引き金.IV
「アトラスの運営バスが一台大破。それをジャックした犯人の男が一名重傷。その他、乗り合わせていたガードに軽傷者多数……と。しかも包囲作戦を展開していた他のガードたちを振り切って強行突入を敢行。極めつけに、立体交差からジャンプして車ごとバスの上に乗りつけるって、どういう神経してたら出来るわけ?」
「それ俺じゃなくてイッセーの奴に言えよ、石渡。俺は助手席で鼻ほじってただけだぞ」
珍しくもなく我らが二年C組の担任教師が朝のホームルームをサボタージュした、次の一限目。
本来ならクラス単位で行われる全科合同の基礎射撃訓練なんだが、それにすらあの男は姿を見せなかったために満場一致で自主休講となった空き時間で、松永はクラスメイトに小言を言われていた。
快晴の空の下、教室の窓から贅沢に差し込む陽光は照明を使わなくても十分に室内を明るく照らしてくれている。その当たり前だが当たり前とは程遠い、朝日が演出する光と影の心地良いバランスに、うたた寝でもしようかと窓辺で呆けていたところを捕まったのだ。
訓練も面倒だが、こっちはこっちで面倒臭い。ただ無視をすると後で何のダシに使われるか分かったものじゃないため、溜息混じりに世間話に応じることにする。
「彼に訊いてもマトモに納得できるような答えが返ってくるわけがないじゃない。それに、何かしらの問題を起こした時のあんたたちの主犯格は松永くん、貴方でしょ」
誤魔化しなど利かぬ、言い訳など聞かぬといった巌のような態度で松永に冷えた半眼を向けるのは、二年C組の面々が誇り、そして誇る以上に存在そのものを憂い嘆く少女だった。
石渡ウズメは、誇張抜きに絶世の美人だ。長くツヤのある黒髪に、黄色人種にしては珍しく透き通るような白い肌。気の強さが顕れたようにやや目つきがキツイところがあるものの、欠点とするレベルではない。むしろ女王様系の雰囲気が容姿と絡み、早熟な魅力を存分に醸し出している。世が世なら傾国美人の賛辞をほしいままにしただろう。
ただじっと動かず静かに微笑んでいてくれれば、という注釈がデカデカとしたフォントで付くのだが、それはそれとして。
「失敬な奴め。顔良し性格良しの超優良児な俺を捕まえてお山のボス猿みたいに言いやがる」
「いけない、聞いてなかったわ。それで、何ですって?」
「俺はすごくいい奴です」
「詐欺師と示し合わせたような台詞ね。正義を自称する輩にいい男はいないのよ」
なんだか重い一言が返ってきた。まるで実体験を伴っているような……。ズビビッ、と、恥じらいもなく音を立てて紙パックに挿したストローを啜る姿は折角の美人が台無しである。
「それに朝の件で車が壊れたり怪我したり、皆大変なんでしょ? いいの? あんたはこんなところで油売ってて」
「だからそれは俺の所為じゃないだろ……。行動も結果も、ガードなら自己判断の自己責任だ。隊行動取ってるからって、んなことまで面倒は見切れねえよ。…………それでか、教室がやけに静かなのは」
「ええ、今頃お気づきかしら。事件の現場検証とか大破したバスの回収とかでほとんど出払ってるのよ。萩原くん島津くんの二人も、二号フロートの増強警備に回されちゃって居ないもんだから、余計に寂しく感じるわね。あら? 松永くんは仕事もせずにここで何をしているのかしら?」
いやみったらしく言われるが、いつものことだと松永は飄々と聞き流す。
二号フロートとは、たしか大阪に作られた日本二番目のジオフロートだったか。深刻な治安の悪化に伴い、十年前から始まり今なお続いている"フクオカ問題"の轍を踏むまいと、五年ほど前に急ピッチで建造された新造都市のはずだ。
やはり上の新都市と下の旧都市間で天国と地獄ほどの差異があり、現在もこっちの一号フロート地下でのさばる悪徳の街には及ばないが、結構な危険地帯だったと記憶している。
このあたりは仕方がない。そもそも、ジオフロートが作られた目的が、そういうものなのだから。
ジオフロートは蓋だ。空から、衛星から、人の記憶から、お天道さまに顔向け出来ない人間社会の邪悪の噴出点を覆い隠すために作られた分厚い金属の蓋。
旧福岡市、またはジオ福岡などとも呼ばれる下の街は、朝からバスジャックが起こるくらいには治安が悪い。最低と言い換えてもいいだろう。
街を出歩くのは行き場を失くした浮浪者に始まり、ヤクザに海外マフィア、薬物中毒、異端宗教、傭兵くずれに殺し屋……。とにかく面子が輪をかけて酷いものだ。ここは本当に日本なのかと疑いたくもなる悪夢のような、世界中の悪党が角突き合わせる不浄の街。
だから、ジオフロートが作られた。臭いものに蓋をするために。
そして、蓋を護るためにアトラスガードが組織された。
「アルバイトのうちから出張があるとか、考えたらトンデモねえな。それも、送りこまれるのは銃弾が飛び交う戦場もいいところってのが泣ける」
「学校の体裁としては、国内短気留学とか研修合宿みたいなものなのよね。私たちは大抵、将来そういう仕事をするためにこの物騒な学校に通ってるわけだし」
「俺は違うぞ。こんなアホみたいな仕事したいがために誰が好き好んで学校にまで入るかよ。気合い入り過ぎで逆に引くわ」
「じゃあ、松永くんは何のためにここにいるのよ」
「そりゃあ、お前……。……合法的に爆弾使えて、うっかり人の腕ふっ飛ばしたりしても罪にならないから?」
「はい、ダウト。規律と倫理の対極にいるあんたみたいな犯罪者予備軍がシラフで働ける職場なんてガード以外ないのよ」
反論の余地が見つからず閉口する松永の手は、いつのまにか乳白色の粘土のようなものをこねこねと弄んでいた。
いや、そもそも松永がガードになったのは、半ば家を追い出されるようにして流れ着いた先が福岡だったというだけで、決して何か、もしくは誰かを爆破したいからなどという理由が先行したわけじゃないのだ。
爆弾を解体していると気持ちが安らぎ、爆薬に触れるだけでもテンションが上がったりするのは事実ではあるが。
「そ・れ・で。最初の話に戻るけど、バスジャック解決のためにあんたたちが採った手法について、あちこちからC組にクレームが来てるのよね。通信科だからって窓口にされて、こっちはいい迷惑なの。朝から文句ばかり聞かされて本業の方は全然進まないし」
いやだからあれは運転手が勝手にやったことで、と松永が言い訳を口にする前に、トン。
飲み終わったパックジュースの空容器を、チェックメイトをかけるチェスの駒みたいに机の上に置いて、笑顔で告げた。
「ラウル先生のところに行って、責任の取り方について相談してきなさい。生きてまた会えるといいわね」