第一章-26. 明日への決断
深い呼吸の音が、静かな空間にわずかに響いていた。三人はそれぞれ、剣と魔力を収め、ようやく腰を下ろしていた。
──休息。
それは、互いの命を削るような衝突の果てに訪れた、束の間の平穏だった。
「ここは……魔物、出ないのね?」
アリサが問いかけると、レムナは頷いた。
「この空間は、ボス部屋のための回廊だからな。“部屋”を開けないなら、安全だ。」
当然のように答える少年に、アリサとセシリアはわずかに目を細める。
(どうして、そんなことまで知っているの?)
疑問は拭えない。だが、彼の実力やこれまでの言動を思い返せば――信用に足る。騎士であるセシリアが頷き、アリサも納得したように魔力の集中を解いた。
三人は、それぞれ思い思いの姿勢で地に身を預ける。レムナは壁にもたれ、剣を傍らに置いたまま、背を向けるようにして横になった。アリサは魔導ランタンに火を灯し、次いでアイテムボックスから手慣れた様子で何やら取り出した。
「レムナ、これ…使ってちょうだい。予備だけど、寝具が余っているのよ」
彼女の手にあったのは、細かい紋様が織り込まれた光沢ある布地に、魔法の刻印が散りばめられた寝具 ――現代で言えば、完全自動温度調整機能付きの高級キャンプベッドのような代物だった。
「……え、これを? 俺に?」
「そうよ。あなた、そのまま地べたで寝るつもりだったでしょ?」
レムナは目を伏せた。たしかに、布も敷物も持たず、床の冷たさに背を預けて寝ようとしていたのは事実だった。
「いや、それは……悪い。どれだけ高いかわからないが、たぶん、一生分かかっても……」
「違うわよ。これは“予備”よ。そんなの気にしてたら、塔では生き残れないわ」
淡く笑って、彼女は寝具をそっとレムナの横に置いた。
「それにね、今夜ぐらい、ちゃんと休まないと。ずっと戦ってきたんでしょ?」
その言葉に、レムナは口を閉じた。
数秒の逡巡ののち、彼はゆっくりと寝具に身を沈めた。ふかふかと沈み込む魔法寝具の感触に、思わず声が漏れそうになる。
「……ああ、これ、やばいな……」
孤児院の硬いベッドとも、宿舎の薄汚れた寝台ともまったく違う――
それは“眠ること”が贅沢だった頃の感覚を思い出させるような、安堵に満ちた抱擁だった。
(でも……気は抜けない。まだ完全に、信用、できるわけじゃ……)
まぶたを閉じないように耐える。だが――
「……っ、無理だ……こ、れ……」
そのまま、レムナは静かに、魔法寝具に包まれて意識を手放した。整った呼吸、緩んだ眉間。彼の表情から、初めて“戦いの外”にある少年の素顔が覗く。
「……よかったわ。ちゃんと眠れたみたいね」
アリサがそっと呟いた。声は静かだったが、どこか誇らしげで、安堵が滲んでいた。その横で、セシリアも目を細めていた。いつもの鋭い警戒心は消え、柔らかい静けさがその表情に宿っていた。
「……アリサさま、優しすぎますよ。与えすぎると、つけ上がってしまうかも」
「それはないわよ。……あの子、孤児にしては妙にちゃんとしているもの」
アリサはレムナの寝顔を見つめながら、そっと魔導ランタンの光を絞る。柔らかな光が、三人の間に薄い膜のような静寂を落とした。
「ねぇ、セシー……私、たぶん、あの子のこと……」
「はい。私も……見直しました」
銀鎧の騎士は、今では完全に警戒心を解いていた自分自身に、苦笑する。“異物”だった少年。
だが今、魔法寝具に包まれて無防備に眠るその姿に、ふたりの少女は確かに――人としての親しみを感じ始めていた。
塔の闇に包まれた静寂の中、三人の物語は、わずかに歩幅を揃えはじめていた。
*
再び目を開いたとき、空間は微かに温もりを帯びていた。ランタンの魔光が、壁の金属に揺れている。 寝具に包まれ、ほのかに香るハーブの匂い。……が、自分の周囲を見て、レムナは言葉を失った。
「………………なんだこれ」
目の前には、貴族のキャンプが広がっていた。ふかふかの魔法寝具はもちろん、保温魔道具付きのスープ鍋。スパイス入りのパン。湯気の立つ紅茶。横ではセシリアが手際よく器具を片付け、アリサがランタンの明かりを調整している。
「よく眠れたかしら?」
「……いや、そんなことよりも、ツッコミどころが多すぎるんだ、が……」
自分の持ち物といえば、干し肉一枚とボロ布。なのにこの貴族ペアは、まるで高級宿にでも来ているかのような設備を持っている。
「探索用の支給品よ。上層貴族なら、ある程度便利なものも持っているわ」
「いや、“ある程度”の範囲を軽く超えてるだろ……」
レムナは、自身の装備の貧相さに、泣きそうになった。
(くっ……文化レベルが違いすぎる……!)
