送狼
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
荒んだ風が吹き付ける。足元で散っていく異界の花。赤い花弁を踏み締めて、レイルは行きに使用したバイクに跨った。
エンジンを鳴らす車体。重く静かに音が響いていく。
「運がよかった。残っている想定ではなかったが。こんなものに対処する余裕もないのだろう」
レイルが手招くと、ソラは何も言わずとも彼の後ろに座った。振り落とされないようにぎゅっと、強くしがみ付く。
それでも未だ呆然自失に等しかった。紫紺に変色した双眸が遠くを見据えていた。遠くに見える摩天楼の廃墟、薄汚いスラムの一端、視界に広がる瓦礫道を。
「……ねぇ、レイル。どうせ言ってもわかってくれないだろうけど……よかったって思うことがあるの」
「後にしろ。舌を噛むぞ」
急ぐようにアクセルを踏んだ。球体タイヤが磁力によって深く回転し、激しい排気音が唸ると同時に一気に加速する。車体は地を蹴るように強く跳ねた。乱暴に揺れ響く。
「私ね、怒るかもしれないけど。……レイルの身体が人間じゃなくてよかったって思ってる。特に今」
ラインフォード商会の敷地が一瞬のうちに遠ざかっていく。瓦礫の悪路を強行し、車体は揺れ続けていた。加速の風が白銀の髪を靡かせる。
「…………酷いことを言うもんだな。理由は」
「体が金属じゃなかったら、私と関わる理由もなくなっちゃうでしょ? それに、それにね?」
後輪を激しく軋ませて瓦礫と瓦礫の隙間を縫うようにカーブした。強い遠心力に振り落とされそうになって、ソラは一層強くしがみ付く。
「……こうやって仕方なくしがみ付いても、冷たいから落ち着いていられるの。これが人肌だったら、私きっと……無理かも」
小さな沈黙が張りつめた。エンジンと風の音だけがごうごうと耳元を過ぎていく。レイルは長考したものの、ソラの発言の意図を理解しかねて首を傾げた。
「……そう、なのか?」
「そうなの……! って、やっぱり分からないよね。知ってた。うん、知ってたから喋ったわけ」
何を言ってるんだと、自嘲を込めた冷ややかな笑みを浮かべた。深く息を吸って、吐いて。我に返ってため息が零れる。轟々と浴びる向かい風のせいで誰にも聞こえることはなかった。
『ギャハ! レイルのポンコツ脳みそによーッ! 期待するのがバカってえええやつだぜ! オレなら一を聞いたら百まで理解できるのによォ!』
「理解してほしくないことだってあるの」
ソラは言い切って、黙り込んだ。振り落とされないように腕を回している所為で胸を押さえることもできない。……否応なく不安が込み上げてくる。先が見えない。自分がどうしたらいいか分からない。
もはや殺意は――。
けど、目的が消えればレイルと一緒にいる理由も無くなる。
「……なんで、私。こんな…………、ああ、もう。最悪……」
「ああ、最悪の状況だ」
ぼやきは風に掻き消えてくれなかった。レイルは違う意味で最悪を捉え、賛同するようにコクリと頷いた。
「契約違反をしてしまった。……初めてだ。人間性のためだなんて言ったが、これが初めてだった。必ず報復が来るだろう。ラインフォード商会も、フェンリル人体工房も。この区画から逃げなければならない」
ハンドルを制御したまま頭を押さえた。非合理的だと機械的な思考が訴えている。エラー、エラーと喧しく、内部情報が疑似的な痛みを伝える。
「……ごめん」
「謝るくらいなら礼の一つでも言ってみたらどうだ。結局のところソラを見捨てることだってできたんだ。そうしないと選んだのは俺だ」
レイルは瞳のない視線でソラを一瞥した。紫紺に染まってしまった双眸が見上げる。靡く髪さえも淡く紫に染まり、体は返り血に濡れたまま。
「………………言ったし。二度はないの。絶対に」
「……何の話だ?」
盗み聞きしたときは何もかも筒抜けだったのに。そう愚痴りたくなったが、吐き捨てた言葉に頭は回らなかった。
「最低ッ」
「ああ。最低な状況だ。彼らがどの程度の戦力を投じて、報復しにかかるか想定もつかない。ソラ、キミの持つ力の規模も分からない。前に一度だけ《十三の紫》の信者を始末したことがあったが、あんな力はなかった。怪物にはなったが……」
――――沈黙。気まずい静寂をエンジン音が支配する。ごうごうと車体が揺れるなか、ソラは一転して緊張の糸を張り詰めた。
「……すまない。気を悪くする意図はなかった。今のは……確かに、失言だったかもしれない」
「違う。……違うの。力の使い方が少し分かってから……【色彩音】の範囲が広がってて……」
耳につけた音符のピアスが小刻みに震えていた。黒、赤。レイルと【肉の剣】の気配とは別の色が近づいてくる。沢山の灰色。そして、
「嫌な気配が――――気配の色が多い。こっちに来る!」
ソラの叫び声に呼応して限界まで加速した。球体車輪が磁力によって過剰なまでに回転数を重ねる。鋭い爆音が轟く。
「襲狼者の別部隊か……」
便利屋は怪物じみた跳躍で瓦礫を疾駆し、四方から距離を詰めていく。乱れ靡く赤いマント。鉄底のブーツが足元を粉砕し、狼の面越しに見下ろす。
「違う! 強い気配が来てる! あいつらなんかよりずっと強い蒼色が!」
次の刹那、車体のすぐ隣で紺碧の輝きが瞬いた。閃光から飛び出した影が宙を舞う。
覆面ではない。生きた狼の相貌がレイルを見下ろす。雄叫びをあげて、弧を描く鉄線を振り薙ぐ。【肉の剣】と摩擦した。
「貴様の名前は知っているぞ。喋る狼のヴェディルだな。初めて見たが、その顔もワイヤーも異界道具だな」
咄嗟の防御が衝撃を物語るように車体を乱暴に揺さぶる。膝が吹き飛ぶ寸でまで傾く。狼面の便利屋は衝撃をバネに地面を何度も跳ねると、全速力で肉薄していく。
「ご名答。黒機様! 正解のプレゼントだ! 【神算鬼謀ワイヤーオーガン】で切り裂いてやらぁ! ァオオオオオオオオオオオオオオオン!」
粗暴な遠吠えが号砲のごとく響き渡る。異界道具のワイヤーを舞い上げ、便利屋は地を蹴り跳ねた。




