序章-14. 塔への門出
金属を叩くような、荒々しい音で目が覚めた。
「起きろ! 出発の時間だ!」
扉を乱暴に開け放ち、王国兵が怒鳴りながら宿舎の中を歩き回る。
名簿を片手に、手当たり次第に藁束を蹴り飛ばし、寝ていた孤児たちを叩き起こしていった。
「全員、装備を持って表へ出ろ! 並ぶぞ、遅れたら市民資格は剥奪だ!」
罵声とともに、朝焼けの光が差し込む。
俺は短く息を吐き、立ち上がった。
昨夜磨いておいた外套と胸当てを身につけ、黒革の鞘に収めた短剣を腰に。
木箱を倒しただけの寝台に、未練はない。
外へ出ると、すでに数十人の少年少女が整列していた。
皆、第六棟の住人。
昨日までは、誰もが泥と埃にまみれていた。
だが――今、この中で浮いているのは俺だった。
汚れのない外套。
整えられた装備。
まっすぐな足取り。
「……おい、あれ……誰だ?」
「いや……いたか? あんな奴」
「選定式で……なんか見た気が……」
「あんな装備、どこで手に入れたんだ?」
低い声が交差する。
だが誰も近寄ってこない。
遠巻きに、ただ見るだけだった。
選定式で注目されたはずの存在も、
三日も経てば“記憶”の中に薄れていく。
俺は無言で、列の最後尾に立った。
*
塔の前の広場には、すでに数百人の十五歳たちが集まっていた。
前列には貴族街からの隊列。
金糸の刺繍、家紋入りの武具、護衛兵まで従えた者までいる。
彼らは皆、“名前のある未来”を期待されていた。
血統、訓練、政略――生まれながらに“個”ではない。
その列の奥。
一人の少女が、不意にこちらを振り返った。
緋色の髪を束ね、魔導具を揺らすドレス姿。
アリサ・ラインフォード。
《エレメントメイジ》と称された魔導貴族の少女。
彼女の視線が、こちらに一瞬だけ絡む。
まるで、何かを確かめるように。
……だがすぐに、視線を逸らした。
(……覚えているのか?)
アリサは、何事もなかったように列へと戻っていく。
彼女の背後では、他の貴族子弟たちがざわめきを浮かべていた。
彼女だけが、違うものを見ていたようだった。
「……見ろよ、奴らのあの装備。粗末すぎる」
「下民だよ。俺たちとは違う」
「ま、すぐ死ぬさ。塔の洗礼ってやつだ」
そんな声が、貴族の一団からかすかに聞こえてくる。
強がりか、緊張の裏返しか――あるいは、本気で見下しているのか。
*
壇上には、王家第三王子――ライヒルト・セイオス。
金と紅の式服をまとい、まっすぐに広場を見渡していた。
その背後には神殿官と軍の高官たちが控えており、式典の空気は張り詰めている。
「若き探索者たちよ──」
朗々たる声が、朝霧の中を貫いた。
「この地に集った者たちは、皆“選ばれし者”だ」
「貴族も平民も関係ない。神の前に立ち、職を得たことで、君たちは平等に試練へと挑む」
彼の声には、軍人の凛とした厳格さと、王族としての誇りが滲んでいた。
「塔は試練の地だ。栄光と命、どちらも求められる」
「汝らの中には、もう二度とこの広場へ戻れぬ者もいるだろう」
ざわめきが走る。
だが、王子は続けた。
「だが恐れるな。塔はただの地獄ではない」
「塔は“機会”だ。名もなき者が、名を得る。弱者が、力を得る場所だ」
その言葉に、下層の者たちがわずかに顔を上げる。
「王国は、その冒険の成果を未来の糧とする」
「我ら王族は、お前たち全員を誇りに思い、その帰還を祈る」
ライヒルトが右手を掲げる。
「──行け。塔へ。そして、汝らの“運命”を掴み取れ!」
静寂。そして、喝采。
その瞬間、王子の視線がひとりの少年を捉えた。
黒い外套。異質な雰囲気。
「……あれが、“愚者”か」
王子の隣に立つ青年が、細い目を細めて囁く。
深緑の法衣を纏う、蛇のような目を持つ神官。
神殿と軍の両方に通じた、情報官だという。
彼の視線は、ずっとレムナに向けられていた。
*
ポータル前に、最初に呼ばれたのは貴族街の子供たちだった。
彼らは手を取り合い、煌びやかな装備のまま、光の歪みに吸い込まれていく。
次に呼ばれたのは、騎士団系の訓練所組、神殿家系の子弟たち。
一人、また一人と、静かにポータルへと歩を進めていった。
そして――
「……レムナ」
その名が呼ばれた瞬間、周囲がざわついた。
あの名前を覚えている者たちにとって、それは妙な違和感だった。
三日間、どこで何をしていたのか――何も知られていない。
俺は、誰の目も見ず、静かに歩き出した。
ただ、足音だけが広場に響く。
(……やれる。やってみせる)
ポータルの前に立ったとき、視界にまた“あれ”が浮かぶ。
_______________________________________
【確認:対象個体 《レムナ》 ポータル通過 認証完了】
_______________________________________
「……行こうか」
独り言のように呟いて、
俺は黒い歪みに、足を踏み入れた。
──第一階層。
塔の攻略が、ついに始まる。