「ほら、食べなさい。あなた、まともなもの食べてなかったでしょ?」
差し出されたのは、肉の香り漂うスープと、バターの染みたパン。
戸惑いながらも受け取る。鼻が、体が、あまりの香ばしい匂いに震える。
「……あ、ありがたく…いただき、ます」
(……負けた。文明に、完敗だ……)
そんな中、アリサは柔らかく笑った。
「食べながら、話しましょう。ね?」
*
スープを飲み終える頃には、自然と空気が落ち着いていた。椅子代わりの岩に腰かけ、レムナは天井を見上げたまま口を開く。
「この先には、転移門がある。そこに行くには……ボス部屋を突破するしかない」
アリサが眉をひそめ、セシリアが背筋を伸ばす。
「ボス、ですか?」
「ああ。ただ、問題がひとつある」
レムナは真剣な目で二人を見据えた。
「……このボス部屋、侵入人数に応じて、敵の数が変わる」
「え?」
「一人なら、ゴブリンロードだけ。二人なら、クイーンが追加される。そして三人だと――ジェネラルまで加わって、三体同時になる」
「三体……!?」
「しかも連携が取れている。一体一体が強力なボス個体だ」
アリサの表情が不安げに揺れた。だが、レムナは続けた。
(俺一人で行くなら、突破の可能性は高い。……だけど、わざわざ言う必要はないな)
覚悟を決めて呟く。
「三人で行く。それが、一番だ」
意外にも簡単に、アリサとセシリアは同時にうなずいた。
「私は、異論はないわ。あなたの能力はもう、疑いようがないもの」
「私もアリサ様の決断に従います」
そして――
「……わかった。まずは、戦術共有だ。敵の動き、攻撃パターン。全て覚えてもらう」
レムナは静かに立ち上がった。その瞳には、疲労ではなく、次の戦いを見据えた光が宿っていた。
*
「最初に……お互いのステータスを確認しよう」
レムナは慎重にそう切り出した。本来、他者のステータスを聞くのは無作法に近い行為だ。だが、今は生死を分ける決戦前。遠慮していられる状況ではない。
「ええ、もちろんよ」
アリサが軽く頷く。その素直な返答に、レムナは内心で驚いていた。
(やはり……貴族特有の傲慢さがないな)
「まずは、俺から——」
「ちょっと、待って」
言葉を遮るようにアリサが口を挟み、アイテムボックスから漆黒の板を取り出した。
──モノリスの欠片。
「これで確認できるわ」
黒曜石のような美しい表面に、凹凸一つない滑らかな輝き。まるで、現代のタブレット端末のようだった。通常、ステータス画面は他者に見せることができない。信頼と申告の世界だ。
だが、モノリスの欠片を使えば、その制約はない。
(……貴族ってのは、住んでる世界が違うな)
驚きすら通り越し、呆れすら覚えるレムナを尻目に、アリサは手慣れた様子で欠片に触れた。
──そして、表示されたのは。
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╔═══ SYSTEM STATUS ═══╗
║ 《NAME》: アリサ(ALISA)
║ 《CLASS》: エレメントメイジ -Lv.5-
║ 《SOUL CODE》: H-0812-GRACE
╠═══ PARAMETERS ═══╣
║ STR(筋力) : E-
║ VIT(耐久) : E+
║ AGI(敏捷) : E+
║ MAG(魔力) : C
║ MND(精神) : C-
║ LUK(幸運) : C
╠═══ SKILLS ═══╣
║ ACTIVE : 魔力障壁展開Lv.2 / 初歩の火術Lv.3 / 魔力弾Lv.1
║ PASSIVE : 魔力感応Lv.2
╠═══ TRAITS(特性) ═══╣
║ ▸ 魔法正家の血統
║ ▸ 才気の閃き
╚═════════════════╝
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「……すごい、な」
「ふふっ、でしょう? そこらのひよっこ魔法使いとは格が違うのよ」
誇りを隠そうともしない微笑みだった。だが嫌味は感じなかった。
(何回繰り返したら、こんなキャラができるんだ……URかよ)
レムナは思わず、昔のゲーム感覚で脳内比較していた。
「……次は、私が」
銀の鎧をまとった騎士が一歩前へ出る。
