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怪談遊戯  作者: 雪鳴月彦
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最終話:獣の気配

 九月二十三日、秋分の日。


 約二ヶ月ぶりに彼女と休みを合わせることができた高田(たかだ)友志(ともゆき)は、ドライブデートを楽しもうと、以前雑誌で紹介されているのを見て気になっていた日守湖を訪れていた。


 昼過ぎに到着してから暫くの間は真っ赤に色づいた紅葉を楽しみながら散策し、その後日守湖を眺めながら彼女が用意した弁当を食べ、空が藍色に染まり始める時間帯を待って帰路へとついた。


 順調にいけば、地元へ帰ってから二人で夕食をとり、あわよくば部屋でゆっくりと二人きりの時間を過ごせる。


 そのはずだったのだが。


「うーん、困ったなぁ」


「駄目そうなの?」


 日守湖を後にして僅か十分程度。


 何も問題なく走っていた車が突然減速し始め、やがてエンストを起こしたかのように停止してしまった。


 ガソリンはまだ半分以上あるし、先月に車検へ出したばかりのため、故障とも思えない。


「ボンネット開けて見てみたら?」


「いやぁ……見てもわかんないよ。車なんて全然詳しくないし。修理呼ぶしかないかなぁ」


 車に関しては給油と運転くらいしかできないため、ボンネットを開けたところで故障している箇所すら見当をつけられないであろうことは、高田自身が一番容易に想像できた。


「もう、しっかりしてよ」


 呆れたようにため息をつく彼女の声を横に聞きながら、高田はスマホを取り出しこの近辺でロードサービスを行っている店を検索しようとし、すぐに指の動きを止めた。


「あれ? 何でだろうこれ。電波が圏外になってる」


「え? 嘘」


 ネットに接続できず、怪訝な表情を浮かべながら呟くと、彼女もすぐに自分のスマホを取り出し確かめだした。


「ホントだ。わたしのも圏外。何で? ここより先の湖では普通に使えたのに」


「さぁ。たまたま電波が届いてないエリアなのかも。どうしようか。歩いて民家のある所まで行ったら、どれくらい時間かかるかわかんないし、ここで他の車通るの待ってようか?」


 周囲は少しずつ暗くなり始めている。今の時期なら、そう時間もかからず太陽の光は山の向こうへ消えるだろう。


「んー……」


 そんな山道を地元民でもない人間二人で歩くというのも心細いと思い至ってか、彼女も歯切れの悪い呻きを漏らし黙り込んでしまうだけ。


「幸い、今日はこの後もずっと天気が良いみたいだし、夜間デートで日守湖に来ようとしてる人たちもいるかもしれないよ。下手に動かないで待つだけ待ってみよう。来る時に買ったジュースとちょっとしたお菓子くらいならまだ残ってるから、最悪一晩くらいはどうにかなるしさ」


 高田の本音としては、このまま明日の朝まで誰もここを取らなくても別に良いというのが正直なところだった。


 ここで二人きりになれれば、それはそれでムードは作れる。


 幸運なことに、明日もお互い土曜で仕事は休み。


 慌てるようなことは何もない。


「ここで朝まで過ごすの? ヤバくないかな」


 不安そうに窓の外を見渡す彼女の瞳には、道の両側に生え広がる樹木たちがユラユラと風に枝葉を揺らされている景色だけが映る。


「大丈夫だよ、夜だって暖房点ければ寒くなんてないし、下手に外へさえ出なければ危険なことなんてそうそうおきないって。それに、こんなことになったのは自分のせいだし、真琴(まこと)のことはちゃんと守るから」


「何それ、カッコつけてるつもり?」


 下心を含んだ高田の台詞をおかしそうに笑いながら、彼女――真琴はどこか落ち着かなそうな態度で、役に立たなくなったスマホを(いじ)る。


 そんな真琴の横顔を暫し見つめてから、高田は不意に口元を緩ませポツリと言葉を(ほう)った。


「そう言えばさ、前にこんな話を聞いたことがあるんだ」


「ん? 何?」


 いきなり話題を変えてきた彼氏の言葉に反応し、真琴はスマホへ落していた顔を運転席へと向けた。


「もうずっと前なんだけどさ。ある家でね、箪笥(たんす)を買ったらしいんだ。木製の、引き出しが四段になったタイプで、まぁ標準的な大きさの箪笥」


「うん」


 何の話を始めたのか、いまいち意図が読めない真琴はただ素直に話へ耳を傾ける。


「で、その箪笥を座敷に置いて、中には服とかをしまってさ。普通に使い始めたそうなんだけど、どういうわけかその箪笥を買った日の夜から、急に家の中でバタバタバタバタ何かが走り回るような音が聞こえだしたんだって」


