緋色
怪しまれない程度に一瞥をくべたが蛍光が数秒で収まったのを見てソラ達に向き直る。
「レーシェちゃんに陽動させましょう。強力な個体に育成しましたがラインフォード商会が相手では長くは持たないでしょうけど」
「―――――――■■」
声にならないうめき声が白いフードから漏れる。うじゅうじゅと蠢く触手が収納していくと、次の瞬間力強く地面を蹴り跳ねた。
耳鳴りを尖らせる絶叫をあげながら、レーシェと呼ばれた人体実験の末路は砂塵を巻き上げ暴れ出す。
「急ごう。キミは俺の傍から離れるな。攫われたりしても面倒だろう。俺が離れろと言ったときだけ離れるんだ」
「言われなくても…………わかってる」
ソラは無意識のうちに唇を噛み締めたままレイルの裾を握った。薄っすらと血の味が広がる。
【肉の剣】によって消し飛んだ壁から研究棟内部へと容易に侵入できたものの、警報が鳴り響くわけでもなく異様な静寂に満たされていた。
青白く照らす電灯。得体の知れない機械やディスプレイが規則的に並んでいる。壁に張り巡らされたパイプ。物資運搬用のリフトが地下深くまで伸びていた。
「んっんー。諜報部からの情報が正しければこの部屋ではありませんね。おそらくもっと地下です」
「ねぇ、あの人たちもあんたと同じ……便利屋なの? それともクロロインさんみたいな――」
「違う。便利屋が敵ならもっと苦戦している」
「正社員が敵でしたらレーシャちゃん一人じゃ手も足もでないかもしれないですね」
レイルとクロロインは何食わぬ様子で声を揃える。ソラだけが表情を曇らせた。
「あれは便利屋にもなれない輩が組織を形成して便利屋紛いのことをしているだけだ。あの不可視の装備は……瀝青民間軍事事務所のとこだったか。どちらにせよもう殺した。キミがあれこれ考える必要はない」
「あれと比べたらわたしのほうが百倍は腕っぷしありますよ。こんな体なので腕相撲はソラ様にも負けてしまいそうですがねぇ……。けど今なら勝てそうな気もします」
クロロインは光の褪せた瞳でソラを見上げる。病弱な白い手でその頬を撫でた。ソラは刹那、肩を跳ね体を強張らせたがゆっくりと力を抜いて見つめ返す。
レイルが無言のまま【肉の剣】の柄を握り締めていたことには気づいていたが、穏やかに静まった気配の色を見てソラはクロロインに敵意や悪意の類がないことは理解できていた。
「罪悪感がありますか? あの人たちにも家族がいたんじゃないかとか、わたしたちに全部背負わせてるんじゃないかとか、そんなことを考えてたらつぶれちゃいますよ」
「別にそんなわけじゃないの。私は……ただどうしたらいいかわからなくなりそうになるだけ。憎くて、恨めしくて、ずっと煮え滾るみたいに怒り続けられたらこんな悩みもないんだろうけど」
青い睥睨がレイルを突き刺す。視線に気づいてかレイルは僅かに動きを止めたが掛ける言葉もわからず黙んまりを貫き通した。
「そう? てっきりあの雑魚共が原因で思いつめちゃったのかなって。…………わかってると思いますけど。本当に必要なときは躊躇っちゃダメですからね? そして一度でも躊躇いを捨てたら……以降はそれを無駄にしないために冷酷にならないとダメなんですよねぇー。あー……。世知辛い」
張りつめた空気に耐えかねて茶化すようにぼやきを零すとクロロインはにへらぁとぎこちなく笑う。
『ギャハ! あんまり仲良くならねえほうがいいと思うけどよーッ! 明日にはどっちが唐揚げの具材にされてるかもわからねえぜ』
「黙れ。なぜお前は余計なことしか言わないんだ」
黒い拳が【肉の剣】を軋むほど握り締めると姦しく苦痛にうめく声が響いた。
「クロロイン、すまな――いや、感謝する」
口癖のように謝ろうとして思考が刹那ばかりフリーズする。言い淀むように訂正した。
「はてはて? なんのことだかわたしにはわかりませんがね」
