【36】
最終話です。
グレースがデュノア伯爵を相続することになったので、その手続きは進められた。セヴランは学院を退学となった。王族侮辱罪でもっと重い罰が下されてもおかしくなかったのだが、子供と言うことで見逃された面がある。しかし、廃嫡され平民に落とされる。もちろん、爵位は相続できない。
セヴランの不祥事の責任を取り、ジョアキムもデュノア伯爵位を降りた。妻のミリアンと、平民となったが子であるセヴランを連れて領地の片隅に引っ込んだ。その際、グレースはジョアキムにこれからのデュノア伯爵領の経営に関して、こちらから求めない限り口出ししないことなどを含めた取り決めをして契約書を作った。レイモンの提案だった。
さらに、グレースは公式の書類にもいろいろとサインをさせられた。彼女は学院を飛び級で卒業できる程度には頭がよかったが、さすがに法的な手続きは難しかった。
「貴族法って相続法に反してませんか? 親から相続したものはその子のもので配偶者には帰属しないってなってますけど、貴族法では男性優位ですよね。女性が相続してその夫が爵位を継承した場合はどう考えればいいのでしょう? 爵位の譲渡ですか?」
ベッドの上で法律書を開いていたグレースは、隣で寝ころんでいるユーグに尋ねたものだった。自分の膝の上で法律書を広げているグレースを眺めていたユーグは口を開いた。
「俺は詳しくはないが、おそらく、結婚した時点で夫婦の共有財産となるからではないか」
「あ、なるほど」
納得してグレースはうなずいた。また法律書に視線を落としたが、グレースの手から法律書が取り上げられた。グレースが両手でないと持ち上げられない法律書を、ユーグが片手で取り上げたのだ。サイドテーブルに重たい法律書が置かれるのを見送る。ユーグの腕がグレースを後ろから抱き込んだ。
「そろそろ俺をかまってくれないか?」
耳元でささやかれて体が熱くなる。そろりとすぐそばにあるユーグの顔を見ると、頬に口づけられた。グレースごとベッドに倒れこむ。
「どうだ?」
「……はい、としか言えませんよね」
逃がす気はない、と言うくらいがっちり抑え込まれているので、グレースは身動きが取れない。ユーグは悪びれなく「そうだな」と答え、少し身を乗り出してグレースの唇をふさいだ。この時間はいつも不思議な感覚に陥る。自分の体が自分のものではないような……。
「もう一度結婚式をしないか?」
「……はい?」
ほど良い疲れから眠りの波に身をゆだねようとしていたグレースは、相変わらず自分を背後から抱き込んでいるユーグがおかしなことを言った気がして聞き返した。
「もう一度結婚式をしないか?」
二回言った。これは聞き間違いではなさそうだ。ユーグの顔を見ようと首をひねるが、つむじしか見えなかった。
「えっと。一年前にしましたよね?」
気のせいだったのだろうか。いや、あの時はグレースは完全にナタリーの代わりだったが、式自体はしたはずだ。ユーグも「そうだな」と言っているので記憶が飛んでいるわけではないらしい。
「厳密に言うと、ウエディングドレスを着ないか、と言うことなんだが……」
「はあ……」
このあたりで、ユーグも自分の言いたいことが全く伝わっていないことに気づいたのだろう。はっきりと言った。
「つまり、君のために選んだウエディングドレスを着たところが見たい、と言うことだ」
グレースは思わず肘をついて少し身を起こし、ユーグを振り返った。思わぬことを言われた気持だ。顔を見ると、ユーグは少しバツの悪そうな表情を浮かべている。
確かに、一年前グレースが着たウエディングドレスはナタリーのために用意されたもので、微妙にグレースには似合っていなかった。それでも当時のグレースはきれいなドレスを着られたことがうれしかったし、今でもそれでいいと思っている。
というか、あの時のウエディングドレス、ユーグもグレースには似合っていなかったと思っていたのだな、と思った。
「いや、あれはあれでかわいらしかったが」
ベッドに肘をつき、その手で頭を支えながらユーグは言った。ちらりとグレースを見る。
「今から考えると、俺も投げやりだったと言うか……似合うドレスを着たグレースと結婚式をしたい」
あと、前を隠してくれ、と言われてグレースは自分が寝衣を羽織っているだけで、前が閉じられていないことに気づいた。起こしていた体を横たえ、ユーグにすり寄る。ユーグの手がグレースの肩を抱き寄せた。
「式をしなくても、着てくれるだけでもいいが……」
グレースが黙りこんで返事をしないので、かなり譲歩された。そのためだけにウエディングドレスを用意するのもどうかと思う。
グレースは考えていた。ユーグではないが、確かに、今の思いあっている状況で結婚式をあげられたら幸せだと思う。生涯忘れられない思い出になるだろう。だが、すでに一度結婚式を挙げているのに、もう一度上げると言うのはどうなんだ?
