躊躇
錆びついたレバーを戻して水を止める。薄っぺらいタオルを借りてソラが体を拭いていると、今度は扉をノックされた。
「忘れかけていた。ベッドを買ったついでにキミの服を買った。身長、体重スリーサイズもろもろのデータは一目見ればわかる。サイズに間違いはないだろう。ここ、置いておくぞ」
黒い腕が伸びて適当に畳まれた服が何着か目の前に置かれる。レイルは見ないように努力していたがそれ以前の問題だった。ソラはぷるぷると腕を震わせながら、殴るみたいに受け取った。
「……黒色ばっか」
ソラは失笑気味に呟く。自分が着ていた白いワンピースのような服は一着もなかった。黒いタイツに腕やら腹部をぴっちりと覆うインナー。都市迷彩色のジャケットに分厚いショートパンツ。一応は女モノらしい。露出はないのに脚のラインや腹部が際立つ。
「これ……! 恥ずかしい」
「すごい、恰好いいと思う。ぐっじょぶ。とても高価な服……だよ?」
リーミニは親指を立てると、ペタペタと足音を立てて部屋へ戻っていく。
「私は……殺そうとしてるのに。なんであいつもこんな物……」
胸のムカつきが収まらないままソラも後を追った。
「……嘘でしょ。もう寝てるの?」
一瞬のうちにリーミニは二段ベッドの上の段で寝息を立てていた。驚きもつかの間、下の段で座っていたレイルと視線がかみ合う。咄嗟に出る言葉もなく、無視しようとしたがそれも叶わなかった。
「恥ずかしいだのと言っていたが……その服は耐火、衝撃、防弾……もろもろ全てを抑えられるうえに体の動きを一切邪魔しない完璧な衣類だ。サイズも間違っていないはずだ。きつくも緩くもないだろう」
腰回り、胸の周囲。タイツの長さ。どれもちょうどいい大きさなことに一番文句を言ってやりたかった。
「盗み聞きしてたことも……色々勝手に計ってたことも、もういい。あんたがそういう奴だってことは、今なんとなく理解できたの。こんなことで怒るつもりもないし」
『ギャハハ! でも可愛い服だろう? 絶対レイルの趣味だぜ!』
「黙れ。利便性を重視しただけだ。服のデザインは企業の問題で俺の趣味じゃない」
【肉の剣】の柄を軽く小突くと、レイルはジッとソラを見下ろす。反射的にソラは険しい表情で睨み返した。
「今日はもう寝た方がいい。疲れてるだろう」
「言われなくても疲れてたら自分で休む」
「そうか。ならとっとと休むべきだな。体重もだが、体調も見れば大体わかる」
「なのに人の心はまるで理解できないのね。私は……あんたを殺すつもりでいるの。なのになんでずっと……そうやって、父親の代わりにでもなったつもりなの?」
レイルは沈黙した。重々しい静寂のなか、黒い装甲が蒼く淡く蛍光していた。
「……どう接したらいいかわからないんだ。すまない。余計なお世話は控えよう。善処はする。責任? 偽善? ……ただ、俺は自分の人間性のためにキミに余計なお世話をしたのは確かだ。気を付ける」
表情のない顔が俯く。ソラは苦虫を噛み潰すように歯を軋ませた。
「いちいちしょげないで。……もっとあんたが感情も慈悲もない機械だったらよかったのに。だってそしたらこんな! …………ごめん。なんでもない」
『悪りぃなお嬢ちゃん。レイルの野郎はよー。いつもこんななんだ。辛気臭ぇばかりでよ』
【肉の剣】の柄に黒い拳が強めに振り下ろされた。ギャーギャーと剣が叫ぶ。レイルは無視してジッとソラを見詰めた。言葉を考えたうえで。
「……おやすみ」
一言だけ小さく呟いて、部屋の電灯を消してしまった。下へ降りていく。
「ああもう。全部いらいらする……」
水に濡れた白銀の髪を搔き乱す。レイルが準備してくれたハンモックに腰を下ろして、今一度リーミニを一瞥したが。
「……ほんとう、寝るの早い」
諦めてハンモックで横になる。電灯も消えて真っ暗な天井をぼんやりと眺めてもまるで寝付けない。下の階の明かりだけは消えないままで、ぼんやりと光が部屋に入っていくる。一度気にしてしまうと余計に寝れそうになかった。
「リーダーとあいつの部屋……のはずだけど。なんでずっと消さないの……」
愚痴が零れる。音を立てないように忍び足で、梯子を軋ませながらゆっくりとソラも下の階へ降りる。リーダーも既に眠っていた。
