第壱話 鞍馬の童子
時は平安中期。天狗の大将・鞍馬山を棲家とする「僧正坊(鞍馬天狗)」が、出雲の須佐部落を訪ねて来ていた。部落長・武角に接見するためだ。
酒宴が開かれた。須佐たちが集まって久しぶりの再会を喜び合った。
天狗は、訓読みでは「アマキツネ」と読む。流星のことだ。語源は古代中国に遡り、流星を見た中国人が「天を駆ける狐のようだ」と云った伝説から始まっている。日本では、天狗は妖怪であり、神である。輝く鳥として描かれ、松明丸、魔縁とも呼ばれた。山神との関係も深く、霊峰の山々には天狗が在わす。
古事記・日本書紀では天孫降臨で案内役を務めた国津神の猿田彦。背が高く長い鼻を持つ容姿から、天狗と同一化され祀られている。
武角:「僧正坊。よくきてくれた」武角は僧正坊に労いの言葉をかけた。
僧正坊:「はい、実は武角殿にお願いがあり、やって来た所存でございます」
武角:「願い?何でも申すが善い」
何でも僧正坊の棲家の側で毎日、剣の稽古をしている童子がいると云う。ある日、見やると中々筋が良い。僧正坊は進み行ってが、身動ぎもせず、冷静に自分を見つめたのだと云う。
僧正坊は思った。「此奴には天の武がある…」
「童子、名は何と申す?と問えば、遮那王丸だと答えた。由来は「毘盧遮那仏」から来ているのだろう。通称だ。僧侶たちにそう呼ばれているのだと云った。稚児名は牛若だと述べた。
「牛若?」 側で聞いていたのは舞だ。
武角:「舞、知っているのか?」
舞は情報屋だ。都の事も熟知している。牛若と云えば、常盤の子。
武角:「源氏の血の子か?」
1159年、平治の乱。 同年、此の前に保元の乱と云う内乱があった。見事勝利した平清盛、源義朝だったが、その恩恵に差がついていた。
怒り狂った源義朝が兵を掲げたのが平治の乱である。平氏と源氏の戦いだ。
源義朝はこの戦いに敗れ、殺された。息子が3人出兵していた。長男、次男は戦死。其の末が後の頼朝である。
頼朝は此の時、歳10。囚われの身となったが、弥平兵衛宗清と云う平氏側の武士が、清盛に「あまりに幼きゆえ命だけはお許しください」と直訴した。頼朝は許され、伊豆に流刑となった。頼朝は10歳にして伊豆の蛭ヶ小島に幽閉され、この地域の霊山である箱根権現、走湯権現に深く帰依して読経をし、亡父・義朝や源氏一門を弔いながら、地方武士として日々を送った。
頼朝の母は季範の娘・由良御前。父・義朝は清和天皇を祖として河内国を本拠地とし、源頼信、源頼義、源義家らが東国に勢力を誇った河内源氏の流れを汲む武士だ。
平家とともに「天皇の武士」と呼ばれた。
牛若の母は常盤御前。頼朝とは異母兄弟である。
一方の牛若の母・常盤御前は謀反人としての難を避けるため、数え年2歳の牛若を腕に抱き、2人の同母兄・今若と乙若と共に逃亡し大和国(奈良県)へ逃れる。その後、常盤は都に戻り、今若と乙若は出家して僧となった。
後に常盤は、うだつの上がらぬ公家の一条長成と意にそぐわぬ再嫁をさせられ、牛若は11歳で鞍馬寺に預けられた。
つまり、一条長成は牛若が邪魔だったので捨てたのだ。
牛若が預けられた鞍馬寺は京都奥の山間の寺で、更に奥山の古屋に一人で暮らしていた。其の背後は山麓だ。其処は古くから修験者、犯罪者、闇金稼ぎ、蝦夷人などが勃興する闇のルートでもあった。巷では「天狗が棲む魔界の入口」などとも口碑されていた。
「源氏の嫡男が此処に居る」
そう云う噂が広まり、牛若に近付こうとする輩が多々いた。僧正坊も其の一人だ。
牛若はそう云う多感な場所で幼少期を育ったのであるが彼はただ、親の仇を胸に秘め、剣術に励んだのだ。
牛若丸は天狗に剣を教わりました
後の伝承である。
僧正坊:「武角さま、天武とは云え須佐の血が濃いと思われました。ですから此処に私はお知らせにまいったのです」
武角:「源氏であれば須佐の血はありえぬぞ」
僧正坊:「母方ならば?」
武角:「常盤か?そんな話は聞いたこともない。源氏は優秀な戦士だが、妖術士ではない…」
僧正坊:「武角さま」
武角:「わかった。近々、京に赴く。会ってみよう」
僧正坊:「かたじけない」