その疑問を口にすると、「つまり嫌なわけではないんだな?」とユーグは前向きにとらえた。とりあえず頷く。おかしい。ユーグはこんな人ではなかったはずだ。もう少しドライな印象だったのに。
「そうか」
一つうなずいてユーグが引いたので、グレースもそれ以上は問い詰めず目を閉じた。疲れていたので眠かったのだ。この時のグレースは、このユーグの提案が大騒動になるなんて思いもしていなかった。
グレースはユーグが言うのならやってもいいかな、くらいの気持ちだったのだが、二人の周囲の、主に女性陣のテンションが上がった。
「お前にしてはいいこと言うじゃない」
と言うのがアメリーの反応だった。レイモンもエドメも「いいんじゃないか、忙しいけど」くらいの反応だったが、アメリーが俄然やる気を出したことで決行となった。
「あれもあれでかわいらしかったけれど、やはり自分に似合うものを着たいわよね」
「……そうですね……」
別にあれで満足している、とは言いづらかった。アメリーはグレースの反応の鈍さに気づいていたが、そのまま生地選びから初めてしまった。
ついでにナタリーのテンションもぶちあがった。話を聞いたナタリーは、「きゃー!」と嬉しそうな声を上げた。
「私もグレースの結婚式、見たかったの! 衣装選びとか一緒にしていい?」
もともとナタリーの結婚式だったのでは、とツッコみを入れたかったが、ナタリーの後ろでマルセルがこちらを拝んでいるのが見えたので、グレースは黙った。どうやら、妊娠してテンションが高いナタリーに、彼も苦労しているらしい。
「というか、私もナタリーの結婚式、見たかった」
「平民だから、簡単なものだったけどね」
教会で式を挙げたらしいが、住民に祝ってもらっただけだと言っていた。それも結構盛大なのでは。やはりウエディングドレスを着たらしいが、それはグレースだって見たかった。絶対にきれいだったはずだ。
そう思った後で、グレースはユーグがもう一度結婚式をしたい、言い出した気持ちが少しわかった。
「と、思ったこともありました、と言うことです」
「突然なんだ。今からやっぱり中止したいと言っても聞かないぞ」
グレースは隣に立つ白い礼装姿のユーグを見上げた。この人はグレースの着るドレスにはいろいろと口出ししてきたくせに、自分の着る服は一瞬で決めていた。グレースは口出しされた代りに、自分も口を出してやろうと思っていたが、言う前に決まっていた。そもそも、グレースには男性の服装飾について詳しくなかった。
「いえ……ここまで大変だったな、と思って……」
「ああ……」
ユーグもちょっと遠い目になる。ユーグがもう一度結婚式をしようと言ってから、半年が経過し、今は秋だ。結婚してから一年以上が経過している。
すでにグレースはデュノア伯爵位を相続し、夫であるユーグが伯爵を名乗っている。住まいもグレースの実家に手を入れ、移り住んでいた。
ナタリーの腹はだいぶ大きくなった。順調に行けば、年の終わりには生まれるだろうとのことだ。マルセルは精力的に事業を拡大している。一度、喧嘩したと言ってナタリーがグレースのところに駆け込んできた。
ちなみにであるが、エドメの恋はうまくいっていない。子爵家のお嬢さんは、家格的には何の障害もないのだが、視界にも入っていないと言うか……そんな感じだ。なお、これはジョゼットとレナエルの評である。
そして今、グレースは再びウエディングドレスをまとっている。ユーグは本当に二度目の結婚式を実行した。外堀から埋められた。グレースにはなすすべがなかった。あまり装飾のないシンプルなデザインのドレスは、一年前に着たナタリーのためにあつらえたものよりもグレースに似合っていた。まあ、当然ではあるが。
「だが、苦労した甲斐がある。よく似合っている。美しいな」
するりと頬を撫でられる。体のこわばりがほどけて、自分は緊張していたのだな、と気づいた。
「ユーグ様も、相変わらず格好いいですね」
背が高く体格もよいユーグは大体何を着ても似合う。言われ慣れているだろうに、ユーグはグレースに言われるとちょっとうれしそうだ。
「行くか、グレース」
「はい」
手を差し出されて、グレースはその手を取った。一年前、緊張と不安と罪悪感の中この手を取った。今は少しの気恥ずかしさと喜びを抱いてその大きな手を取る。見上げるユーグも柔らかな笑みを浮かべていた。
進む先にも、本当に祝ってくれる言葉ばかりが投げられる。いろいろあったが、あの時、彼の手を取ってよかったと、心から思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これで無事に完結です。本当にありがとうございました。
誤字脱字が多く、ご指摘いただいた皆様もありがとうございました……。
久々に中断せずに最後まで駆け抜けた気がします。
ちなみに、この時点でユーグは23歳、グレースは17歳ですかね。ナタリーはグレースより2歳年上ですね。