 高田は、前方へ伸びる徐々に暗くなっていく山道をジッと見つめるように視線を固定しながら、どこか楽しそうに言葉を紡いでいく。


「それで、その家の父親がいったい何事だと思って、起きて家の中を調べてみたんだけど、座敷へ入った途端に足音が止んで、静かになった。それでも一応全ての部屋を見て回るも、特におかしな場所は見当たらない。家が荒らされてたとか、何か泥棒や野良猫が入り込んでたとか、そういうことも一切なくて、首を傾げつつもその日は原因がわからないまま寝たらしいんだ」


「ちょっと待って。ひょっとしてそれ恐い話?」


 語る高田へ待ったをかけて、真琴が若干顔を顰めて問うてくるが、その声をわざと無視して高田の話は続いていく。


「それで、翌日。また夜になって丑三(うしみ)つ時を迎えると、家の中でバタバタバタバタ何かが走り回る音がし始めた。これはもうさすがにおかしいと、家族皆が起きて音のする場所へ向かうと、そこは座敷で例の新しい箪笥を置いた部屋。昨日もここから音がしていたけれど、父親が(ふすま)を開けた途端に音がピタリと止んでそれっきり静かになっていた。やっぱり猫か狸でも入り込んで隠れていたのか。そう思いながら、父親が静かに襖を開いていくと……」


 あからさまに嫌そうな表情を浮かべながらも、聞き始めればやはり先は気になるのか、真琴は縫い付けられたかのようにジッと高田の話を傾聴している。


「覗いた座敷の中、やっぱり何もいなかったって。ただ、その日は前日と違って、襖を開けた後も走り回る足音だけは止まらないで聞こえ続けてたって言うんだ。暗い座敷の中を、目に見えない何かがバタバタバタバタまるで円を描くようにして走る足音だけがはっきりと聞こえてる。それで、家族全員恐くなって、その夜は皆一緒に固まって過ごしたらしい」


 そこで高田は一度小さく息継ぎをし、チラッとしかめっ面を浮かべる真琴の様子を盗み見る。


「それで次の日になってすぐ、父親が近所の神社へ行って神主へ事情を説明して家へ来てもらったそうなんだけど、その神主さん、座敷に置かれた箪笥を見た瞬間、難しい表情になりながらすぐにお祓いを始めたんだって。そしたら、お祓いをし始めてすぐに、箪笥のちょうど真ん中辺りに狐の顔がだんだん浮かびだしてきたのを家族全員が目撃してさ、もう呆然となりながらお祓いが終わるのを待ってた」


 真剣に聞き入る彼女の様子に、満足そうな笑みを微かに浮かべて、高田はまた視線を正面へと戻す。


「やがて、お祓いが終わって神主さんが座敷から出てくると険しい顔をしながら家族を見回してこう言った。〈申し訳ないが、あれはとても自分では払いきれるモノではない。あの箪笥に使われている木材、あれはどこかの神社に生えていた木を使って作られたものだ。神聖な場所にある、神の宿る木を伐採してこんなことに使ったのだから、罰や祟りが起きても当たり前だろう。悪いことは言わないから、一日も早くあの箪笥をきちんと引き取り供養してくれる場所へ預けなさい。でないと、これから貴方たち家族にどんな災いが降りかかるかわからない〉、って。箪笥に浮き出た狐の顔はお祓いをしても消えることはなくて、睨むような表情で家族たちの方を見ているし、それで父親は神主に協力してもらいながら箪笥を供養してくれる人を探して引き取ってもらったそうだよ。それで良かったのか、箪笥を無くして以降はもう獣の走り回る音はしなくなったってさ」


 おしまい。そう言って得意気に笑う高田を、真琴は大きく息をつきながら批難するように睨みつけた。


「……普通さ、こんな状況でいきなり恐い話とかする? 信じらんない」


「あれ? こういう話苦手だっけ?」


「あんまり好きじゃない。わたし、高校の頃に一度だけ恐い体験して、それっきり幽霊とか都市伝説とか言った類の話は苦手になったの。これ以上そんな話ばっかするようなら、友志のこと嫌いになるからね」


