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神様ごっこ  作者: 五月雨
2/7

1.森の暮らしは

 森の暮らしは、自給自足が基本である。


 食糧を集め、薪を拾い。飢えと寒さを凌げるなら、それでよしとしなければならない。畑がある者は幸運だ。僅かな根菜を作って腹の足しにできる。


 注意すべき点も多かった。山菜採りの場所は秘密に。アケビの種を食べると腹を壊す。灰色の黴が生えた葡萄は甘くて美味い、ただし毒になるものを含む云々――


 親から子へ。子から孫へ。代々伝えられてきた生き抜くための智慧。多くを求めず、足るを知る。生きてゆくために必要なものは、それほど多くないのだから。


 下り坂の隘路を、ひとりの少女が歩いてゆく。息を弾ませながら褐色の膚を朱に染めて。なかなか大変に見えるが、それでも足取りは軽い。大事そうに抱えた陶器の瓶からは、甘い林檎の香りが漂っている。娘の名を、ライセンのエアという。


「いたいた。今日は何があるのかな?」


 緋色の瞳が好奇心と期待に輝く。


 外の文物など不要。守り人たる我らは自然の恵みだけを享受する。そう言われていたのは昔のこと。アトルムの村にも物売りが来るようになって久しい。彼らは仲買を兼ねており、珍しい品があれば意外な好条件で買い取ってゆく。通貨を持たない妖魔達は、持ち込まれた財貨の中から気に入ったものを選び、薬や乾物などの加工品と交換してもらう。品切れ御免だから、毎度欲しいものが手に入るとは限らない。


 村の片隅で三月に一度、青空市場が催される。太陽と月が均衡する彼岸節の早朝は、馴染みの行商が店を開く特別な日の始まりだった。


「おはようございます、ラダラムさん。景気はどうですか?」


「ほい。バルザのとこの娘さんか。まあ、ぼちぼちじゃな。最近はキナ臭いから、あまり遠出をせんようにしとるよ」


 そう言いながらも、こんな辺境の村まで現に来ている。ラダラムが生まれ育ったのは、海を渡った大きな陸地にある急峻な山岳地帯の国だ。薄墨色の膚と寸詰まりの屈強な肉体を持つドワーフ族は、手先と口が器用なホビット族と同一の社会を形成している。


 エアには国というものがよく分からなかったが、とにかく人が大勢いるらしい。百人かと訊いたら黙って首を横に振ったので、次は千人かと訊いてみた。すると今度は笑いながら頷き、いつか自分の目で確かめてみるといい、と穏やかに言われただけだった。


 ドワーフの露店は、毎度のことながら品数が多い。食料、雑貨、小物に加えて嗜好品の酒や煙草まで並べられている。エルフ族の村は内陸にあるため、川で獲れる以外の魚を目にすることは稀だ。塩も貴重品であり、冬越しの保存食を作るのには大変重宝する。


 これらの品をどこから持ってくるのか、エアは知らない。分かっているのは、彼の扱う銀細工がおいそれと手を出せないほどに高価ということだけである。


「さて。今日は何を分けてくれるかの」


「いつもの薬と……これです」


 とっておきの品だった。それは昨冬で最も出来がよい林檎酒。陶器の瓶に入れ、粘土を塗り固めることにより兄ルークの鼻から隠し遂せたものである。林檎好きの彼は、酒の良し悪しにもうるさい。疑惑の念を逸らすのには、なかなか苦労させられた。


 森の巡回へ出ているため、今日ルークは村にいない。帰ってくるのは夕方だから、それまでに取引を終わらせる。また粘土で封をし、他の瓶と混ぜて木箱に仕舞えば、さしものルークとて気づくことはできないだろう。


 品定めするラダラムを期待の眼差しで見守る。かなりの値がつくはずだ。お目当ては昨秋壊れてしまった巨大な水甕。これがなかったために、今年の冬は毎日川まで水を汲みにゆかねばならなかった。銀細工のことを思えば惜しいような気もするが、こういうことは早めに済ませておきたい。直前になって慌てるのは彼女の流儀ではなかった。