起きているのはレイルとソラだけだった。レイルは憂い気にリーダーの頭を撫でていた。黒い装甲が電灯を反射して鈍く煌めく。
「俺は寝れない体だ。眠っているところを殺す……なんてことはできないが。何の用だ」
「電気。ついたままだから気になっただけ」
「悪いが消さないでやってくれ。暗くなるとリーダーが起きてしまう」
ソラはリーダーを一瞥した。くすんだ茶髪。古傷だらけの体。
「彼はスラム出身でスラムで育っていた。夜になるといつも襲われたらしい。ただ、怪我をしていると襲われなかったらしくてな。部屋を暗くすると自分で自分を傷つけてしまう」
返答に困ってソラは閉口した。チカチカと点滅する明かり。生々しく肌に刻まれた傷跡が頭から離れそうにない。嫌な想像をしてしまって鳥肌が立った。スラムを歩いたときの視線を思い出してしまって体が縮こまる。
「ねぇ。……明日ってどうすればいい? 私がしなきゃいけないこととか。手伝いとかって」
「何もない。生活費は間に合っている。慣れも必要だろう。キミはしばらくただゆっくりしてくれれば――――」
ソラは咄嗟にレイルへ詰め寄った。鋭い眼差しで彼を見上げる。
「あんたについて行っちゃ駄目?」
空気が軋む。重い緊張が圧し掛かった。
「何故だ。俺のことは憎いだろう。嫌いだろう。それに仕事についてこられるのは困る。キミが死ぬぞ」
「でも待つだけなんて無理。あんたを殺そう殺そうって思っておきながら何もできずにいたら――いつか私はどうしたらいいかわからなくなる。もしあんたが仕事で死んだら? 私は永遠に仇を待ち続けないといけないの? 胸に刺さった棘みたいのを抱えてずっと待たないとダメなの?」
「キミも随分な言い方をするな。俺のことを指摘できたものじゃない」
呆れるようにレイルは俯く。ソラは蒼く鋭利な睥睨を向けたまま、レイルが諦めるのを待ち続けた。
「……装備は探してみよう。だがダメだったら諦めてほしい。俺が原因で、偉そうなことは言えたものじゃないがキミの命は――」
「パパが助けてくれた。わかってる。だから言ってるの。無駄死にはきっと怒られるけど、無駄に生きても、……何もできずに流されるままに全部を委ねるのも間違ってる」
無茶苦茶を言っている自覚はあったが言ってしまうと胸のなかにうずまく靄が少し晴れてくれた。ソラは自嘲するように鼻で笑うと踵を返す。
「あっ、もし一緒に行くことになって、私が大変なことになったら助けてね。それだけは余計なお世話とか言わないから」
あっけからんとした様子で言うとレイルは呆然としてしまった。沈黙をおいて、小さく首を傾げる。
「俺を……殺そうとしてる奴を助けろと?」
「それは今更でしょ。自分のやったこと思い出したら? ……私は、人間性だとか卑怯だとかそういうのは気にするつもりはないの。ただ自分が満足して、納得できれば。それさえできればあんたを殺すことだってやめるかもしれないし、やめないかもしれない」
蒼い瞳が妖しく煌めく。【肉の剣】が小さく口笛を吹いた。
「分かってないのかもしれないが俺の仕事はだな――」
「わかってる。……わかった上で言ってるの。開き直ったわけでもヤケになったわけでもないから。ただ――何て言えばいいんだろう。気持ちの整理? 機械じゃないからフォルダで管理とかできないの」
絹のような髪を揺らしながらソラは梯子を上って行った。電灯の下、レイルはしばし棒立ちして【肉の剣】に顔を向ける。
「俺はどうするべきだったと思う? 無理矢理にでもここにいろと言うべきか? 確実に足を引っ張るだろう。本当に死にかねない」
『ありゃーヤケじゃないって言ってるが本当のとこはどうなんだろうな。止めても勝手に出て行っちまいそうだぜ。そしたらあいつ……それこそ死ぬぜ。まだ視界に入れてたほうがマシだとオレは思うけどなーッ!』
ギャァギャアと喧しい声が聴覚に響く最中、不意に存在しない心臓が心臓が締め付けられた。頭が軋む錯覚。倒れそうになって壁に寄りかかる。頭痛が掻き回す頭のなかに命令が囁かれる。
(必要になると言ったはずだ。連れてこい)
「……ッわかった。そうしよう。装備を――探そう」
応えると頭痛が消えた。脱力感が機体を包む。寝ることはできないが、少し休もうと思い、レイルは床に座り込んだ。




