして、こういう時だけ、嫌われないようにそうっと扱ってくれているのがわかる。
それがわかった時、なんでかすごく嬉しかった。
縋るような瞳に、吸い込まれそうになる。
俺のもんなんて、どういうつもりで言うの。そんなこと、思ってもいないくせに。
奈津美さんのことが、すきなくせに――――。
そんなことを頭では考えているのだけれど、今は目の前の彼を抱きしめたくて仕方ない。
弱っているなら、酷いことされたって全部受け止める。
そんな時に、私を選んで、私のところに来てくれて嬉しい。
私にできることがあるなら―――なんだってしてあげたい。
こんな風に思うことって、きっと初めてで。
このときに、自覚したんだ。
ねえ、この気持ちって、何て言うんだっけ―――?
遅くなりましたが、こんな時だからこそ、自覚したんですよね。