「どうですか?結構いいと思うんですけど」


「ふむ……」


 ドワーフ族は酒飲み。口にせずとも香りだけで酒の良し悪しが分かるという。白髭で覆われた口元が笑いの形に綻んだ。


「こいつは儂がいただくとしよう。欲しいのは、どれかな?」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 秘蔵のへそくりは、エアに予想以上の見返りをもたらした。水甕はもちろんのこと、水汲みの桶や柄杓を新調してなお、お釣りが来るほどだったのである。


「…じゃあですね。あれとこれとそれと」


「まだ余裕があるぞ。他に欲しいものは」


「いいんですか?じゃあこれとそれをやめてあっちの……」


「それだと足が出る。そんなにはやれん」


 乾いた笑み。かれこれもう七回目である。


「貨幣のほうがよくはないか。時が経っても腐りはせん」


「嫌。あれは実がないもの」


「価値を貯めるには一番じゃぞ。だから暮らしが安定せんのじゃ」


 ラダラムの太くて短い指が、小さな銀色の円盤を弄ぶ。前に見せてもらったことがある。森の外に住む者達が使う『硬貨』と呼ばれるものだ。


 それは大まかに三種類あって、価値の高いものから金、銀、銅でできている。誰しもこれを手に入れるために血道を上げ、時には同族間の殺し合いさえ起こるという。村の外へ出たことのないエアには信じ難い話だった。


「たとえば今回の酒。儂の借りにしたとしよう。次にこの村へ来たときは、幾許かをタダで渡すことにしてな。当然約束は守るが、もしも山賊に襲われ儂が死んだらどうする?貸しを返してもらえなくなるお前さんは大損するというわけじゃ」


 その点通貨ならば、他との取引にも使うことができる。林檎が不作の年にも品物を分けてもらえる。更に言えば食糧そのものを手に入れることだって……


「まあ無理にとは言わんよ。よいことばかりでもないのだしな」


 懐に円盤を仕舞うと、ドワーフは皮肉っぽく笑った。それが自身に向けてのものだと分かる。何故自嘲しなくてはならないのか、エアには分からなかったけれども。


 気を取り直し、また品定めを再開する。


 居並ぶ商品の中、エアはどこかで見たことがあるような瓶を見つけた。褐色の硝子に綺麗な紙を貼り、馴染みの薄い文字で何事か綴られている。自ら手にしたことはない。それにしては見覚えがあるし、身近なところで何度も擦れ違っていたような……?


(……えっと。何だっけ)


 瓶に色がついているのは、光の影響を避けるためだ。加えてコルクの蓋に強く巻かれた油紙。この中に入っているものが湿気や酸化に弱いことを示している。エルフにとって薬は作るものだから、残る可能性は一つ。


「あれもお酒ですか。バルザ師匠が飲んでるやつ」


「うむ。値の張るものじゃから、たまにしか売れんがの」


 言われて思い出した。まだ子供の頃、琥珀色の液体を舐めていた養父が『生命の水』と呼んでいたのを。悪戯心に含んで引っくり返り、残りをルークが飲み尽くして叱られた。曰く『山火事で焦げついた生乾きの樹皮を、水分の飛んだ古い酒に浸けたような』味がしたという。やたら想像の難しいところだが、獣の絵解きに子供の解釈である。いずれ甘党のエアにとっても美味しくなさそうなことだけは分かった。


「…どのくらいしますか?」


「安くはない。水甕とこいつで若干足が出るかの」


「そんなに……?」


 とても手が出せない。寝具一式に相当する。


 水甕は絶対に必要だ。これから雨季がやってくる。井戸や川の水が濁って使えなくなるから、晴れた日に汲んでおくか雨水を溜めるしかない。足繁く通うことにして、ひと回り小さなものに替えるか。乾季は乾季で、いつもの水場が涸れてしまう。水桶を抱えて山を下るのは、なかなかに骨が折れる。


