夜色
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地下道を抜けると黒い夜闇に包まれた。肌を撫でる冷気。染み入る風が白銀の髪を靡かせる。
濃い影を刻む都市の廃墟。鉛のように重い雲が空を覆っていた。灯りがなければ伸ばした指先さえ見えなくなる。
旧ミスカ大学は眼前にあった。分厚い塀の奥、校舎は見上げるほど高く聳えている。全貌は目視できない。真っ暗な夜の色が建物を隠していた。
それでも、ろくな場所でないことだけは漠然と理解できた。ド・マリニー時空管理会社やフェンリル人体工房、教会……強大な力を持つ建物の周囲はいつも何もない。大学も例外ではなかった。
「……冷えるんだね。夜が本当に寒いって初めて知ったよ。知識にあってもさ、実感したことなかったの。息が白くなるのとか、耳が痛くなるのも、寒いって感覚もさ」
暗闇のなかの沈黙は堪えがたく、ソラは大袈裟な声で独りごこちに呟いた。指先を温めるように何度も吐息を籠らせる。どうしてか瞳が潤んだ。
「すまない。防弾防刃、何かあったときに対処しやすい服にしたつもりだったが、防寒製を考慮していなかった。……全て終わったら買いに行こう」
「レイルからそんなお誘いしてくれるんだ。てっきりさっきみたいに、無責任なことは言えないだのなんだの言うかと思ったのに」
「……すまない。忘れてくれ。確かに全てが終わる確証はなかった」
「そんなこと言わないでよ。冗談なんだから」
レイルなりの冗談にならない冗談は生憎、ソラに伝わらなかった。苦笑いを浮かべながら頭を抱えていると旧ミスカ大学の正門が見えてくる。
重々しい金属フェンス。立つスペースしかないような小さな制御室。暗闇のなか、そこだけは白く眩しい光に照らされていた。
「オレ達の案内は一旦ここまでだ。後は別にどうこうしろってワケじゃねえ。勝手にしな。こんな楽な仕事なら最初からこっち受けときゃよかった……糞。お前ら、撤収するぞ」
ヴェディルは踵を返し数名になった部下達を手招くとその場を離れていった。寒々しい後ろ姿が視界から遠ざかる。廃墟の街へ、先の見えない暗闇へ消えた。
「そういうわけだから……。わたしたち、行くね。報酬貰える……し。ザクザク」
「…………謝っても意味なんてないんだろうけど。ごめんなさい」
「たわけめ。分かっているなら謝るな。仕事で誰かを殺した、殺されたなんてお互いよくあることだからな。……感謝もするなよ? 貴様は言いかねないからな。それも、これも全部仕事だ。感情を挟んでいるのは貴様と最先端のポンコツ機械だけだ。――いくぞ。ミオフィル」
ミオフィルは緋色の視線でアレウスを追った。去り際、一度だけソラの方へ振り返ると、異界道具の爪を見せつける。
「……あんなこと言ってるけど。ラインフォード商会に白の十三番と黒機を売ってたら、もっと大金だった。わたしを生かした以上、そういう可能性もあったよ。……選ばなかったけどね。わたし達も案外馬鹿なんだ」
二人の便利屋も離れていった。闇に包まれていく。閑散とした夜影のなか一人と一機だけになった。
「……静かになっちゃったね。私の足音が目立つかも」
「構わない。足音がしなかったところで臭いでバレる」
一瞬、身体が硬直した。ソラは視線を反らし、誤魔化しながら自分の臭いを嗅いだが……何も分からなかった。
「くさい……?」
「データ上は不快な体臭ではない。だが人間は無臭の生物ではないというだけだ。気にする必要はない。血と瓦礫の臭いのほうが数値上大きいが」
余計な一言でフォローするとそのまま話を切り上げた。正門の前で静止すると制御室の扉が開く。
警備員は人間ではなかった。背は低く、紺色のローブに身を隠した知的生命体だった。ブーツは履いているが袖に腕はない。うじゅうじゅと粘液質のものが絡み合う音を絶えず響かせる。
不自然な濃い影が顔を隠していた。黒一色の顔面。琥珀色の双眸が際立つ。ソラの好奇の眼差しを嫌悪するように、細く鋭い眦を向けた。
「要件は?」
「図書館を利用したい。金はある」
レイルがカードを投げ渡す。触手が受け取ると携帯用スキャナーに照らし合わせた。小さな電子音。緑に点灯するランプ。
「……確認できた。案内しよう」
声と同時、遠くから鈴の音が鳴り渡る。一瞬にも満たない視界の暗転。瞬きを挟む間もなく、ソラの視界から白と黒の夜の景色も小さな制御室も消え、大量の本棚が写り込んだ。
「……ッ!? さっきまでこんな場所……」
心臓が強く跳ね上がる。血の気が引いて、咄嗟に周囲を見渡した。
……レイルはすぐ隣にいた。安堵のため息が漏れる。考えるよりも先に黒い手を力強く掴んだ。
「よかった……。私だけさ。どこかに行ったのかと思った。流石に、一人は怖い。こんな力があってもさ」
双眸を追う紫紺の残光が激しく光輝していた。抑えようにも抑えられない瞳の蛍光。見られるのは恥ずかしいような、清々しいような。冷え切っていた耳が一層赤くなるのは確かだった。
「一人にはしない。出来る限りは。約束しよう」
「……それだけ?」
――――エフィアとの話は聞かれたはずだ。レイルは耳がいい。期待しても無駄だと分かっていても。何か、もっと答えてくれる気がして、表情の無い顔部装甲を見上げた。
……けど、視線は噛み合わない。周囲への警戒が優先された。
「空間転移の類ではないな。歪みがない。地上にいた頃より時間はそれなりに経過している。……移動過程の記憶が消されたのか? 生物も、機械も例外なくか」
目的地には着いていた。数十階はある吹き抜けの天井。全てのフロアに横並ぶ大量の本棚。今いる場所が最下層なのか、これより下の階は見当たらなかった。受付カウンターもある。
「初めまして。このたびは図書館の利用を感謝する」
フードを深く被った少女が姿を見せた。警備員同様、表情は濃い影に隠れ見えそうにないが青い双眸だけがクッキリと判別できた。
「私は旧ミスカ大学地下図書館長のセレファイス・カーターだ」
幼いが妙に歳を喰ったような声。図書館の管理人を自称する少女は、尊大な態度でカウンターに腰掛ける。真っ白な脚が露わになっていた。




