ガレージア城②
かつて魔王の側近を務めた魔物がガレージアの王や大臣らに突き立てた指は、まるで死体に潜り込むイモムシのように肉体に侵入していった。王達の肉体はグロテスクに脹らみ変化を起こし始める。
魔物は仕えていた魔王から魔力を分け与えられていた。ゴルゴン族の能力により、戦力として魔王の眷族デーモンを生み出すためである。魔物は魔王が与えた魔力の残滓を指先に集め国王らに使った。血が噴き出すのもかまわず指を失った左手を動かし、変形した肉人形達を見えない糸で操るように王の近くに集めた。国王が変形した肉塊は触手状の手足を伸ばし、足りない肉を補おうと周りの肉塊達を取り込んでいく。
勇者と魔剣はアンデッド達を切り捨てる作業の最中である。肉塊が変容していくさまをただ横目で見守るしかなかった。
「グアァァアアア!!」
誕生した怪物は咆哮とともに近衛兵の鎧や王や大臣の華やかな服を吐き出した。
「フフフ、我が下僕たるデーモンよ、標的は勇者と名も知れぬ剣の魔物だ!勇者は喰らい、剣は踏み砕いて己の強さを証明しろ!」
二本の角と蝙蝠のような羽を持ち全身を硬い毛が覆った姿のデーモンとは魔王城に侵攻した際にも勇者達は戦っている。強靭な肉体による攻撃は魔物の中でも上位だろう。魔王城で仲間と万全の態勢で臨んだ勇者は余力を残して殲滅している。しかし今は状況が悪すぎる。理由はわからないが魔法が使えず、まともな装備も身に付けていない。限界近くまで疲弊し、仲間もいない。なぜか魔剣を持ったアンデッドが仲間のように闘っているが、味方と呼べるものなのかまだわからない。
(くそっ、上がり目が無い。デーモンを倒せたとして、元凶の魔物を倒せる余力が残っているだろうか?)
(あれは、少しばかりやっかいじゃな。アンデッドごときの体では心許ない。)
疲弊しているのは勇者だけではない。魔剣が乗っ取っているアンデッドの肉体は剣撃の強さ、動きの激しさによりすでに腕の骨は折れかけ、全身の筋肉や筋は繊維をいくらか破断していて熱を帯び、いつその機能を失ってもおかしくない。デーモンは遂に襲いかかってきた。背丈は勇者の倍以上、はち切れんばかりの筋肉が隆々とした巨体が跳び上がり勇者と魔剣の間に着地した。着地地点にいたアンデッドは踏み潰され、石床は衝撃で割れて浮き上がった。着地の隙を狙い勇者と魔剣はそれぞれの方向からほとんど同時に斬りかかった。デーモンは腕を振り回し迎え打つ。勇者の剣がデーモンの右腕を捉えたがたやすくはね除けられた。勇者が持つ剣の切れ味は悪く、鋼のようなデーモンの皮膚は裂けない。魔剣は腕を掻い潜り脇腹へ剣を入れる。剣撃は入ったが皮膚の抵抗により折れかけていた右腕が完全に折れた。
リバは王城の前に居た。ロークが入城してから一時間と遅れていない。馬を借り受けてから可能な限りに急いで城へ向かってきたのだ。魔法に長けた彼女は城を魔力が覆っていることに気が付いていた。大規模な結界が張られている。
(このまま中に入るのはまずい。)
「リバ様?許可を得ず城門の警備兵の制止を無視して馬で扉の前に乗り付けるなど、いくらあなたでも懲罰ものですよ!?」
城門の警備兵が追ってきた。
「緊急事態です。責任は私がとりますから、今すぐ宿舎へ行って城勤めの結界術師を集められるだけ集めてください。急いで!」
リバの鬼気迫る口調に、警備兵達は手分けして複数ある宿舎から6人、十数分程で集めてきた。リバはその間に魔方陣を描ききっていた。
「何事ですか?我々も暇ではない、このような真似をするならよほどの事態でなければ許されないことですよ?」
年長者の結界術師が呆れたような口調でリバを問い詰めてきた。年若いうえに長く旅先に出ているため、リバは同僚にあまり敬意を持たれていない。だが彼らにとってリバは上司にあたる。毅然とした態度を取った。
「王城に不穏な結界が張られています。この結界の魔力の流れを解析しました。結界内では魔法を使えなくなるはず。なぜそんなものが張られているのか説明してください。今現在勇者様が城内に招かれています。それと関係があるのか、答えてください。」
