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怪談遊戯  作者: 雪鳴月彦
3/66

――招きに応じて――

「――とまぁ、そんな話だったんだけどよ。嘘つくような奴じゃなかったはずだし、マジでそういう体験したのかもな」


 中野から聞いたという話を語り終え、渋沢は肩越しに俺と戸波を見てニヤリと笑った。


「ちょっとさぁ、こういうとこでそんな恐い話しないでよ。普通に恐くなるじゃん」


 突然喋りだした渋沢の話を終始黙ったまま聞いていた戸波は、うんざりした声音と表情で非難を飛ばす。


「茜ってこういうの苦手だったっけか?」


「こんな状況でしないでって言ってるの。ただでさえ心細くなってきてるときにさ、何で余計不安になるようなこと話すのかな」


「心細いって、オレたちも一緒にいるだろうよ。一人きりじゃあるまいし、大丈夫だって」


 硬い口調の戸波とは裏腹に、渋沢は緊張感の欠片も含まない軽い口調で返事をして、余計に戸波のまとう雰囲気を悪いものへ変質させる。


 ただ黙って歩くのも、精神的に堪える。


 だからと言って、こんな暗くなり始めた山中で怪談を語るのも少しデリカシーに欠けているかもしれない。


 ましてや、相手が嫌がっているのならダイレクトにアウトだ。


郁洋(ふみひろ)、あんまり恐がらせるようなこと言うなよ。茜本気で嫌がってるんだし」


 三人で協力し合わなければいけないこの状況で、ぎすぎすした空気になんかなってほしくない。


 そう思いながらフォローを入れる俺へ、戸波は味方を見つけたと言いたげな視線を向け、渋沢は苦笑しながら肩を竦めて顔を前に戻してしまった。


「さすが響平(きょうへい)、フミくんと違って優しいね」


 歩調を僅かに変えて俺と並ぶようにしながら、戸波は渋沢に聞こえるようわざとらしく言葉を紡ぐ。


「はいはい、どうせオレは佐久田(さくた)みてぇに優しくなんてねーよ。休める場所見つけたら、耳塞ぎたくなるくらい恐い話しまくってやるから覚悟し――」


 売り言葉に買い言葉。戸波の嫌味に反撃を試みようとしていた渋沢の声が、中途半端に途切れた。


 同時にその足も歩みを止め、何かを見つけたかのように前方を向いたまま動かなくなる。


「……? どうしたんだ?」


 突然の友人の変化を不審に思いながら声をかけると、渋沢は俺たち二人へ振り向くことなく警戒心をにじませた声を返してきた。


「……人がいる」


「え?」


「ほら、あそこ。こっち見てるぞ」


 言いながら、渋沢が正面を指差す。


 それにつられるように、俺もその示された先へ視線を向けると、確かに一人の女がこちらを見つめながら佇んでいるのがすぐにわかった。


「……この辺に住んでる人かな?」


 警戒する俺をよそに、戸波は期待を抱くようなニュアンスの言葉を漏らしてくる。


 見たところ、他に人がいる気配はない。


 仮に怪しい人物であったとしても、女一人であればそれほどのリスクは生じないか。


「……どうする? あっちもオレらに気づいてるし、声かけてみるか?」


 渋沢も俺と同じような判断をしたのか、慎重な様子で意見を求めてきた。


「だな。このまま迷ってるくらいなら、一か八かできる行動は起こした方が良いと思う」


 すぐに同意し、俺はこちらを向いた渋沢へ歩みを再開するようジェスチャーで促した。


「あの人も、同じ遭難者だったりしてな」


「そのときはそのときだよ。協力し合えないか話をしてみよう」


 緊張を紛らわすようにそんなことを言い合いながら、女の元へと近づいていく。


 女の方はと言えば、見知らぬ男女三人が真っ直ぐに自分へ接近しているのを見ているにも関わらず、動揺する素振りすら窺わせることなくただ同じ場所に立ち続けていた。


「あの、すみません」


 女との距離が五メートルほどにまで縮まったタイミングで、渋沢が他人向けのかしこまった声を放り投げた。


「オレたち、ちょっと道に迷っちゃいまして。ひょっとして地元の方だったりします?」


 出方を探るようにして問う渋沢の声に、女はその黒い瞳だけをスッと動かし僅かに細める。


 肩口で揃えられた黒髪、同じように黒いスラックスにベージュのノースリーブ姿の女は、何と言うのか、素人目に見てもこんな山の中を歩くには不向きすぎる格好に映り、あからさまな違和感を与えてきた。


 とは言え、まだ二十代半ばくらいに思えるその顔は遠目に見た以上に美人でつい見とれそうにもなってしまう。


「あの……?」


 視線を動かした以外の反応を示さない女へ、戸惑いながら再度言葉を重ねた渋沢だったが、女の口元が僅かに動いたのを見てそれ以上の言葉を飲み込み黙り込んだ。


「……何か、話し声が聞こえた気がしたものですから、どなたかいらっしゃるのかと思って様子を見ていました。皆さん、道に迷われたのですか?」


「あ、はい……そうです」


 女の声は、その見た目よりも年齢を重ねているかのような落ち着きをはらんでいて、俺は反射的にかしこまった態度をとってしまった。


「それはお困りでしょう。ですが、ここから一番近くの車道に出るにはそれなりに時間がかかってしまいます。今から向かわれても日が暮れてしまいますし、この辺りは猪などの動物も生息していますから、下手に下山を試みるのは少々危険かもしれませんよ」