「こっちのやつは……」


 頑張れば持ち歩けそうな壺。言った傍から不安になり、結局買うのをやめた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「場合によっては、二つともやらんではない」


 質問に答えず、のんびりと呟いた。


「何かを持ってくればいいんですね。それで足りない分の埋め合わせにしてもらえる」


 意図を直感的に悟る。彼との付き合いは長い。こういう言い方をするのは、何か交換条件を出すとき。とはいえ実際に何を求められるのかは、聞いてみるまで分からない。


「そういうことじゃ。お前さんには宝探しを手伝ってもらう」


 意外な言葉だった。兎や珍しい果物というのが多かったからである。


「……宝探し?」


「心配いらん。昼までには戻れる」


 休憩中の札を立てた。護衛の魔導兵がいるから、物盗りに遭う心配はない。強くはないが頑丈であり、諦めることを知らないため犯人が誰か分かる寸法だ。エア自身、小さい頃に悪戯を仕掛けて吊るし上げられたことがある。


 それにしても宝探しとは子供騙しな響き。彼の出してくる条件は今までも甘かった。晩飯の主菜ひとつで変わるとは思えず、顔見知りの子供に小遣いをくれる感覚なのだろう。そろそろ十五歳になるのだから子供扱いはやめてくれと言うと、初老のドワーフは声を出して笑った。大人として認めたからこそ今回の仕事を頼むのだと。それで実際にやることは宝探し。腑に落ちないものがある。


「儂ら小人はカスパルの下僕じゃ。他に属する奇跡は使えん」


 小人族とアトルム。どちらもニンゲンを祖とする種族だが、生まれた経緯は著しく違う。小人族は神々により創造され、アトルムは原種の創術師が自ら奇跡を起こして生まれ変わった。基礎的な知識を継承しており、両者の技術水準には雲泥の差がある。新たな術をも生み出すアトルムに対し、小人族は与えられた知識の模倣者に過ぎなかった。


 正直なところ、エアはあまり術が得意ではない。そのあたりを期待されているのだとしたら、本当に大人向けの仕事だろう。逃げ出すなら今のうちである。


「硬くならんでいいぞ。身の危険はない」


 振り返らずに言う。見透かされていたわけだが、それも当然だった。自分の庭を歩くにしては明らかに緊張しすぎていたから。


「…別に怖いわけじゃないし」


「分かっとる。お前さんは戦士じゃからな」


 やはり振り返らなかった。そういうラダラムも戦士である。エルフ族よりはマシだが、本格的に分業できるほど小人族の数も多くない。


 少し歩くと、やがて暗くなってきた。雨雲ではない。空は相変わらず晴れている。いつの間にか太陽は消え、代わりに星達が出ていた。どう考えてもおかしい。広場を離れてから、まだ四半時と経っていないのに。


 時間を速めれば周囲の動きは遅くなる。逆もまた然り。今の状況では減速の術を使う利点がない。あれは敵を待ち伏せするとき体力を温存するために使う術式。すなわち人為的なものではなく、自然に生じた変化ということ。


「また宵の口か。さては夜遊び好きじゃったのかの」


「…………………?」


 ますます分からなくなる。これほどの怪奇でもドワーフは眉ひとつ動かさない。何が起きたのか知っているからだろう。足が鈍ることもなく、同じ歩調で先へと進んでゆく。説明してくれるつもりはないらしい。やむを得ず後を追う。


「あの……」


「ここじゃ。着いたぞ」


 立ち止まると、周りの景色が一変していた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「ここは……!?」


 思わず目を瞠った。爆音がよぎり、反射的に両手で耳を塞ぐ。


 黒く平らな地面。その上を流れる光の河。林立する角張った石塔の間を走っている。見たこともない金属の橋が架かっており、向こう側に渡るときはその上を歩いてゆけばよさそうだ。単純な一本道ではなく、小さな広場にもなっているらしい。河の袂には等間隔で金属柱が並び、一番上に真っ白な輝きが灯っている。今までに見たどの光よりも強く、それでいて全く熱を感じさせなかった。星々の影を覆い隠し、夜明けが近いのかと錯覚させる。申し訳ばかりの銀杏並木は、夜通し無遠慮に照らされるせいか何となく機嫌が悪い。


