狂信
「ここに来るまでの記憶を奪ったのは貴様か?」
「そうだ。返品もできない。安全性のためにな。同時に証明でもある。いかなる事象に存在する来歴を抜き取り、データとすることができるということだ」
「なんでもわかるの? もし、そうならどうして――」
半信半疑な、ともすれば敵意を抑えきれない様子でソラは尋ねた。
――――どうして、こんな世界を変えられなかったのか。何もしなかったのか。口に出かけた理不尽は、直前で言い留まった。
館長はジッと目を細める。数秒の沈黙は酷く重々しい。
「設備が整ったのは世界が手遅れになってからなんでな。現状も森羅万象を知るわけではない。存在する情報のみを知る。企業も対策はする。ああ、だが貴様らが知りたいことを述べてみろ。教えてやれるモノかは知らねばならない。抜き取られたくないならな」
「話は聞いている。情報の価値に応じて殺し合いをさせるとな」
「噂通りだとも。生命のやり取り、技術を結集して造られた機械の殺戮。感情や動きが全てデータとなる。ただ物体から来歴を抽出するよりも詳細なものだ。情報の対価だと思えばいい。さぁ、述べてみろ。求めるデータを」
嘲笑。黒い影に覆われた相貌から確かに見て取れた。蠱惑的に誘惑するかのように、指が艶やかに宙を撫でる。
「カノン・クロムウェルの殺し方が知りたい。自爆とか、道連れにとかじゃなくて。わたし達が生き残ったうえであいつを破壊する方法が、あるなら教えて欲しい」
最初に口を開いたのはソラだった。あまりに重く、無謀な言葉に反して少女は穏やかに破顔するとレイルの手を握り、隣に立った。
「終わらせるの。可能性があるなら私は諦めない」
「………………」
長い沈黙を置いた。レイルは呆然とするように、握られた手をゆっくりと見据える。明滅する頭部装甲の蛍光。
(レイルさんよぉお。分かってると思うが聞こえなかったフリは無理だぜ。お前が地獄耳って最初の最初で知られちまったからな。火つけちまったんだよ。とっくに燃料はあっただろうけどなァ)
約束したから。人間性を保ちたいから。声がそうしろと命じたから。記憶メモリが正しい限り、そんな建前だけを彼女の前に並べてきた。それ以上の理由を言葉にできなかったから。
――――今は違う。長い自問自答はとっくに終わっていた。
ソラに陰惨な光景を見せるべきではない。見せたくない。
血と瓦礫の臭いに染めるべきではない。
…………全て自分が真実を見せたことが原因だというのに。今更になって彼女の父親と同じ結論に至っていた。
隣に立たせたくない。だが、彼女はそれを望んでいないだろう。なんて…………自分勝手な独占欲だろうか。手を握れば握るほど。壊すことしかできない機体に染み付いた死臭が――今になって耐えられない。
「どうすれば……ソラから《十三の紫》の力を無くすことができる。どうすれば、安全な世界で彼女を生活させることができる」
絞り出した声はいつもと何も変わらない。感情のない無機質な合成音へ変換される。求めた情報は、ソラの想定になかったらしい。敵愾心を剥き出しにして、初めて会ったときのように鋭い睥睨を向けていた。
「なんでそんなこと聞くの? 確かにさ。この力の所為で色んなことに巻き込まれたよ。でも、この力のおかげで一緒にいられたのに。この力は――! 怪物になるような歪なものだとしても、私の、私の――――なのに……!」
今に泣き出しそうな声が掠れ、萎む。ソラは最後まで言い切ることはできなかった。――力は、私の想いなのに。レイルは分かっていたはずだ。聞こえていたはずだ。……それなのに。
紫紺に光輝する双眸が烈火のごとく輝きを増し揺らめく。必死に背を伸ばしてレイルの胸倉を掴んだ。何度も揺さぶろうとした。レイルは微動だにしない。華奢な手に触れる黒い金属。肉の膜。
「叶うことならソラには俺と同じような存在になって欲しくない。俺は……隣に立つべきではない」
歯が軋む。攻撃的な眦が決して握り拳を振るい薙ぐ。小さな手が金属装甲を殴打するよりも早く、少女の腕を優しく掴んだ。ゆっくりと手放す。
「……それで逃げ切れるの? あいつが、私から力が無くなったからって諦めるの? 仮に逃げれたとして、これからずっとビクビクするの? リーミニは助けられるの?」
正論だった。見逃す保証も、黒機と【肉の剣】の力だけでは勝機もない。問い詰められて答えを返すこともできずに、レイルは沈黙を押し通した。
(なぜこんなときに限って何も喋らない。彼女と関わってから自分の行動が自分でもわからないんだ。……酷く、非合理的だ)
(ギャハ! オレに助けを求めるなッテ。自分の発言も忘れたのか? 合理的な判断とやらと比較してどっちを選びたいか、テメエが決めてきたんじゃねえか。それが感情だってよぉお。テメエが言ったじゃねえか?)
【肉の剣】の声が機体に響く。思考はショートを続け、人並み以下のエラーを吐き続ける。ソラは背伸びをやめると、金属の身体によじ登るようにして視線を無理矢理合わせた。
凛とした紫紺の双眸がジッとレイルを見詰める。青く透き通っていた色は塗り潰されていた。欠片も見えない。
「私は後ろにいたくなんかない。血で汚れたっていい。けど! 何も知らないままのうのうとすることも、私の代わりにレイルだけが苦しんで、血に汚れるのも絶対に嫌だ」
(――何故分からない。この黒い手はとっくに穢れている。こんな機械のためにキミが苦しむ道理はない)
(テメエも……やっぱ分からず屋だナぁ。オイ)
【肉の剣】の呟きを処理するほどの余裕はなかった。
「一緒にいたいよ。……嬉しかったんだ。レイルの力になれたとき、一緒にバイク乗ってたときも。彼女は白の十三番じゃない、ソラだって……言ってくれたときからずっと。ドキドキして……私達なら何だってできる気がして――――!」
潤んでいた瞳からぼろぼろと涙が流れ出す。堪えていた何かが決壊するように溢れていく。嗚咽はなかった。表情を隠すように俯き、地に足をつけると、ごしごしと恥じらいながら腕で覆い拭っていた。
「………………そんな風に言われたことはなかった。喪失の危険性など考慮したこともなかった。だから今まで無茶を許した」
悩み抜いた末に吐き出した言葉は、一度声になって発すると止めることはできなかった。レイルは膝をつき、ソラの両肩を握ると無理矢理視線を合わせた。
「――今は違う。許せない。妥協できない。キミはあまりに勇敢だから。死よりも行動しないこと自体を恐れているから。俺はそれが怖い。力を持ったキミは頼もしい以上に、自分の命よりも感情の力を優先している。エフィアの言った通りになっている。一つのことのために……全てを捨てかねない。見ていられない。俺は――――」
言葉は途切れた。口を覆うように顔部装甲へ手が添えられたから。人差し指を立てて、静かにとでも言うかのように小さな吐息だけが漏れた。
ソラの瞳は強く、強く輝き続ける。飄々とした大人びた笑みが向けられた。
「レイルは……私のために全部を賭けてくれないの?」
妖しく揺れる瞳の光。怪物へ至らしめる力を持つ少女の本質が垣間見える。
「………………」
レイルは沈黙を押し通した。言葉は出てこなかった。