 心配するように告げながら、女は俺たち三人を順番に眺めていく。


「マジかよ、参ったなぁ。因みに、えっと……日守湖(ひもりこ)に続く登山道へ出れたら最高なんですけど、そこへ行くにもやっぱ遠いですかね?」


 日守湖。この山にある一番大きな湖で、今日はそこを目的地として訪れていた。


 特に珍しい景色やスポットがあるわけではないが、周囲は綺麗に整備され登山好きなカップルの密かなデートスポットになったりしている場所で、俺たちも先程まで日守湖の周辺を散策していたのだが、その帰り道でどこをどう間違えたのか、こんなおかしな所へ迷い込んでしまった。


「日守湖ですか? それでしたら、尚更時間がかかりますよ。皆さんが来られた方角とは逆ですから、今からあそこへ続く道へ戻るのはやはり危険かと思います」


「え? 逆? 嘘ぉ……ちょっとフミくん、勘弁してよぉ。思いっきり道間違えまくってるじゃん」


 女の説明を聞いて、戸波がうんざりしたように渋沢の背中へ文句をぶつける。


「んなこと言われても仕方ねぇだろうがよ。オレだって初めて来たんだし、大体茜だって何も言わないで後ろついてきてただけなんだから、そんな一方的に責められる立場じゃねぇだろ」


「はぁ? 何? あたしが悪いって?」


 ここまでの疲れやストレスで沸点が低くなってしまっているのか、戸波があからさまにムッとした様相で渋沢の頭をねめつける。


「おい、やめろよ。こんなとこで喧嘩なんかしても何も好転しないだろ」


 すぐさま仲裁するように声を割り込ませ、邪険なムードになりかける空気をどうにか抑え込む。


 女はそんなこちらのやり取りを面白がるように眺めてから、「あの……」と遠慮がちな声を漏らしてきた。


「もしよろしければ、私の家が近くにありますので休んでいかれませんか? 何でしたら、部屋もありますし、今日一晩お泊りになられても構いません」


「え? いや、でも……」


 突然の提案に、俺たちは咄嗟に反応を返すことができずそれぞれ視線を交わし合う。


「お気持ちはありがたいですけど、さすがにそんなご迷惑をかけるわけには……。戻り方さえ教えていただけたら、自分たちでどうにかしますので」


 見ず知らずの、それも女性の住む家に上がり込むというのもさすがに気が引け、代表するかたちで俺が言葉を返す。


「どうにか……とおっしゃいましても、土地勘のない方が夜の山中を歩き回るのは自殺行為になりかねませんよ? 恐がらせるつもりではないですが、この近辺で過去に四人、滑落(かつらく)や熊に襲われるなどして死者もでています。下手に移動して、余計迷ってしまう危険もありますし」


 女はそう告げながら(ろう)のように細い両手を胸の前で重ねるように合わせた。


「気を遣ってらっしゃるなら、遠慮はいりません。今は私一人で生活をしていますから、他に誰もいませんし」


「一人? こんな山の中で、一人暮らししてるんですか?」


 信じられないというように、戸波が女の言うことへ食いつく。


「はい。以前は主人と暮らしていたのですが、事故で他界してしまって。早々に未亡人となってしまいました」


「あ……ごめんなさい。デリカシーのないこと聞いちゃった」


 どうということでもないという風に笑顔で答える女の返答に、戸波の表情が引きつる。


 すぐ側で渋沢も(たしな)めるような目線を送ったりしているが、女は「構いませんよ」と微笑みながら軽く受け流し、身体を捻るようにして自分の背後を指差した。


「私の家はすぐ近くですので、時間もかかりません。毎日一人で過ごすのも寂しいものですから、たまには誰かとゆっくりお話がしたいと思っていたところなのです」


「は、はぁ……」


 再び、俺たちは視線だけを共有しどうするべきか暗黙の相談を交わす。


 女の言うように、このまま山中を歩き回って万が一の事態が起これば自分たちでどうにか対応などできないし、困ることになるのは目に見えている。


 夏場とは言え、さすがにもう日が沈み切る前に元の道まで戻ることも絶望的だろう。


 それと、ここで女の申し出を断り自力で一夜を過ごすとしても、安全な場所を見つけられる保証などどこにもない。


 ならばもう、ここは素直に厚意に甘え、まともな寝床を確保するのが一番なのではないか。


 幸い、他に人がおらず唯一の家主が宿を提供すると言っているのだ。条件は悪くない。


「……別に、急いで帰らなきゃいけない用事があるわけでもないし、休ませてもらえるならお願いしても良いんじゃないか? これで余計道に迷ったら、最悪どうなるかわかんないしさ」


 現実的に判断して、これが一番まともな選択だ。


 そんな俺の考えを察したか、渋沢が「それはまぁ、そうだけどな」と妥協を示すような態度を窺わせ、横目で戸波を一瞥した。


「あたしは賛成だよ。夜の山さまよって、それで怪我したりするくらいなら、素直に助けてもらった方が良いじゃん」


 刻一刻と暗くなる空と野宿を迫られる状況を考慮し、宿を得ることが最善策と結論を下したか、戸波はいともあっさりと女の申し出に賛成を示した。


 たぶん、相手が自分と同じ女性で一人暮らしをしているということも安心に繋がったのかもしれない。


「お話はまとまったみたいですね。簡単なものではありますが、夕食もご用意することができますので、どうぞ友達の家に遊びに来たとでも思って遠慮なく寛いでいってください。さ、こちらへ。お足元に気をつけてくださいね」


 戸波の言葉で意見が固まったと判断したか、女はくるりと踵を返すとそのまま茂みの中を歩きだす。


「……」


 その華奢な背中と友人二人を交互に見て、俺は「立っててもどうにもならないし、行こう」と促すように言葉をかけると、歩いていた獣道から草藪のような場所へと踏み込み、木々の奥へ進んでいく女の姿を追いかけ始めた。

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