 加えて見渡す限りの人。どちらを向いても隙間はなく、人の波という言葉が思い浮かぶ。全体的に色白であり、髪の色は黒か褐色。エルフやドワーフのように先の尖った耳を持つ者はいない。河の正体が光を発しながら動く箱の列だと気づいた頃、エアはようやくこの場所を異質たらしめている特殊性に思い当たった。


「伝説の都じゃ。一説には神々の故郷とも言われておる」


 交易商の口振りは、昔を懐かしむようなものだった。茫然と立ち尽くす少女のために、己が知っている限りの秘密を語る。


「正確に言えば、そのものではない。これは女神の夢。よくできた幻じゃからの」


「………幻…………」


 無意識に伸ばした右手が、白い金属質の柵を素通りする。エアは改めて驚き、眼前に広がる光景と自分の腕をまじまじと見比べた。


「ただ触っても駄目じゃ。影響を及ぼすには、物質化してやる必要がある」


 厳かに告げると、ラダラムは光の河へ踏み出した。撥ね飛ばされそうに感じて、反射的に両目を瞑る。実体があるなら即死は免れまいが、所詮は幻。見た目と異なり、足元には草や土の感触がある。違和感を振り払い、彼の後に続く。


「急がねばならんぞ。消えてしまうかもしれんからな」


 ドワーフの足は、どこへ行くべきか知っているようだった。暗い路地裏の隅を回り、路傍に立ち並ぶ色取り取りの瓶を閉じ込めた硝子張りの箱を覗く。面食らったのは、どこにも水場がないこと。井戸や本物の川が見当たらない。黒と灰色だらけの砂漠で、ここに住む人々は一体どのような暮らしを営んでいたのだろう?


「あったぞ……これじゃ」


 我に返り、声のしたほうを振り返る。


 片刃の短剣――それが最初の印象だった。幅広の薄い刀身に肉抜き穴が三つ。軽量化のためだろうが、ここまで来ると強度に不安を覚える。何せその厚さときたら、羊皮紙二、三枚分しかないのだから。獲物を捌くのには使えるかもしれないが、他の刃物とぶつけたりするのはなるべく避けたほうがいいような気がする。


「包丁、ですよね。そんなものが宝……?」


「今に分かる。マテリアライズは使えるな」


 死にかけた者の魂を物質化して持ち帰る秘法だ。肉体の再生には時間もかかるが、ほぼ生前の状態で甦ることができる。人口の少ないアトルムは、この技術がなければ既に淘汰されていただろう。


「…ヒトも持ち帰れるんですか?」


「そうしたところで売れんよ。儂は奴隷商ではないからな」


 心外そうに鼻を鳴らす。エアとしても同じだった。人手が欲しいわけでもなし、食い扶持が増えるだけならいないほうがマシである。


 言い知れぬ感情を振り払い、捨てられた包丁と向かい合う。創術を発動させるのに特別な道具は必要ない。求められるのは意識の集中、それから言語による内容の特定だ。祝詞の最初には必ず決まった名前を唱える。いかなる機序か知らないが、その存在は曖昧な表現を用いても術者の望みを叶えてくれる。


「…『変わりゆくもの』。彼のものに実なる体を与え給え……」


 奇跡は発動した。右手を伸ばし、足元に転がった刃物を拾う。


 それは驚くほど軽かった。刃渡りはエアが持っているナイフと同じ。重さは鋼鉄の半分ほど。長らく野晒しされていただろうにもかかわらず、全く錆が浮いていなかった。研ぎなおす必要はありそうだが、使えないほど鈍っているわけでもない。