 わかりやすいくらいに不機嫌そうな声を出してそっぽを向いてしまう真琴に、友志はごめんごめんと謝りながら両手を合わせる。


「でもさ、真琴が体験したっていうその話も気になるなぁ。良かったら聞かせてよ。霊を見たの?」


「知らないったら。こんな所で話すわけないじゃん! 大体、人が嫌がってやめてって言ってるんだからさ、素直にやめてくれてもよくない?」


「いやだって、こういうシチュエーションだからこそ盛り上がるってこともあるかなと思ってさ。真琴が怪談苦手なんて知らなかったし。女の人って好きな人多いじゃん、こういう手の話」


 謝罪の言葉とは裏腹に、反省の窺えない態度で真琴の方へ顔を寄せる高田は、ご機嫌を取ろうとするかのように話しかけながらそっと真琴の肩へ手を触れさせる。


「偏見でしょそんなの。本当に苦手な人だって普通にいることくらいわか――っ、きゃあぁぁぁぁぁ!!」


 うんざりした声音で高田の伸ばした手を払い、真琴が運転席の方へ顔を戻した瞬間――車内に金切り声に近い悲鳴が充満した。


「え? な、何いきなり。そんな殺されるみたいに嫌がることないでしょ」


 驚いた高田が頬を引き攣らせつつ腕を引っ込めるも、真琴は違うと首を横へ何度も振りながら、高田の横、運転席側のサイドウィンドウを指差す。


「は? 何――って、うわあぁぁぁぁ!!」


 訝しみながら、高田もそちらへ首を捻り、すぐに真琴同様大声をあげる。


「な、な……?」


 いつの間にそこまで近づいてきていたのか。


 それ以前に、どこから現れたのか。


 二人が気が付けぬ間に、車内をじぃ……っと覗き込むようにして、窓に女の顔が張り付いていた。


 肩の辺りで綺麗に切り揃えられた黒髪、薄暗くて判然としないが恐らくはベージュのノースリーブを着ている。


 見た感じで、歳はぎりぎり二十代前半か、せいぜい二十六くらいだろうかと高田は目星をつけた。


 その女の右手がスゥッと動き、コン、コンっと静かに窓を叩いてきた。


 エンジンがかからないためどうするべきか僅かに逡巡(しゅんじゅん)したが、周囲を確認し女が一人であることを確かめてから、高田は慎重な態度で運転席のドアを開けた。


「な、何でしょうか……?」


 警戒心を露わにしながら、声をかける。


 すると、女は静かに目を細めて笑みを湛えると、小首を傾げるようにしながら高田と真琴を交互に眺めてきた。


「いえ、散歩をしていましたら、お二人の車を見つけまして。どうかなさったのかなと思いお声をかけたのですが……。ここはもうすぐ暗くなります。夜間は滅多に車は通りませんし、早めにお帰りになられた方がよろしいですよ?」


 丁寧で落ち着いた口調で話してくる女の声に、高田はほんの少し安堵感を覚えながら、チラリと真琴の方を振り返った。


「いや、帰りたいのはやまやまなんですが、車が調子悪くなっちゃいまして。エンジンがかからないんですよね。何かここ、スマホの電波も入らないみたいだし。下手に動くより、このまま誰かが通りかかるまで大人しくしてようかって、話し合ってたところだったんです」


 本当は若干の下心があったことは当然口には出さずに高田が言うと、女は「まぁ……」と心配するように眉宇を寄せて、前後に伸びる道路を見渡した。


「それなら、尚更ここにいるのはやめた方がよろしいかと。この辺り、最近は熊や猿も出没しますし、特に夜間は危険が多いと地元の方々も言っておられます。お察しの通り、電波も入り難い場所ですから、タクシーや修理を呼ぶのにも難儀するでしょうし……。あの、もしよろしければ、このすぐ近くに私の家がありますので、いらっしゃいませんか? 一人暮らしをしておりますから、気を遣われなくても平気ですし」