「この結界は大臣様に命じられて我々が張ったものです。あなたにとやかく言われる筋合いはない。勇者がここに来ているからといって何の関係があるのか。我々が知る由も無いことだ。我々は命令に従っただけだ。」
年長者の結界術師はそう答え、集められた他の術師達にもう帰るぞ、と促した。リバは引き下がらない。
「他の者は何か知りませんか?」
すると最年少の、リバと年が近い女性の術師が口をひらいた。
「…実はリバ様と同格の術師様が2人10日以上前から行方不明になっています。」
「おい!余計なことを言うな!」
「しかし、あの魔物を解放してから城内は異常な雰囲気になっています。」
「魔物?やはり地下牢の魔物を解放してしまったのですね!?」
「はい。それからというもの、城内に出入りする人間は大きく制限され、国王陛下をはじめ、大臣様や近衛兵など城外へ出なくなりました。一般兵や女中にも長く顔を見てないものがいます。我々は呼びつけられても正面の廊下までしか入れなくなりました。謁見の間に入れるものもほとんどが数分程で追い出されます。」
「城内の様子は口外無用とのお達しだぞ!私に責任が及んだらどうするつもりだ!?もう付き合ってられん、お前が口を滑らせたことはしっかりと報告するからな!」
年長者の結界術師は急いでその場を跡にした。リバは構わず残っている術師達に申し入れた。
「教えてくれてありがとう、全ての責任は私がとります。今はまず出来るだけ早くあの結界を解除したい。魔方陣は作ってあります。私が中心に立ち、解除の呪文を唱えますが全速力で結界の魔力を対消させる方法をとります。これは魔力の消耗が激しくなるはず。誰か一緒に魔方陣へ入りサポートして貰えれば少しでも消耗を抑えられます。無理にとは言いません。サポートする方にも負担がかかり、辛いことになるでしょうから。」
術師達は当然尻込みしてきた。結界の魔力量を対消滅させるのには同等の魔力を消耗する。複数人で半日かけて作った結界である。しかも全速力でという。負担は想像に難くない。
「私にサポートさせて下さい。」
先程リバの質問に応えてくれた女性術師が名乗りをあげた。
「俺もやる。」
「私も協力しよう。」
若い男性術師と中堅の男性術師も手を挙げた。
他の術師達が魔方陣の外で興味深そうに見ている中、リバ達は儀式をはじめた。リバが解除の呪文を唱えながら魔力を結界へ送る。結界からの抵抗を受けリバが苦しい表情になる。更にサポートする術師達も抵抗してくる魔力を押し込むため断続的に魔力を流し込む。その場の気温が数度上がる程魔力の攻防が続けられた。見学者達は驚愕した。自分達を基準とするならば、考えられない速度で王城に張られた結界が収縮していく。天才と呼ばれ、更に勇者との旅で研鑽を積んだリバの実力を目の当たりにした。なんと、わずか15分で結界を解除してしまった。魔方陣に入ったリバ以外の術師らは倒れこんでしまい、リバ自身も当然消耗は激しくまるで重い病人のように顔色は悪くなりふらついてその場に倒れかけた。気を失えば楽だが何とかこらえ、王城の扉を見据えた。
(私に出来るのはここまでです。勇者様ならきっと乗り切れるはず、どうかご無事で!)
ロークはまだ持ちこたえていた。切れ味の鈍った剣を捨て、討ち取られ行動不能になったアンデッドが落とした剣に持ち替えてデーモンに対抗し続けている。魔剣は別のアンデッドを乗っ取っている。ロークが比較的損傷の少ないアンデッドを魔剣の近くに押し飛ばし、上手く魔剣が乗り替わるチャンスを作った。奇妙な形の連携により勇者と魔剣は共通の敵に抗う。すでにアンデッドは全滅した。玉座がある壇上で魔物は苛つきながら戦況を見守る。
(しぶとい!ゴキブリのように逃げ惑うだけのくせに。だが私が参戦する為には結界が邪魔になる。歯痒い!)
魔法を封じ込める結界は魔物にも作用している。勇者の魔法を封じる為の処置であり、いたしかたなかった。デーモンはいくらかの反撃を受け多少の傷をおっている。だが勇者も魔剣のアンデッドもいつまで持ちこたえられるかわからない状況だ。時が来るのを待つ。魔物は勝利を確信していた。その時、ふとその場の圧力が変わった。
(なんだ?結界が…消えた?)
