猶予
「ずっと見ていたいですねぇ。そのためにもエヴァちゃん。雑魚共の耐久検証実験を行ってください。……そういうことです。お二人様。そっちはそっちで仲良し同士戦ってくださいよぉ。わたし達は簡単な仕事をしますからぁ」
クロロインは周囲を一瞥して嘲笑を浮かべた。武器も持たないまま飄々と身構える。
「あい。わたシ、じっけんします。たいきゅうけんしょーう。いつもみたいにぃいいいい」
テカテカと血肉で煌めく巨塊。玲瓏とした声。理解できないその威容に呑まれる士気。見かねてアレウスは叫び命じる。
「貴様ら、そのデカブツをとめろ! その間にオレ達が【死神】を始末してくれるわ!」
声に推されて義体の集団が各々、武器を持って応戦しにかかった。振るわれる巨腕を押さえるために数人がスクラップに帰った。唯一機械化できていない脳漿と髄液が破片に混じって散っていく。
「たいきゅうけんしょうはしっぱいのようです。どくタぁ」
電動の刃が皮膚を裂いても痛みを訴えない。弾丸は通らない。火炎に燃やされても気づかない。
怪物は幼い子供のように暴れていた。秩序も型もない無茶苦茶な暴力。腕をぐるぐると振り回して、叩き壊す。地団駄を踏んで、踏み潰してスクラップを量産していく。
「耐えてくれ! それまでにッ――!」
「【死神】を仕留める。フェンリル人体工房の外道も殺す」
義体の残骸を踏み締めて、二人の便利屋が底冷えた激情を露わにした。剥き出しになった歯を軋ませ、眦を見開くとアレウスとミオフィルは同時に疾駆する。
暴れ狂う怪物の剛腕をすり抜け、角の生えた少女は跳ねた。緋色の髪が揺らめく中、同じ色をした爪を容赦なく振るい薙ぐ。
レイルはソラを抱える腕を後方に隠しながら【肉の剣】で斬撃を受け止めた。衝撃を利用して宙を舞い、少女が追撃しようものならさらに防御を重ね、巨大な刀身でもって振り払う。
ミオフィルの僅かな隙を補うように放たれる無数の弾丸。レイルがコートで防ぎ止めるよりも素早く、一発の銃声が障壁を巡らせる。
「私は――あんたなんかに守られたくないの! できることはするから!!」
張り裂けんばかりにソラは声を荒らげる。
「キミをキミ呼ばわりするのは失礼だったかもしれない」
レイルは無機質な声でぼやくと防御の姿勢を捨てた。
弾幕を張りながら肉薄するアレウスを一瞥し、振り上げられた鎖鋸を脚で受け止める。激しい音を摩擦して散る火花。そのまま蹴り飛ばす。
すかさずミオフィルは重い一撃を振り下ろすが弧を描いて【肉の剣】がいなす。瞬間的に幾重にも交錯する赤の軌跡。
跳躍の際に生じる僅かな溜めと衝撃の隙を見据え、三次元的軌道を描く猛攻を耐え忍び、ソラを抱えたまま着実に間合いを詰めていく。
「……なぜだ? そんな小娘を抱えた状態で」
アレウスは顔を歪め苦言を零す。――――一瞬前まで存在していたはずの弱点が、ソラを気に掛けることで生じていた隙が無くなっていた。
「これなら余計なことはされないだろう。片腕が使えずとも安心できる」
「……お腹、苦しいんだけど。もっと優しくできないの」
ソラは不満げにジッと睨んだものの、もう恐怖はなくなっていた。レイルならなんとかしてくれると、心のどこかで確信していて、それが自分でも気持ち悪く思えて苦虫を噛み潰すように表情を濁す。
「無理だ。そこまでの余裕はない」
呟きながら、アレウスの鎖鋸を脚の装甲で受け止める。そのまま蹴りを打ち込む。宙で回転しながら苦し紛れに放たれた銃弾をソラもまた落ち着いて処理していく。
意識を割くことさえままならなかった。爪の連撃もろとも並行処理。レイルは疲弊する気配もないまま攻撃をいなし続けた。
「諦めろ。諦めるなら不要な殺しはしない。ラインフォード商会の社員になりたいのは理解できるが、死んでしまっては元も子もないだろう」
「諦めたら奴らは無駄死にだ……! 退けるものか! 社員にならねばいけないのだ! 福利厚生がある! 社員食堂も使える! それがどれだけオレ達にとって大きなものか貴様には永遠にわかるまい!!」
アレウスは怒号をあげて力強く剣閃を描いたが、届かない。振り下ろし、薙ぎ払い、打突するも僅かな動きでレイルは全てを躱す。鳩尾に蹴りを放つ。寸でで殴打を避けたところでジリ貧になっていた。
「便利屋は捨て駒だ。戦力分析のための生贄程度でしかない。助けは来ないぞ。死んだら社員になる夢も潰えるんだぞ。キミの部下の死は無駄にはしない。俺が担う」
「……アレウス。これじゃあ間に合わない」
二人の便利屋は再び距離を取った。取らざるを得なかった。段々と押されていくなか、クロロインが持ち込んだ怪物によって今も血とスクラップが量産されていく。
所詮スラムで造ったに過ぎない義体では武器を持とうが訓練をしようが、企業に造られた兵器相手には成すすべもなかった。
誰もが必死に、命がけで怪物の動きを押さえようとするが無意味。多勢で押し切るはずだった戦場は圧倒的な個によって蹂躙されていく。
ソラは見据えていた。重なり合う死の残骸を。二人の便利屋の色が褪せていく様子を。
二人の表情に見覚えがあった。どうしようもない状況で覚悟を決した人間の顔。
――――頭を掠める父親の最期。レイルへの信頼以上に、鬱屈とした眩暈が頭を黒く塗り潰す。
「これ以上は皆が耐えられない。わたしが、わたしが仕留める」
「待てミオフィル! 奴は待っている! オレ達が決定打に出るのを! 奴は――」
便利屋の少女はアレウスが何を言おうとしていたかは理解できていた。【死神】は――誘っている。自ら防戦に徹してトドメの一撃を、戦局を打開する一撃を窺っている。それでも行動に出るしかなかった。
「時間がない。みんなが死んじゃうのはいやだ。みんなの血のおかげで、条件は満たせてる。赤い。赤い……。今なら使える」
深紅の瞳を潤ませて少女は訴える。アレウスは歯を噛み締めたまま、決意するように深く俯いた。




