共同運営の申請
離縁の正式認可が届いたのは、監査から三週間後だった。
封書は北中継所の記録卓に置かれ、アーデルは朝の点灯報告をすべて確認してから開封した。もう「夫人」と呼ばれる必要はない。封書の宛名は、冬灯管理士アーデル・リース。結婚前の姓だった。
紙を撫でる指に、寂しさが一滴もないと言えば嘘になる。
ルーファスと過ごした六年には、ひどい日ばかりがあったわけではない。街道第一号小屋が完成した日、二人で看板を掲げた。初めて通行税が増えた年には、彼も「君の灯のおかげだ」と杯を上げた。だからこそ、最後に彼が守ったのが自分の虚栄だったことは、鈍い痛みとして残る。
「先生、北市場三号の放熱量が昨日より一割低いです」
ミナの声で、アーデルは封書を引き出しへしまった。
「雪が吸気口を覆っている可能性があります。清掃班を先に出して、それでも下がるなら予備石と交換を」
「はい、局長」
「まだ局長ではありません」
「明日の任命式でそうなる人も、今日すでに局長みたいなものです」
中継所はすっかり冬灯局の仮庁舎になっていた。王家は伯領から停止した街道管理権を、王領と周辺三領による公共信託へ組み直すことを決めた。責任者として推薦されたのがアーデルである。
一人の夫の好意に設備の生死が左右されない仕組み。彼女が欲しかったのは、離縁の慰謝としての役職ではなく、それだった。
規程の草案には、レオンの案で利用者代表の議席が加えられた。アーデルはそこへ、転用には管理士と利用者双方の公開承認が要るという条文を書き込んだ。
「王弟の署名だけでも不足ですか」と、彼は昨日の会議で冗談めかして尋ねた。
「足りません。善良な王弟がいつまでも善良とは限りませんし、次の担当者があなたとも限りません」
「耳が痛いですが、安心しました。私に遠慮して緩められるより、ずっといい」
かつて夫へ制度を説明するたび冷たい女だと言われた声を、レオンは信頼できると言った。恋に落ちるとは、甘い言葉に緩むことではなく、固い部分をそのまま尊重されることかもしれない。
午後、セラフィナが小さな演奏会を開いた。硝子温室の薔薇の代わりに、干した薬草の束と濡れた外套が並ぶ広間で、彼女は春を待つ歌を歌った。聴衆は宿場の子ども、点検職人、雪で滞在中の商人たち。曲が終わると、誰より先に発熱から回復した少女が拍手した。
「こちらの方が、温室よりずっと歌いやすいですわ」
セラフィナが笑うと、広間があたたかな笑いに包まれた。
夕刻、アーデルは外の設置台を見回った。空は晴れ、雪原には青い影が長く落ちている。門前の冬灯を点検していると、レオンが書類筒を抱えて現れた。
「局長候補殿、お時間をいただけますか」
「監察官殿がその呼び方をされると、断れない案件に聞こえます」
「断れる案件です。だから、できるだけ慎重に持ってきました」
彼は書類筒から二枚の紙を取り出した。一枚目は冬灯公共信託の運営規程。アーデルが既に修正を重ねていたものだ。二枚目には、見慣れない表題があった。
「共同生活及び婚約に関する申請案……?」
アーデルは思わず彼を見た。
レオンの耳が、寒さ以上に赤い。
「私は王弟です。求婚をすれば、また権力であなたの判断を囲うのではないかと考えました。あなたはようやく、ご自身の名前で局を持つ。そこへ私が救った顔をして入り込むのは違う」
「あなたは、私を救ったとは一度も仰いませんでした」
「救われたのは、監察の方です。記録だけでは閉門を暴けても、雪の中の人は救えなかった」
彼は一枚目の運営規程を指した。
「私は春から、王領側の街道予算を担当します。あなたがよければ、仕事では共同運営者に。そして仕事の外では、あなたを好きになった男として、交際を申請したい」
申請。その堅苦しい言葉がおかしくて、アーデルは笑ってしまった。
「添付書類が足りません」
「何でしょう。家系証明、資産目録、健康診断まで揃えます」
「あなたが本当に雪解け後も現場に来るかの観察期間です。冬の非常時だけ格好よく現れて、春には王都へ戻る方では困ります」
レオンは一瞬目を見張り、やがて嬉しそうに深く礼をした。
「それは厳正な監査になりそうです」
「私は管理士ですから」
アーデルは申請案を受け取った。今すぐ署名はしない。誰かの妻になることを急がなくていい時間が、彼女にはある。
けれど門前の冬灯に照らされた彼の笑顔を見て、雪解けを待つのが少し楽しみになった。




