親睦
「下はオレとレイル兄貴の部屋で上がリーミニの部屋って感じだな。ソラは女だろ? だったら部屋はここかもな」
部屋は下の階と同様に足の踏み場がない。どこかから千切ったケーブルに装甲車から引っぺがした装甲板。二段に重なった無骨なパイプベッド。
下の部屋と違い古びた姿見やブラシなどがあった。白銀の金属でできた髪飾りが置物のように並べられている。どこで手に入れたのかは見当もつかない。
「……道具は好きに使っていい。ブラシも……わたしがリーミニって名前、書いちゃったけど。……問題ナシ。鏡は割らないでね……? 企業が売ってる、けど。運ぶの大変だから」
リーミニは眠そうに欠伸を掻きながら光の褪せた瞳でジイッと面倒臭そうにソラを見据える。
「……ぁあ。ブラシは使う前に……髪洗ってね。スラム行ったなら……絶対汚いから。わたし前、頭に肉片くっついてるの気づかなくて……凄く後悔したよ。ここの人もだけどさぁ、ゴミ、上から遠慮なく投げるの。鳥の骨とか……」
不安になって真っ白な髪を撫でたが何もついていなかった。次に臭いが気になって、……確かに少し鼻に来た。汗っぽかったし、スラム独特の異臭がする。
「どこで洗えばいいの? お風呂……なんて大層なものあるはずない、よね」
キョトンとした様子で三人は首を傾げる。そもそも風呂の存在も知らないようだった。ソラは一人でうんうんと頷いて、期待はしないほうがいいと自分に言い聞かせた。
「体洗いたいなら奥の扉行ったところだぜ。水はレバーを何度も引いてりゃそのうち出る。体の洗い方も分からねえなら教えてやろうか? オレがさーっ手取り足取りっ――うぐッおぉ……!」
ソラが手を出すよりも早くリーミニの拳がリーダーの腹部を打ち付けた。苦痛に悶え跪く彼を尻目に、虚ろな眼差しで見据える。
「リーダー……女の人、話すの慣れてなくて……ごめんね」
「リーミニぃ……! すぐ暴力に訴えちゃダメだろぅ。そんな悪い子に育てた覚えないぞ……!」
「あいつ……放っておいて、行こう? わたしも、汗ながしたい」
リーミニが優しく手を取って向かい合う。一瞬前まで首元にナイフを押し当ててきたとは思えないきょとんとした微笑み。
ソラはすぐに手を振り解こうとしたけど、二人の配慮に押し負けるみたいにため息をついた。強張っていた体から力が抜ける。
「……わかった。けど、何を言われたって私は私の意思を変えるつもりはないの。まぁでも……ありがと。少しだけ嬉しい」
お礼を口にすると頬が熱っぽくなってソラは顔を背けた。奥の扉とやらを開けて――絶句した。
「……外?」
期待してはいけないと言い聞かせていたが予想外にもほどがあった。バルコニーだ。結構階段を上ったせいかスラム街が一望できる。遠くでは毒々しいネオンと高層ビル群。いつのまにか日は暮れていた。
「ここ外じゃん! まさか本気でここで服を脱いで、体を洗う気?」
信じられなくて振り返る。リーミニはとっくに服を脱いで、手すりに掛けた鉄籠のなかに放り込んでいた。
「着衣で水浴びは……オススメしない」
あどけない体を隠す気も恥じる気もさらさらないリーミニ。
「わ、わかったけど……。見ないでね」
「……? そんな隠さなくても。綺麗なのに。白い髪、白い肌。青い目……痩せ干せてもない。健康」
「私はあなたのほうがきれいだと思うけど。浮世離れしてる感じが」
ソラは観念したように服を脱いでいく。柔らかな肌が外気に触れた。容赦なく吹き付ける風が白銀の髪を靡かせる。
「…………あなたの背中、刺青がある」
リーミニはそう指摘するとソラの背中を遠慮なく撫でた。
「ひゅん!? え、刺青……?」
「異界の技術。魔法とか、超能力とか。異界の神と契約するために体に刻む術印。……これ、どこのだろう。形状は――【十三の紫】のものに似てる。けど、あそこの刺青を受けたら瞳の色……紫になるし、術印が光ってないから。違う」
