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会社に着いて、ぼんやりとした頭でパソコンを立ち上げる。
もう、仕事を頑張る気にもなれない。
今夜にでも、退職届を書こう。
早く辞めたい。
修弥と同じビルでなんか、これ以上働けない。
しかも今日は、月に一回の社長朝礼の日だ。
修弥がやってくると思うと、憂鬱な気分がどんどん増していった。
「よーし!
朝礼を始めるぞー」
部長の声で、みんなが一斉に席を立つ。
前方には、修弥が立っていた。
ちょっと顔色悪くない?
大丈夫かな?
私が心配してもしょうがないのに、つい考えてしまう。
「みなさん、おはようございます。
今日の朝礼では……」
修弥は、会社の業績についてだとかの話をしているけど、私にとっては内容なんてどうでもよくて、ただ声が聞けるだけでこんなにも嬉しい。
……って何を考えてんのよ、私。
まだ、離れて一日しかたってないのよ?
今からこんなんで、どうするんだろ。
朝礼が終わり、フロアを出ていこうとする修弥と目が合う。
以前に同じことがあったときには、優しく微笑んでくれた彼が、今日は表情ひとつ変えず、私から視線を外した。
バカだな。
自分からさよならを言ったくせに、目をそらされてこんなに傷ついているなんて。
私と修弥は、もう恋人同士じゃないのよ。
ただのOLと社長。
そもそも、縁があることがおかしかったんだから。
だから忘れよう。
夢を見ていただけ。
淡い恋の夢を。
そして、もう現実に戻らなきゃ。
修弥と出会う前までの私に。
夜、会社を出てすぐの場所で修弥の車を見かけた。
ハザードランプをつけたまま停まっている。
今日は、自分の車で出勤してきたみたい。
私の退社時間と同じ時間に会社を出るなんて、珍しく早いんだなと思ったら、綺麗な女の人が車に近づいた。
横顔しか見えなかったけど、大人っぽい感じの美人。
あの人が修弥の婚約者なんだって、すぐにわかった。
だって、私の特等席だった助手席に乗り込んだから。
待ち合わせをしていたんだ……。
それからすぐに、車は夜の街へと消えていった。
ふたりはあれから、どこへ行ったんだろう。
今頃、何をしているの?
まさか、ベッドにはいないよね……?
でも、結婚するなら、そうなっていてもおかしくないのか……。
でも、やっぱりまだやめて!
イヤ。
それは、とってもイヤ。
「……ずさ。
梓!」
「あっ、光太……ごめん」
いけない。
光太の家に帰ってからも、私はぼーっとしてしまっていた。
せっかく光太とゆっくりできるのに。
思い出しちゃダメ!!
ベッドに腰かけて、意識を切り替えようとしていると、光太が口を開いた。
「……梓、キスしていい?」
「えっ!?」
「今、修弥さんのこと考えてたろ?
少しだけでも、オレのことを考えてほしいんだ……」
そう言うと返事も聞かずに、光太はそっと唇を重ねてくる。
私も今度は、抵抗しなかった。
四年の間、何度もされたキス。
いつもドキドキしていたけど、今は何も感じない。
徐々に深くなっていくキスとともに、私はゆっくりと、その場に押し倒された。
懐かしい。
この感じは、確かに光太だ。
癖というか、手順は、全然変わっていない。
「いい?
梓。
服、脱がすよ?」
「……うん。
いいよ……」
ごめんね、光太。
昔みたいには、ときめかないの。
でも、こうすることが修弥を忘れる一番の方法だと思うから、抱いて。
私を、昔みたいに力強く抱いて……。
そうすれば、そのうちまた慣れる。
昔みたいに光太に抱かれていたいって、思えるようになるよ。
きっと。
光太が、もう一度私に口づけながら、服に手をかける。
ほんの少しの辛抱だと、自分に言い聞かせたときだった。
突然、光太はキスをやめて、私から身体を離した。
「やっぱりやめる」
「え?
な、なんで?」
思わず起き上がった私に、光太はそっけない視線を向けた。
「嫌々、抱かれてほしくないから」
「あ……」
気がついていた?
「四年間一緒にいたんだからな。
梓のことは、よくわかってるつもりだよ」
そう言うと、光太はテレビの電源を入れて、私に背を向けてしまった。
「梓が、あの頃みたいに幸せそうな顔をしてくれるまでは、これ以上はしない」
「ごめん……。
ごめんね」
そうよね。
私だって、嫌々抱いてほしくないもん。
光太も同じだよね。
しばらく黙ったまま、自己嫌悪で俯いている私の頭を、光太は優しく撫でる。
「謝るなって。
オレが贅沢を言ってるだけだから」
私が顔を上げると、そこには、つき合っていた頃と変わらない笑顔があった。
「ううん。
私が、自己中なんだよ」
もう。
本当に情けなくなる。
どこまで私は自分勝手なんだろう。
こんなに光太に気を遣わせて……。
「違うって。
悪いのはオレ」
「ううん。
私!」
そんなやりとりをしていると、だんだんおかしくなって、ふたりで同時に吹き出した。
それからしばらく、私たちは笑い合っていた。
「やっと、自然に笑ってくれた」
「え?」
光太はちょっと困ったような笑みを浮かべて、私にそう言う。
「今だけ、忘れられたろ?
修弥さんを」
「うん。
忘れてた」
あの頃から変わらない光太の優しさに、気持ちが穏やかになっていくのを感じる。
「光太……。
これは嘘じゃないよ。
本当の私の気持ち」
私は光太の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
唇を離すと、光太が驚いた顔で私を見ていた。
「びっくりした。
つき合ってるときでも、梓からキスしてくれることなんてなかったのにな」
「そうだったっけ?」
それくらい光太から、たくさんキスをしてくれていたんだよ。
そして私たちは、もう一度、何かを確かめ合うようにキスをした。
私たちがキスを重ねている間に、私のスマホには一通のメールが来ていた。
送り主は修弥。
【婚約披露パーティーに来てほしい。
彼も同伴でかまわないから。
また改めて、招待状は送る】
そう、書かれていたのだった。




