花咲く庭園と目覚めの光
——そこには、夜空に浮かぶはずの満月が映り込んでいた。
けれど、その異変に気付く者は、誰もいなかった。
先ほどの不穏な空気と気配は消えていた。
「……もう、大丈夫みたいっすね。」
レヴィがほっとしたように息を吐く。
「そうだな。」
ロイドも周囲へ視線を巡らせる。
花々は相変わらず、色鮮やかに咲き誇っているものの、先ほどまでに感じていた不思議な気配はもうどこにも残っていなかった。
「先ほどまで不穏な気配がありましたが、今は消えたようなので、お部屋に戻りましょうか。」
「えぇ。それより、気配だなんて私にはわからなかったわ…。」
ルアナは不思議そうに首を傾げる。
「これは、獣人特有の第六感と呼ばれるものですね。人間も鍛錬することで身に着ける方もいらっしゃるようですよ。」
「第六感…。」
ルアナは小さく呟く。
自分には感じられなかったものを、2人は感じ取っていたらしい。
人間と獣人。
同じように見えていても、やはり違うところがあるのだと改めて感じる。
「私も、いつかわかるようになるのかしら?」
「ルアナ様ならすぐに身に着くと思いますよ!」
レヴィがにっと笑ってみせる。
「本当……?」
「はいっす!なんたって俺が教えますから!」
「ふふっ、頼りにしてるわね」
「任せてくださいっす!」
そんな2人のやり取りを、ロイドは少し離れた場所から静かに見守っていた。
そして、ほんの僅かに口元を緩める。
先ほどまでの緊張が嘘のように、穏やかな時間が戻ってきた。
——そのとき。
「ルアナ!」
遠くから、聞き慣れた声が響いた。
ルアナが振り返る。
庭園へ続く道の向こうから、1人の青年がこちらに向かって走る姿が見えた。
「イアン…?」
「はぁ……っ、はぁ…」
「殿下!?」
ロイドが驚いたように目を見開く。
「庭園の方で何か…、不穏な魔力の気配がしていただろう。…ルアナの気配もそこにあったから心配で…。」
イアンは呼吸を整えながら、答える。
「不穏な魔力、ですか?」
ルアナが不安そうに問い返す。
「あぁ。」
イアンは頷き、ようやく整ってきた呼吸を落ち着かせる。
「今、魔法通話で報告があったのだが、城の魔術師たちが、庭園の方角から一時的に強い魔力を感じ取ったらしい。」
「……強い魔力。」
ルアナ小さく呟く。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「それって…。」
ルアナが言いかけた瞬間。
イアンはここでは口にするな、と言わんばかりに、静かに首を横に振る。
そのしぐさにルアナははっとする。
「魔力反応があったのは確かだが、それが何によるものかまでは分かってないんだ。」
イアンはあえて淡々とした口調で告げる。
「そう…。」
ルアナは少しだけ俯いた。
自分の身に起きたこと、突然咲き始めた花々、胸の奥から溢れたあの不思議な光。
そして——お母さまの声。
もしかしたら、それが関係しているのかもしれない。
そう思うと、心の奥に小さな不安が芽生える。
「……私が、何かしてしまったのかな?」
「違う!」
イアンはすぐに答えた。
「まだ何もわかっていない。だから、ルアナが自分を責める必要はない。」
「でも……庭園で何か起きたのは私がいたからでしょう?」
「それも、まだ分からない。」
イアンはそう言ってから、一度だけ庭園を振り返った。
「ただ………魔術師たちの報告では、少し妙な部分があるらしい。」
「妙な部分……ですか?」
ルアナが顔を上げる。
「あぁ。」
イアンの表情が少しだけ真剣になる。
「最初は、強い魔力が一気に発生したように感じたらしい。」
「それなら、私の力かもしれないわ…。」
「それが、そう簡単に判断できないんだ。」
「どうして?」
「魔術師たちが感じた魔力には、普通の魔力とは少し違った特徴があったらしい。」
ルアナはイアンの話を静かに聞く。
「属性を特定しようとしても、うまく読み取れなかったそうだ。」
「……属性がわからない?ですか?」
「そうだ。」
イアンが頷く。
「この魔力には火・水・風・土・光・闇の6つの属性があるだろう。どれにも反応がなかったんだ。」
そこで一度、言葉を切る。
「ただ、魔力反応が消える直前、一瞬だけ強い光属性と神聖力に似たようなものを感じたそうだ。」
ルアナの胸が、どくんと鳴った。
「………光。」
その言葉に胸元へ手を当てる。
先ほど感じた温かな光。
自分の内側から溢れ出た、あの不思議な力。
けれど、それを口にすることはできなかった。
まだ、自分でも確信が持てずにいた。
「それと……」
イアンが続ける。
「魔術士たちは、もう一つ気になることを言っていたんだ。」
「それは…何?」
「魔力そのものは強力にも関わらず、周囲の物にはほとんど害がなかったらしい。普通は、あれほど強力な魔力が突如発生すれば、周囲の魔道具や植物に何かしらの影響があるんだ。」
イアンは咲き誇った花々へ視線を向ける。
「だが、今回起きたのは花が綺麗に咲き誇っただけだった。」
ルアナも花々を見つめる。
鮮やかな色に甘い香り。
そして、どこまでも穏やかな光景。
「それって……悪いものじゃないってこと?」
「そうとも言い切れない。正体がわからない以上、今は何ともだ。」
イアンは慎重に答えた。
けれど、その言葉とは裏腹に、彼の中ではある一つの答えが浮かんでいた。
神聖力でもなければ、光属性とも違う。
そして、命を傷つけるのではなく、花々を鮮やかに咲かせた力。
——月の乙女……。
その名が脳裏をよぎる
ルアナが月の乙女であることはアイリスから聞いている。
しかし、今ルアナにそれを告げても、戸惑わせてしまうだろう。
彼女自身、まだ自分の力について何もわかっていないのだから。
「……イアン?」
黙り込んだ彼を不思議に思ったのか、ルアナがそっと顔を覗き込む。
「いや、なんでもない。」
イアンは心配させまいと、微笑む。
「今はあまり難しく考えなくていい。何かわかったら必ず伝えるから。」
「…わかったわ。」
ルアナはほっとしたように頷く。
そして、心の中でそっと胸をなでおろした。
まだ確信はない。
でも、自分の不思議な力も、夢の中で聞いた母親の言葉から、自分が月の乙女と呼ばれる存在なのかもしれない。
まだ何もわからない。
それでも、自分が何者なのか。
その答えに、ほんの少しだけ近づけた気がした。