「え? いやでも……」


 すぐに二人へ顔を戻した女は、良いことを思いついたと言うかのようににこりと笑みを強くし、顔を近づけてきた。


 女とは言え、いきなりどこの誰かもわからない人物に家へと招待され、そう簡単にお願いしますとは言えるものでもない。


 困惑しながら頭を掻く高田の横で、


「良いんじゃないの?」


 と、特に悩みもしていない様子で言ってくる声を聞いて、本気かよと疑いながら高田は真琴と目を合わせた。


「だって、こんな外灯もない真っ暗な場所で二人きりで過ごすなんて、わたしは恐いし嫌だもん。それなら、この人の親切に甘えて助けてもらった方が絶対に良いよ。てか、わたしはそうしたい」


「いや、そうは言っても、他人にそこまでしてもらうのは悪いんじゃ……」


 自分と違い、全く悩みもせずに行動を決めてくる真琴へ気圧されつつ、高田が決断に迷っていると、今度は女が追撃をするように言葉を挟んできた。


「遠慮なんてする必要はありませんよ。私自身、一人きりで退屈をしておりますから。是非来ていただけると嬉しいくらいで。夕飯も、ご用意することができますので。どうぞいらしてください」


「はぁ。……本当に、良いんですか?」


「もちろんです。どうぞ、ご案内致しますのでついてきてきてください。歩いてすぐの所ですから」


 まだ乗り気になれていない高田へコクリと頷くと、女はドアを開ける邪魔にならぬようにと、数歩後ろへ後退(あとずさ)った。


「良かったぁ。本当に助かります。車で一晩過ごすなんて、耐えられないなって思ってたんですよ。ここから民家のある場所までって、歩いたら遠いんですよね?」


 高田を待たずに早速(さっそく)車を降りた真琴が、人見知りとは無縁な態度で女へ近づき話しかける。


「そうですね。徒歩では一時間以上はかかるかと。明るくなれば、ハイキングへ訪れる車も増えますから、その時に事情を説明して助けてもらうのが賢明かと思います。さぁ、行きましょうか」


 こちらです。と、高田も車から出て鍵を掛けるのを見届けた女は、そのまま道路を渡りすぐ側にあった細い山道へと入っていく。


「あ、そうだ。わたし澤田(さわだ)真琴(まこと)です。こっちの頼りなさそうなのが高田友志。よろしくです」


「これはご丁寧に。私は、羽切葛杷と申します」


 頼りないって何さとぼやく高田を無視し、真琴と羽切は笑いながら頭を下げ合う。


「そう言えば、私がお声をかける直前、何かお二人で楽しそうにお話をしていたようでしたが、どんなことを話してらっしゃったのですか?」


「え? ああ、いや何かわかんないですけど、彼が突然恐い話をし始めたので、やめてって怒ってたところでした。わたしそういうのあんまり得意じゃないから」


 すぐ後ろを歩く高田を一瞬だけ振り返って真琴が答えると、羽切は前を向いたままニィ……っと唇の端を吊り上げた。


 しかし、その顔を見ることのできない二人は、羽切の変容に気がつくことなく、他愛のない言い合いを繰り広げている。


「まぁ……怪談、ですか。私も、これまでに何度か不思議な体験をしていまして、そういうお話はいくつか持ち合わせているんですよ。それに、これまでにもお二人のようにこの近辺で道に迷ったりした方が、家へ泊まっていかれたことがありまして。そういった方々からも、色んな不可思議なお話を聞かせていただいています」


 浮かべたばかりの笑みを消し表情を戻した羽切が、肩越しに二人を振り返る。


「あ、へぇ。羽切さんも怪談とか好きなんですか。それじゃあ、山に纏わる話でこれまでで一番恐いなって思ったのは、どんなのがあります?」


「えぇ? ちょっとそういう話題振らないでよ。羽切さん、いいですよこんなの相手にしなくても」


 羽切の言葉に反応する高田と、それを嫌がる素振りをみせる真琴を順番に見つめ、羽切はまた前方へ顔を戻しクスリと笑った。


「そうですねぇ。家に着くまであともう少しだけかかりますから、一つくらいお話をしましょうか。澤田さんは怪談が苦手のようですし、少し軽めのものを」


 告げる羽切の表情は、薄暗闇の中、まるで悪戯を楽しむ子供のように再び笑みが張り付いている。


「…………それでは、こんなお話はどうでしょうか?」


 暫し黙考(もっこう)するような沈黙の後。


 二人に見えぬことを良いことに、羽切は毛細血管の浮き出た赤い目を愉快そうにクルリと回し、心底愉快そうに綻ばせた口の中から、新たな怪異を語り始めた。




                   完

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