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私、香川梓。
従業員数四千人の総合商社、広世商事に勤める、 二十三歳の新人OL。
とはいっても、本社でバリバリ働いているわけではなく、本社から数駅離れた場所にある支店が私の職場だ。
会社自体は、食品から機械部品まで様々な商品を扱っているけど、私のいる支店は機械部品をメインに取り扱っている。
営業マンを含めて三十人程度ののんびりした支店で、主に受発注処理をするのが私の仕事。
私にはつき合って四年になる彼氏、光太がいて、このあいだ、プロポーズされた。
四歳年上の彼はスポーツマン。
彫りの深い顔と締まった体つき、性格は明るく優しい、誰もが羨ましがるような人だ。
そんな彼との結婚が、私にとって人生最大の夢。
その私が、どうしてこんな大企業に就職したか……それは、少しでも光太に頑張っている自分を見せたかったから。
光太も私との結婚生活を思い描いて、仕事を頑張ってくれている。
ここに入れたのはラッキーだったけど、正直、私は仕事で成功するよりも、カッコいい女になるよりも、可愛くて、幸せなお嫁さんになりたい。
ずっと、そう思っていたんだ。
「はあー。
もう帰りたい……」
パソコンの画面に向かって、ため息交じりに呟く。
「何言ってんのよ、梓。
まだお昼にもなってないじゃん」
私の隣の席でキーボードを叩きながら、ちーちゃんが言った。
ちーちゃんは私の同期で、名前は江本千鶴。
私と違って仕事熱心で、将来は管理職を目指している。
ギャルっぽい派手な外見だけど、芯のしっかりした女性だ。
私は小柄で童顔だから、ちーちゃんと並ぶと本当に子供っぽく見える。
しかも、同じ受発注業務をしていても、彼女の処理スピードは、私の倍くらい速く、能力面でも差がある。
「大好きな彼との結婚控えて、なんでため息なんてついてんの?」
ちーちゃんはちらっと視線だけを私に向けて、少し呆れた顔をしている。
「だって、やる気が出ないんだもん……」
「またそんなこと言って。
あ、わかった!
マリッジブルーってやつでしょ?
いいなぁ。
羨ましい」
『羨ましい』って、結婚願望のないちーちゃんに言われても、まったく嬉しくないんだけどな。
それにこの話を聞いたら、ちーちゃんじゃなくても羨ましいなんて思わないはず。
私のやる気が起きない原因は……。
「浮気されちゃった……」
「は!?」
手を止めて、ちーちゃんが私のほうに顔を向ける。
「な、なんで?
誰と?」
「彼の職場の女。
後輩だった。
私も何度か、会ったことがある人なんだ……」
まさか、結納も交わした彼に浮気されるとは思わなかった。
……今でも、夢を見ていたんじゃないかと思ってしまう。
「ちょっと待って。
それって、梓の誤解とかじゃないの?」
「エッチしてる現場を見ちゃったんだよ?」
「はあ!?」
「シーッ!
支店長がこっち見て睨んでるじゃん」
「ごめん、ごめん」
日中は、営業マンはみんな外回りだから、支店には支店長と私たちの三人しかいない。
だけど、支店長の席はかなり離れているから、内容までは聞こえていないはずだ。
「で、見たってどこで?
彼の家?」
イスを私のほうに近づけて、ちーちゃんは小声で聞いてきた。
「うん。
実はね……」
あれは今から、一週間前。
「なんで出てくれないんだろ……」
寒さも厳しくなった十二月上旬の夜、私は仕事が終わった十九時頃に、光太に電話をした。
式場をどこにするか相談しようって約束していたのだ。
それなのに、電話にも出ないし、メールを送っても返信がない。
「残業になるかもしれないって言っちゃったからかな……仕方ない。
家まで行くか」
昼休憩に送ったメールのことを後悔しながら駅へ向かう。
会社から光太の家までは、電車で十分。
私は急いで、いつものように光太の住む部屋へ向かった。
二階建ての古びたアパート。
彼は、新居は綺麗なマンションにしようと言ってくれていた。
トントントン……と階段を上がり、二階の突き当たりにある角部屋の前に立つ。
そしていつものように合鍵で鍵を開け、ゆっくりとドアを開いた。
その瞬間耳を疑うような声が聞こえてきたのだった。
それは甘くて、普段なら絶対に聞くことのない声。
その声とは違う少し荒い息づかいは、私の耳にも聞き馴染みのあるものだった。
思わず顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、光太が、いつも私と使うベッドの上で、私じゃない女の子と身体を重ねている光景。
光太の背中に手を回し、甘い声をあげていたのは、彼が勤めている会社の後輩の子だった。
「光太……?」
そう言うだけで精一杯だった。
私の声は光太に届いたようで、彼は少しだけこちらに顔を向け、目を丸くしていた。
そう。
それは、紛れもなく婚約者の浮気現場だった。
それも、史上最悪なシチュエーションでの。
こういうときは部屋に入り、ふたりを引き剥がすくらいの度胸があればよかったのかもしれない。
だけど現実がのみ込めなかった私は、光太と目が合ったのに、身を翻してドアを閉め、その場から立ち去ることしかできなかった……。