「アリサ様と比べると、見劣りしますが……」
謙虚な言葉と裏腹に、手は迷いなく欠片に触れられた。
______________________________________
╔═══ SYSTEM STATUS ═══╗
║ 《NAME》: セシリア(CECILIA)
║ 《CLASS》: シールドナイト -Lv.5-
║ 《SOUL CODE》: K-0749-GLORY
╠═══ PARAMETERS ═══╣
║ STR(筋力) : D-
║ VIT(耐久) : D+
║ AGI(敏捷) : E+
║ MAG(魔力) : E+
║ MND(精神) : D-
║ LUK(幸運) : C+
╠═══ SKILLS ═══╣
║ ACTIVE : 基礎盾術Lv.3 / 挑発Lv.1
║ PASSIVE : 騎士の心得Lv.2
╠═══ TRAITS(特性) ═══╣
║ ▸ 守護の誓約
╚═════════════════╝
________________________________________
(……見劣り? とんでもない)
D等級が三つ、それも幸運以外での構成。ヒューマン種の中では大当たりと言っていい。筋力・耐久・精神と明確な“壁”の資質が整っている。
(アリサが火力なら、セシリアは盾だ。……それも、信念と訓練で磨かれた本物の)
──そして、最後にレムナ。
黙って欠片を受け取り、そっと手を置く。
________________________________________
╔═══ SYSTEM STATUS ═══╗
║ 《NAME》: レムナ(REMNA)
║ 《CLASS》: Fool -Lv.15-
║ 《SOUL CODE》: ██████
╠═══ PARAMETERS ═══╣
║ STR(筋力) : C-(↑)
║ VIT(耐久) : D+(↑)
║ AGI(敏捷) : D-(↑)
║ MAG(魔力) : F
║ MND(精神) : D
║ LUK(幸運) : ??
╠═══ SKILLS ═══╣
║ ACTIVE : 基礎斬術 Lv.2(↑)
║ PASSIVE : 狩猟本能 Lv.2
╠═══ TRAITS(特性) ═══╣
║ ▸ 空の継承
║ ▸ 最下層の王殺し
╚═════════════════╝
________________________________________
「あなた……本当に、人間? こんな短期間でここまで成長するなんて……」
「……私も、驚きを隠せません」
セシリアが真剣な表情で頷く。
(レベル差も、な……)
“空の継承”がなければ到底あり得ない成長速度だ。
——少し、ズルをした気分になるな。
(……まあ、レベルなんて、この“世界”では重要じゃない)
気まずそうに頬をかくレムナだったが、話を逸らすように、視線を石扉へと向けた。
「この先の部屋に出てくるのは……ゴブリンロードだ」
レムナの声が低くなる。
「ただし、人数によって構成が変わる。一人ならロードのみ。二人ならクイーンが追加される。そして三人——」
視線がふたりに向けられた。
「……ジェネラルまで揃う。つまり、今の俺たちには、三体すべてが出る」
「やる順番を誤ると地獄になる」
──クイーンを先に倒せば、ロードが狂乱。
──ジェネラルを最後まで残せば、激昂状態となり、手の付けようがなくなる。
必然的に、まずはロードを倒し、三人の火力を集中してジェネラルを沈め、最後にクイーンを潰す。
それが唯一の常套手段。レムナはそれぞれの行動指針を説明する。
「だからこう動く」
レムナは具体的な作戦を口にする。
「アリサは火力支援と妨害。クイーンとロードを同時に圧迫してくれ」
「了解。私の火は、支援も制圧も両方いけるわ」
「セシリアはジェネラルの足止めを頼む。タンクが必要だ」
「お任せください。盾に誓って、必ず抑えます」
「俺はアリサと連携して、まずはロードを潰す」
「そして、三人の火力でジェネラルを一気に押し切る」
「クイーンは最後だ。回復されても単体では大したことは、ない。必ず倒せる」
三人の視線が自然と重なる。もはや、言葉は必要なかった。戦うために、進むために、越えるために。
――決戦の時は、すぐそこにある。




