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【28】








 少し遡り、前日の夜。フォートレル男爵家に思いもよらぬ来客があった。


「待ってくれ!」


 同じ言葉を繰り返しながら小走りにやってくる男は、どこからどう見ても兄のエドメだった。フォートレル男爵家の長兄は、すでに二十七歳になっているはずだ。二年前に婚約直前に失踪してから、初めて顔を見た。


 軍人であったこともあり体格の良いユーグに対し、エドメはひょろりとした優男だった。顔立ちも甘く、比較的怜悧と言われるユーグとは対照的である。それでも、兄弟とわかる程度には似ていた。


 いや、それはどうでもいいのだ。今はそこではなく。


「エドメ! 何をしにのこのこ帰ってきたの!」


 鋭い声を上げたのはアメリーだった。エドメが少し離れたところでびくっと足を止める。そこまでは言わないが、確かに、何をしに来た、と言う感じではある。


「あ、いや、実はナタリーが」

「ナタリー?」


 失踪した元婚約者で妻の姉の名が出てきて、ユーグは反応した。思えば、ユーグもグレースも、それぞれ婚約直前、もしくは結婚直前に兄姉が失踪している。本来なら、ユーグとグレースが結びつくはずがなかった。本来なら、目の前のこの男がナタリーと結婚していたはずなのだ。


「デュノア伯爵家の、失踪したナタリーか?」

「あー、えー、そう。俺の代わりにお前が婚約した……」


 やはりグレースの姉のナタリーだ。アメリーが険しい表情のまま「どういうこと?」と鋭く尋ねている。エドメはやはり気圧されたようにたじろぐ。


「いや……急に、声をかけられて」

「はあ?」


 思わずユーグは眉を顰める。一から説明しようとしたエドメは、弟の険しい表情を見て首を左右に振った。


「今のなし! 簡潔に言うと、ナタリーがデュノア伯爵家で捕まっているグレースを助けるから、フォートレル男爵家もデュノア伯爵家に乗り込んでほしいってこと!」

「……」


 自分でもわかるくらい胡乱気な表情で兄を見た。この兄も、ナタリーも失踪した人物だ。二人とも、王都に戻ってきていると言うのか。


 多分、母と妹も同じような表情をしていたのだと思う。エドメは半泣きだ。


「お前の言葉をどう信じればいいと言うの」


 呆れた口調でアメリーが言った。グレースのことは心配だし、助けに行けるなら行きたい。それはそれとして、エドメの話が信用できるかは別だ。


「レイモン。あなたも何か言ってくださいな」


 アメリーがずっと黙っている夫に向かって言った。ユーグ以上の無表情で自分の長男を眺めていたレイモンはゆったりと口を開いた。


「エドメは知らんが」

「父上ぇ!」

「ナタリーなら、失踪前にあいさつに来たぞ」

「は?」


 さっきから「は?」しか言っていない気がする。つまり、父はナタリーが失踪することを知っていたのだろうか。


「いや、それはさすがに知らなかった。ただ、自分に何かあったら、妹、つまりグレースのことだな。彼女を頼む、とは言われていた」


 だからレイモンは、ナタリーがデュノア伯爵家で何らかの事件に巻き込まれているのでは、と考えたそうだ。実際は本人が事件を起こしたのだが。


「だからすんなりとユーグとグレースの結婚を許可したのね……」


 今さら納得したようにアメリーはため息をついた。レイモンは「まさか駆け落ちするとは思わなかったが」と言った。


 ふと、以前、すべてナタリーのたくらみごとなのではないか、と思ったことを思い出した。彼女が妹に何も言わずに姿をくらますはずがない。駆け落ちと言うのも妙だ。もしかして彼女は何か企んでいるのではないか。そう思ったはずだ。


「……そうか。では、グレースが連れ去られた以上、ナタリーが動いているのは確かだな」


 おもむろにユーグが口を開くと、エドメが「やっと信じてくれた」と安心したように肩の力を抜く。しかし、ユーグは「いや」と首を左右に振る。


「兄上の言葉を信用したわけではない。ナタリーの行動を思い返すに、彼女のたくらみにグレースが必須だから、助けに動くだろう、と言うことだ」


 今のところ動機は不明だが、ナタリーの行動の根源にはグレースがいる。ナタリーにとって、グレースが無事であることが絶対条件なのだ。


 だとしたら、デュノア伯爵家に連れて行かれたグレースも無事だろう。ここでナタリー自身が駆け込んでこないのであれば、まだ猶予はある。明日の朝一にデュノア伯爵家に乗り込めばよい。


 兄は信じていないが、元婚約者のことは信じている。姿が見えないので、完全に信じられるかは別問題だが。少なくとも、彼女が妹を可愛がっているのは事実で、信じられる。


「ナタリーは今どこだ? デュノア伯爵家か」

「さっきからそう言ってるんだけど!」


 そう言えば、言っていたかもしれない。誰も信じていなかったので、受け流していたが。


「できればナタリーの話を聞きたいな」


 レイモンもそう言うと言うことは、彼も自分の息子よりナタリーの方が信用できると思っているらしい。エドメは半泣き、と言うか、ほぼ泣いていた。


 いまさらであるが、レナエルは泊まることになった。レナエルがやってきた時点で、母がヴァンタール男爵に泊まることを知らせていた。事情を聴く限り、そう簡単に帰らないと悟ったのだろう。そうこうしているうちに、エドメが帰ってきたのだ。


 レイモンの指示を受けてデュノア伯爵家を見に行っていた使用人が戻ってきたのは夜中だった。亜麻色の髪を束ね、ワンピース姿の女性を連れていた。


 改めて見ると、女性、ナタリー・ラシュレーは妹のグレースと似ていた。ただし、グレース本人が自覚していた通り、簡素な姿でもナタリーの方が華やかな美貌だった。系統が違うと言えばそれまでだが、グレースが自信を無くすのもわからないではないかもしれない。


「こんばんは、ユーグ様。まさかお招きいただけるとは思わなかったわ」


 にっこり笑ってそんなことを言うところも変わっていない。したたかな女性だ。ユーグも「久しぶりだな」とあいさつをする。


「いろいろ聞きたいことはあるが、グレースは無事か?」

「ええ。頬が腫れていたけど……」


 こっそり連れ出すよりも、正面から堂々と助け出した方がよい、とナタリーは考えているのだろう。つまり、彼女は両親から爵位を取り上げる気なのだ。


「ならいい。お前と父が何を企んでいるかは問わないが、俺は必ずグレースを取り戻す。明日、朝一番にデュノア伯爵家に向かう」

「いいと思うわ。使用人も今はメイドと家令が一人ずつしかいないから、簡単に侵入できるわ」


 さらりとナタリーは述べたが、ユーグがグレースと結婚した当時より、明らかに経済状況が悪化している。これはグレースをさらったことと関係があるだろう。


「というか、グレースをさらったのがうちだって、もう調べがついているのね」

「憲兵が調べた」


 実際、調べたらすぐにわかったので隠ぺい工作は杜撰だったのだと思う。憲兵としては、グレースが実家に戻っただけなので手出しがしにくい。襲われていたところを保護した、などと言われれば引くしかない。なのでユーグは自分が乗り込むつもりだった。


「あの両親ならさもありなんって感じね」


 それからナタリーはにやりと笑う。


「やっぱり、ユーグ様は私よりも、グレースの方が好みだったでしょ」

「……」


 否定しきれず、ユーグはナタリーを睨むにとどめた。どちらにせよ、彼女に口で勝てるとは思っていない。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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