重い足取り。影が嫌に伸びている。周囲から不気味に響く機械の駆動音。警備の一人すら見当たらないまま非常階段から地下へと下っていった。
「ここって重要な施設なはずだよね……? 建物、あんなに壊れたのにすごい静かで。怖いわけじゃないけど」
ソラは最大限に警戒を続けながら足音を立てないように階段を降り進む。限界の近くまで緊張は這い上がっていたがレイルが歩幅を合わせてくれていたことに気づいてから、苛立ちが勝っていた。
「これも余計なお世話か?」
「…………それを聞くのは余計なお世話だとは思うけど」
不思議と冷えていく思考。凛とした態度でレイルを睨んだ。
「やっぱり仲いいじゃないですかぁ。妬けますねぇ」
「冗談じゃない。なんでこんな機械もどきと」
「彼女が勝手に着いてきているだけだ」
一人と一機は鋭い視線を交え合う。クロロインが嘲るように笑い声を押し殺しているのを見て、レイルは空咳をついた。
「…………警備があまりに杜撰なのは明らかに罠だろうな。もしくは外で手の内を明かしたくないか」
「十中八九両方でしょうねぇ。逃げられないように地下深くへおびき寄せるための。でもまぁ、貴重な異界人の正規社員を消費したくないからわたしたちみたいな無謀なポーンにぶつけるとしたらどうせですねぇ――」
地下七階。長い階段を降りきった先、吹き抜けのように底の見えない下層階がさらに一瞥できた。
蛍光する紫紺の液体に満たされた中央タンクと繋がるいくつものパイプ。中央を囲うように大量に並ぶ白い球体状の機械。電力が通っていることを示すように緑のランプ点灯している。
「囲まれてる」
『来るぜぇ……! 異界道具の臭いだッ!』
警鐘を発したのはソラと【肉の剣】だった。次の刹那、【色彩音】によって可視化された敵意が視界を塗り潰すほどの深紅となって目前にまで肉薄する。
ラビットサイトによって視覚の補正を受けながらも見切ることのできない加速。漆黒が重なるようにレイルが一歩前に出た。
耳を劈く衝撃。【肉の剣】の刃と敵の拳がぶつかり合う音だった。彼女は一転して身を翻して宙を蹴り跳ねる。距離を取った。
「……いいね。その武器欲しいかも」
『ギャハ! やべえぜレイル。オレっ、スカウトされちまったーぁよー!』
気配の色もさることながら、少女は何もかもが赤かった。燃えるような長い髪。緋色の双眸。片眼だけは文字通り炎を灯している。異界道具とおぼしき鉤爪のついたグローブは血に濡れていた。
『よかったなぁッー! ソラ。お前の勝ちだぜ。ありゃ小だ』
ギョロリと見開いた瞳で【肉の剣】は少女を見据える。水着同然の軽装だった。それでも何も問題がないことを誇示でもするかのように髪を分けて二本の角が伸びている。
「……その角」
ソラは言葉を濁らせた。明らかな別人だと理解できていても初めて出来た友達が記憶の片隅に映り込む。
「リーミニに似てるな。戦闘目的の缶人か?」
「【死神】レイル。女の子にだれだれちゃんに似てるとか言っちゃダメって……習わなかったの?」
「生憎、気づいたときにはこんな体になっていたからな」
飄々とした態度で少女は首を鳴らし小さくその場で跳ねる。彼女の攻撃を皮切りに姿を隠していた敵が堂々と前に出た。
軋めく金属。レイルと同じ色にも関わらず比較にもできないほど弱く、大量の気配の色。彼らのほとんどは機械仕掛けの体だった。顔から突き出るようなモノアイ。垂れ下がるコード。背面から黒煙を巻き上げる者。
レイルやフェンリル人体工房の社長と比べてあまりにいびつで精巧さのないものだった。
「アレウス。ごめん。仕留めきれなかった。あとで犯して」
「こんな時に冗談言ってんじゃねえ。ミオフィル」
無感情な少女の言葉にあきれるような声が返った。彼は機械の群衆よりもさらに一歩前に出る。少女と同じ紅の瞳。荒々しい金の髪。身に戦闘服から突き出るようにいくつもの武装が垣間見えていた。
 