魔物は戸惑った。あの結界を解除したものがいるのか?だがジリジリと焦りを溜め込んでいた魔物はならば!と魔力を高め始めた。
「もはや終わりにしよう勇者よ!喰らえ!」
魔力の高まりに伴い、魔物はゴルゴンの本性を見せる。髪先は蛇の群れと変わり、全身を光沢を持つ細かい鱗が覆う。ゴルゴンが魔法を放った。空中に出現した人より大きな氷柱が数本、勇者に飛んだ。唐突な魔法攻撃を勇者は辛くも回避した。だが床に突き刺さった氷柱から氷の筋が勇者に向かい捉える。ロークは足元を氷で固められ動きを止められてしまった。
(くっ、やられた。デーモンの攻撃が来る!)
だが、ロークは冷静になぜ今頃になってゴルゴンが魔法を使ってきたのか考えた。
(これは…もしや!)
デーモンが拳を叩き込む寸前、ロークは炎の鳥の姿になりその攻撃を回避した。
「気付いたか!だが貴様は疲弊している、このまま一気にかたをつけてくれる!」
ゴルゴンは更に多くの氷柱をロークに向け飛ばした。
(戦況が変わったようじゃな、ワシも温存していた一撃を喰らわせる隙を見つける!)
魔剣はアンデッドを乗り替えてからずっと回避に徹していた。アンデッドの腕力ではデーモンに攻撃が通らない。ならばあれを狙う、と機を伺っていたのだ。
(その為には、勇者がどう動くか見定めなければな。)
不死鳥魔法は人の姿に戻る時、数秒程かかりその時に攻撃を受ければ回避は出来ない。氷柱に加えデーモンの攻撃は激しくなかなか反撃に移れなかった。
(よし、今じゃな!)
様子を伺っていた魔剣は一気に動いた。意図したものかどうか、ロークは避けながら魔剣から距離を取り攻撃を引き付ける形となっていた。ゴルゴンの意識は魔剣への注意を薄めている。気付いた時には壇上に駆け上がってきていた。
「貴様!いつの間に!?」
ゴルゴンは腰から二つにされた。氷柱の魔法は魔力を失いその場で砕ける。攻撃がデーモンのみになり、ロークはその身でかわしながら機を伺う。デーモンの拳が空をきり隙が生まれた。勇者ロークの左手が光を帯びる。デーモンの体に聖なる光の魔法が放たれた。闇に属する悪魔や不死者に絶大な効力を持つ。デーモンの体は焼けただれ、苦悶の声をあげた。
「もういい!デーモンよ、こっちへ向かえ!」
壇上から転がり落ちたゴルゴンの声にデーモンはその場から逃げるように声の方へ走り出した。
(まだ生きていたか!)
魔剣が攻撃を仕掛けようと踏み出した足に何かが絡んできた。壇上に残された下半身が蛇のように変化してアンデッドの足を捉えている。
(勇者は!?)
見ると追う力を残していない様子でただ逃げるデーモンを睨み付けていた。半ば溶けかけた体でゴルゴンを拾い上げ、デーモンは羽を広げ飛び上がった。そのまま明かり取りの窓を破り、デーモンとゴルゴンは夜の闇に消えた。
直後、謁見の間の扉から衝撃音が響いた。何度目かの衝撃で扉は破られ、兵士達が十数名入り込んできた。城門の警備兵が応援を要請したのだ。肉片が散らばり力尽きた同僚達の亡骸を見て泣く者や吐く者もいた。勇者は捕縛された。
夜が明け、リバは地下牢の一室にいた。一番奥の部屋、かつての魔王の側近を捕らえていた場所にはロークが監禁されている。全ての元凶は魔王の側近であり、それをこの城に連れてきたのは勇者である。罪とされ、特に反論もせず受け入れた。今は2人とも裁きを待つ身である。結界解除に協力してくれた術師達はおとがめなしとされた。そのことにリバは胸を撫で下ろした。魔剣がどうなったかは知らない。地下牢に食事を運んできた兵士に尋ねたが、何も聞いていないと言う。
魔剣はアンデッドと、それを乗せた馬とともに都を離れていた。アンデッドとはいえ兵士の姿であったため、どさくさにまぎれて外に出ることが出来た。デーモンとの戦闘の半ばに運良く近衛兵ではなく一般兵士に乗り替わっていた。目立たずに済んだのだ。外に出ると馬が一頭だけ繋がれていた。それに跨がり城を抜けた。兵士1人に構っている状況ではなかった為、たやすかった。都の防衛壁が開かれる朝を待ち、突破した。それからひたすら、あてもなく走り続けていた。
設定
デーモン
魔王と同じ系統に属する上級の魔物。悪魔族。強靭な肉体を持ち一撃で岩をも砕く。鎧で身を固めた屈強な戦士でもまともに喰らえば死は免れない。本来は魔力も高く魔法を使えるはずだが、ゴルゴンが生み出したデーモンは「愚かなるデーモン」とも呼ばれ魔法を使えない。