0.ある晴れた日の
ある晴れた日の午後。
行商が店を広げている。そこに足を止める若い影が二つ。
三人とも男。客の一人は痩せた体つき、もう片方は大きく逞しい。白銀の髪に褐色の膚。先の尖った細長い耳朶。血を思わせる紅玉の双眸。この界隈では誰しも似たような姿をしている。この森は彼らの故郷、アトルムが支配する領域なのだ。
最後の一人は、有体に言って酒樽だった。それでいて筋肉質、客達の胸ほどまでしかない背丈。陽に焼けたのとは違う薄墨色の膚。この地に住む者にとっては珍しい、小人族の片割れドワーフの特徴だ。のんびりした者が多く、今も客などお構いなしに懐から火打石を探り出そうとしている。
「おい親父。これはいくらだ?」
大柄な目つきの鋭いほうが、鋼鉄のナイフを指差して居丈高に問う。捕虜の尋問かと思えるぞんざいさで、年長者に対する敬意など微塵も感じられない。
基本的に彼は、異種族が嫌いなのだ。
神々に祝福されし偉大なる種族エルフ。それ以外は蔑むべき貧弱な生き物である。同じような理由において、同胞といえども女子供は好きではない。
「銀貨三千枚。お前さんの持ってきた毛皮では、半分にも届かんわな」
一服吸った煙管の先を、金物の器でちーんと鳴らす。その音が小気味よく滑稽で、何となく馬鹿にされているような気分になってくる。痩せたほうの青年は、思わず堪えきれなくなって控えめに吹き出した。
「……笑うな」
「ごめんごめん。でも別に茶化しているわけじゃないから」
「ほう。では一体、何だというのだ?」
背丈はほとんど同じ。されど隆々の筋肉がゼクスをより大きく見せている。一方のフランは女性と見紛う繊細さ。獲物に狙いを定めた熊と憐れな犠牲者としか思えない。
先の展開を考えると、誰しも目を覆いたくなる。しかしフランは全く衒いのない表情を浮かべると、にっこり笑って言い放った。
「…呆れているだけだよ。もう二十歳だっていうのに、物の値段が分からないなんて。僕がそれくらいのときは、目利きの是非について激しく議論を交わし……」
「言いたいように言ってくれたな?やはり馬鹿にしているではないかっ!」
「よかった。ちゃんと伝わってるみたいだね。いつも話が噛み合わないから、理解力に問題があるのかと思ってたよ」
心底ほっとしたように溜息をつく。火に油を注いだのは言うまでもない。
「……貴様……!」
「君が荒れるのも、解るけどね。そろそろ行ったほうがいいんじゃないかな?あまり女の子を待たせるものじゃないし。何より若長の命令だから、断ると後々厄介だよ」
後段を耳にすると、ゼクスの顔に苦渋の色が浮かんだ。たとえ女でも若長は若長。蔑ろにすることは許されない。男の若長に対するのと同様、彼には命令を聞く義務がある。何より見習いを含めての十数年、一度もシェラに勝ったことがなかった。
「む……っ」
「彼女を怒らせると怖いよ?僕はそこが気に入ってるんだけどね。虐めてほしくて逆らうんじゃなければ、やめといたほうが賢明だね」
普段は冷静な従兄の顔が恍惚とした表情に変わる。
ざざっと。途端にゼクスの顔色が引いた。こいつの異常な趣味には付き合えない。そう考えているのが傍目にも分かる。いつもならこれで降参するところだが、今日の彼は少しばかりしぶとかった。
「…奴の件は。俺達のほうが下扱いだ。お前はそれでいいのか」
どういうわけか見習いのエアが指名され、実力も彼女の奴隷が上手と来ている。本来ならばゼクスかフランに任されるはずが、一人前の戦士たる自分達を差し置いて。一体これは何の処罰か。あの二人に美味しいところを浚われるのは納得がゆかない。
「お前もしっかりしろ。頼り甲斐のあるところを見せれば、今より私生活で従順になるかもしれん」
「別にそうなってほしいとは思わないけど……優しいときと厳しいときの違いが大きいほうが、それはそれで落差萌えかな」
変態じみた理屈はゼクスの耳に届かなかった。必要な部分だけを拾って前向きに頷く。
「とにかくやる気になったようだな。では手始めに、奴らをここへ呼びつけるぞ。格の違いを思い知らせてやるのだ」
僕は元から行く気だったけど。その言葉をフランは飲み込んだ。
優先すべき用件があったからである。次のような形を取り、ゼクスに注意を促すこと。しかし端的に言って、残念ながら手遅れだった。
「あ。危ない」
巻き込まれる寸前、藻掻く両腕を後ろに退いてかわした。逃げ遅れたゼクスは、踏み潰された蛙のように伸びている。
いや文字どおり潰れていた。巨大な四足獣が圧し掛かり、倒れた背中の上に行儀よく座っている。仕種は猫、体格は虎、形は獰猛な猟犬。その気があれば一人や二人は丸飲みにできるか。大きな欠伸を一つすると、漆黒の魔獣は何事もなかったように前肢で顔を洗い始めた。足蹴にされたゼクスは、気を失っているのか指一本動かない。
「やあエア。今日もいい天気だね」
「いつも御苦労様。あの筋肉馬鹿はどこ?」
「そこにいるよ。完全に伸びきってる」
ちらりと足元を一瞥。血は流れていないし、変な形に曲がっている箇所もない。さすがは一流の捕食者の仕事である。不届き者の頭を咥えさせると、その背中に跨ったエアは朗らかに出発を宣言した。
「じゃ、行こっか。詳しいことは歩きながら説明するね」