~逢魔が時に迷う~
「ヤバいな。もうすぐ日が沈むぞ」
八月十三日、土曜日。
仕事の休暇を利用し、友人たちと登山へ訪れていた俺は、木々の隙間から覗く濃いオレンジ色の空を見上げて疲れを滲ませた声を漏らした。
「一日くらいなら、野宿でも凌げるんじゃないか? 冬場じゃないんだし、最悪道に出られなくてもどうにだってなるだろ」
額の汗を手の甲で拭いながら立ち止まり、渋沢が俺を振り返って気楽な声を放ってくる。
「食料と飲み物も、少しはある。ほら、動画サイトでよく見かける自給自足生活ってあるだろ。あれみたいなもんだと思って楽しめば良い」
「そんなのあたし観たことないし。やだよ、こんなとこで野宿なんて。テントとかだって持ってないじゃん。虫もいるしさぁ……何とかして戻ろうよ」
渋沢の言葉に苦言を呈し、困ったような声音を漏らしたのは戸波だ。
ケロリとした渋沢とは対称的に、疲れきった面持ちを浮かべ、先程から小さなため息を何度も吐き出している。
「たぶん、無理だよ。進む方向がわからないし、適当に歩いてる間に暗くなって身動きがとれなくなる。どこか休める場所を探す方が賢明だと思う。夜の山を歩き回るのは、頭で考えるより危険だって言うしな」
耳障りなくらいにひぐらしが合唱を奏でる空間で、俺は友人二人を交互に見やった。
渋沢郁洋、そして戸波茜。
高校時代からの友人で、二十歳になった今でも唯一交友関係が続いているのがこの二人だ。
それぞれ別々の大学に進学し、顔を合わせる機会は年に二回ほどしかなくなったが、それでも会う度に当時と変わらない態度で接し合えているのだから、俺たちは間違いなく生涯の友と呼べるような、良い関係を築くことができているのだろう。
「響平までそんなこと言うし……。こんなことになるなんて聞いてないよ」
渋沢の意見へ肯定するような俺の言葉に、戸波は脱力した様子で肩を落とした。
一週間前、渋沢の思いつきで隣県にある山へハイキングに行こうという話になり、俺と戸波は特に深く考えることもせずに同意を示した。
全員、高校時代は陸上をやっていて体力だけには自信があったし、今回訪れたこの山もそれほど険しいわけでもないごく普通の山。
春先になれば、山菜目当てに足を運ぶ人も多いし、夏場にはキャンプや俺たちのような素人登山をする者だって普通にいると聞いている。
だからこそ、日帰りのハイキング気分でこうしてやってきたわけだったのだが、何故か途中で道を見失い、見覚えのない場所をさまよい歩く羽目となってしまった。
「今さらそんなこと言っても仕方ないだろ。ひとまず、もう少し歩いて休めそうな場所を探そうぜ。それで運良く道に出られれば儲けもんだし、電波くらいは戻るかもしれないだろ?」
ぐずる戸波へ若干ばつが悪そうに告げ、渋沢が自分たちの歩く獣道の前方を顎でしゃくった。
その言葉に反応し、俺は自分のスマホを確認する。
道に迷い暫く歩いてから気がついたことなのだが、何故か電波が届いておらず圏外を表示してしまっていた。
全くと言って良いくらいに単純な道であったはずなのに帰路を見失い、挙げ句行きは問題がなかったスマホの電波も完全に圏外。
どちらへ進めば人のいる場所へ出られるのかもわからなくなりながらさまよい、いつしか獣道にまで迷い込んだ。
これでは戸波が弱音を吐くのも理解できるが、だからと言ってここに立ち続けていても事態は何も改善しない。
「渋沢の言う通りだ。我慢して、もう少し歩いてみよう」
「……うん」
少しでも励ませられたらと、なるべく軽い調子で告げた俺の言葉に、戸波は渋々といった感満載で頷いた。
後三十分もすれば、足元は闇に侵食されてしまう。
そうなる前に、なんとか落ち着ける場所くらいは確保しなくては。
最悪の場合、野生の獣に襲われる危険だって高まってしまう。
内心不安が募るのを顔に出さぬよう努めながら歩みを再開すると、暫くして突然渋沢が「そう言えば……」と、下げていた顎を僅かに上げて呟きをこぼしてきた。
「どうしたんだ?」
黙って歩くのも気が滅入るため、俺は惰性のようなノリでその呟きを拾った。
「いや、今ふと思い出したんだけどよ。中野って覚えてるか? 高校のときに同じクラスだった、あの眼鏡かけてた奴」
「中野……? ああ、いたな。あんまり話したことはないけど」
大して仲が良かったわけでもない男子の顔をおぼろ気に脳内へ浮かばせながら俺が頷くと、渋沢は口元をニヤリとさせ話を続けてきた。
「あいつとはオレもそんな仲良くはなかったけど、一度教室で二人きりになったタイミングがあってよ、そんときに変な話聞かせてもらったんだよ。それ思いだした」
「変な話? 何だよそれ」
「まぁ、変なって言うか、普通に怪談だな。あいつ、小学生の頃家族で海に出かけてさ、そこで幽霊見たって」
「幽霊? 恐い話かよ」
季節的には最適だが、よりによってこんなタイミングでかと思いながら、俺は苦笑を返す。
「嫌いじゃねぇだろ? あいつさ、家族で海に……てか、その海の近くに従兄弟が住んでて、そこへ夏休みを利用して泊まりに行ったらしくてよ。そのときに体験した話だって、教えてくれたんだ」
俺の呆れたような呻きへ、肩越しに視線を返しながら渋沢は話を続ける。
そして、
「で、その体験ってのがな――」
足を止めることはしないまま、聞かされたという怪談を語り始めた。