 瞬時に品定めを終えると、ラダラムはそれを木綿の布で丁寧に包んだ。満足気な様子からして、充分な利益を上げられるものだったのだろう。神々の力を宿した遺物なら、高値で取引されるのも分かるような気がする。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「もう少しいられそうじゃな。お前さんも何か持ち帰るといい」


 エアは戸惑った。唐突に言われても、どうすればいいのか困ってしまう。


「えっ……と」


「難しく考えることはない。どうなるか分からんし、盗みはやめたほうがいいと思うが」


 幻と呼ばれた街並みを、改めて注意深く観察する。道行く人々は全て原種。その事実だけを以てしても、エアにとっては驚くべき発見だ。ドワーフの国は千人以上と言ったが、これは恐らくその数十倍に達する。いや下手をすると数百倍に届くかもしれない。存在感の薄さに助けられているが、そうでなければ今にも酔ってしまいそうだ。


 ラダラムの言うとおり、盗みはやめておいたほうがいいだろう。後味が悪いのは勿論、本当に何が起こるか分かったものではない。女神が夢を見ていると言うなら、今の自分達は思い出の記憶に紛れ込んだ異物。言わば他人の心の中に土足で踏み込んだようなもの。そう考えたら、これ以上騒がせるのは申し訳ないことのような気がした。


「私は、いいです。そろそろ帰りましょう」


 そのとき。壁際の大きな箱に一人の男が近づいた。おもむろに何かを入れ、やや迷いながらいも並んだ赤く光るものを押す。下の取出口から黒い筒を拾うと、そのまま疲れた様子でどこかへ行ってしまった。見慣れないものばかりだが、一部には精巧な果物の絵柄が描かれている。文字が分からなくとも、それらが何なのか大体の見当はつく。


(食べ物……かな。それにしては細すぎるけど)


 男が去った後も赤い光は消えなかった。あれを押せば、同じものが出せるのだろうか。しばらく待ってみても、誰かが戻ってくる気配はない。


 入れていたものは、きっとお金。色や大きさは違ったが、以前ラダラムに見せてもらったのと似ていた。この大きな箱は、人手を介さずに物を売り買いするための道具。魔力は感じないが、幻といえども神々の故郷である。エアやラダラムには分からないだけで、恐ろしく高度な術が使われているのかもしれない。


 ふと興味が湧いた。神がどんなものを口にしていたのか。普通に眠り、普通に起きて。普通に飲み、普通に食べ。泣き、笑い、怒り、喜び――その果てに神となった。この世界が生まれてから千年以上。そのあいだ神は、休むことなく働き続けている。


 いや……そもそも神になったという自覚があるのか。幸せだった頃の記憶を追い、今なお夢にまで見てしまう。不遜を恐れずに言えば未練たらたらだ。本当は世界のことなんかどうでもよく、故郷に帰ることだけを願っているようにも受け取れる。


 礎の女神アウラ。創世という偉業を成し遂げながら、一部では存在自体が疑われている神。本来ならば主神として遇されていてもおかしくない。むしろそのほうが普通だ。にもかかわらず、神々の間では末席扱い。これは一体どういうことなのか。


(……礎の女神は、力のある神じゃなかった……?)


 先程ラダラムから聞いた『奴隷』という言葉を思い出す。そこまで酷くはないかもしれない。さりとて今ある世界が、アウラの望んだものとも思えなかった。


「女神に逢えたヒトはいるんですか?」


 唐突に赤い光が消える。硬貨の連続して落ちる音。どうやら時間切れのようだ。箱の中身を貰うには、また入れなおさなければいけない。小銭の出口を覗きながら、ドワーフはのんびりと呟いた。


「いたことはいたらしい。千年も昔のことじゃから、詳しくは伝わっておらんがな」


「何か話したんですか?こうしてほしいとか、お告げみたいなものは」


「さあの。分からんと言うたじゃろ」


 応じた声には、幾分苛立ちが混じる。


「だがそやつらは皆、口を揃えて言ったそうじゃ。『礎の女神に拝謁して、大事な願いを叶えてもらった。アウラに認められれば、夢物語でも現実になる』……」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 小銭を実体化させると、エアはラダラムにこう告げた。


「先に戻っててください。私は、もう少しここにいます」


「……何じゃと?」


 驚くのは分かっていた。自分でも意外だと思う。昔から神頼みなんてしたことがない。ここに残るのだって、本当に願いが叶うと信じてのことではない。


「興味が湧いただけです。もしお兄ちゃんに会ったら、日暮れまでには帰るって伝えてください。それとお手数ですけど、あのお酒は」


「若長の家まで届ければいいんじゃな。まったくお前さんは。言い出したら他人の話を聞かん……」


 この年頃の子は向こう見ずだ。やや首を竦めて、反省の欠片もない笑みを浮かべる。彼女の性格を知っていながら、安易に面白そうな話をした大人も悪い。


 懐に手を入れ、銀色の丸いものを取り出す。無骨な指が外蓋を開けると、黒い円盤の中に小さな針が三本。そのうち一番細くて長い針が、目に見える速さでちりちりと動いている。他の太い二本は止まって見えたが、分かりにくいけれども動いているのだという。ずしりと重たい銀製のそれを、ラダラムは時計というのだと教えてくれた。


「そいつを預けよう。短い針が一回りする前に戻ってくるのじゃ」


 絡繰り仕掛けの時を刻む機械。これも初めて知るものだ。エアの着ているものには落としがなかったから、付属の鎖で首にかける。ドワーフの太い腕に合わせて作られた吊帯は、エアの華奢な項にぴたりと一致した。


「こっちの空では朝焼けかの。もしも遅れた場合は……」


 何やら言い淀んだ。気になる言い方だが、要は遅れなければよいのである。時間が限られているのなら、今は急ぐべきだろう。


「甕は残しておくからの。儂一人では運べぬ。ついでに土産話も聞かせてくれ」


「はい。それじゃ行ってきます」


 走り去る小さな背中を、ドワーフは泰然と見送った。


 東の空には遅い月が顔を出している。それはいつもと同じだったが、月齢だけは違っていた。今宵は十二といったところ、視覚的には満月に近い。だが今見えている月はどうか。糸のように細く、街の明かりに押されて見えづらくなっている。星達にしてもそうだ。旅の空に暮らしていれば、方角を知るために自ずと詳しくなる。にもかかわらず、この天球儀からは何ひとつ読み取ることができない。


 ラダラム達の世界と一致しているのは、太陽と月が地平線から上ること。東か西かは、この際どうでもよい。陽が上る方角を東、沈む方角を西と名付けたまでのことだ。より重要なのは、太陽と月以外の星の並びが全く知らないものだということである。


 礎の女神アウラは、このアウレア世界を創造した。そうしてくれなければ存在できなかったのだから、そのこと自体は感謝してよい。だが何のために?自らを生贄に捧げてまで、しなければならなかったこと。望みを叶えてほしいのは、人々ではなく女神だったのではあるまいか。実しやかな噂で興味を誘い、つられてやってきた欲深な者共を利用する。噂を教えてしまった意味では、ラダラムも利用されたことになるだろう。


 女神の目的は決まっている。夢にまで見た故郷へ戻ることだ。あるいは、こうも考えられる。アウラ以外の神々がドワーフやホビットなどの亜人種を創造したのは、元の世界へ戻る計画の手伝いをさせるためではないか――と。


 そこまで考えたとき、ラダラムはひとつ伝え忘れた話があることを思い出した。


 正真正銘の面白くない話である。つまらないの一言では済まされない。


 危険が及ぶ恐れもある。ああは言っていたが、エアは何かを願うつもりだ。見つからなければそれでよい。しかし互いに望みを持つ者同士。アウラの側でも彼女を探しているとしたら。交換条件を交わす相手を求めているとしたら……?


「迂闊に近づくでないぞ。相手は化物かもしれんのだ……」


 願いを叶えた者達は、全員記憶を失くしていたのである。

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