ソラは背中を見ようにも見れなかった。華奢な体に刻まれた灰色の逆十字模様。リーミニは真剣な眼差しで注視していたが、やがて安堵するようにため息をついた。
「けど……この刺青。魔力、ないよ。安心して、いいと思う……」
「ならいいけど――」
とは言ったものの気がかりだった。自分は誰かのクローンで、異界の人種かもしれなくて、挙句に魔法だのなんだのと。自分の知らないところで体を弄られたみたいでやるせない。
誤魔化すみたいに体を洗おうとして錆びついたレバーを何度も上げ下げすると壁から突き出たパイプから冷水が勢いよく流れ落ちた。頭からもろに被る。
「冷たッ……うぅ。お湯、あるわけないか……。あんた……じゃなくて、ええと……。リーミニさんはいつもこれで洗ってるの?」
聞くまでもないことだった。彼女は平然とした様子で冷水を頭から被っている。水の滴る翡翠の髪。角を入念に洗いながらリーミニは微笑する。
「……名前で、呼んでくれた?」
「わ、私は……! 私は名前で呼ばれたから名前で呼び返しただけ。何か意思が変わったわけでもないの。こういう……出会い方になっちゃったのは。残念だと思うけど」
「……すなおじゃないね。かわいい」
リーミニは背伸びをするとわしゃわしゃとソラの頭を撫でた。振り払う気にもなれずにされるがままだった。
「それで、……よければ。おしえて? ――理由。レイルを殺すって」
呆けたような表情は一転して、真摯な視線がソラを見上げる。ソラは言い淀んだが、隠し事をするのは性分ではなかった。
「パパが――――あの機械に殺された。目の前で。それだけ。こんな世界だからきっと珍しくもなんとかもしれないけど。死んじゃったら、殺されたら! ……それで全部なの。だから私は許せない」
――静寂。パイプから流れ落ちる水音だけが響いた。同情とも違う。いたたまれないような視線を向けられて、ソラは握り拳を震わせる。
「あいつにどんな理由があったって私は、はいそうですかって納得はできない。絶対にケリをつける。あいつもそれでいいって言った。本心は分からないけど、それでここまで来たの」
改めて言い切ると胸のなかの鬱屈が紛れてくれた。物臭そうに水に打ち付けられていたリーミニも小さな相槌をしてソラを見上げた。
「……そう、なんだ。大切な人だったんだね。…………わたしは逆だった。わたしを買って、いつも意地悪してきた人を。レイルが殺してくれた。レイルが全部、全部。壊してくれた」
ソラは顔を俯けた。怒りが、理不尽への憎しみが揺らぐ。けれどもすぐに血の気が引いた。
「……それに。許したら、私は私が誰なのか分からなくなる。世界も、歳も、出生も。全部嘘かもしれないけど……。私の、今ここにある怒りは本物なの。これを見て見ぬふりなんか――――今は出来ない」
頭が真っ白になって、自分自身にも聞き取れないほど小さな声で――許すな。そう言い聞かせた。
「でも、話。きけてよかった……。レイル、何も言ってくれない。たすけてくれたこと、誇ってほしくても。いつもいつも不機嫌になって『俺は殺しただけだ』って」
リーミニは幼い声でレイルを真似る。一ミリも似ていなかったが、確かに言いそうだなと思って笑いかけたのを堪えた。
「事実だからだ。俺は助けるだとかそんな大層なことは一度だって出来ていない」
ガチャリと扉が開いて無機質な声が響く。レイルだった。当然の権利のようにベランダに足を踏み入れて表情のない顔をソラに向ける。
ソラは顔を向き合わせて虚を突かれたように動けなくなった。段々と思考が回って、咄嗟に体を腕で覆う。
「ハンモックを買って来た。ベッドは在庫がないらしい」
「ぇ? ……な、なんで入ってきたの?」
縋るようにリーミニに視線を向けたが、彼女も硬直していた。目が泳いでいて、ぶつぶつと譫言みたいに何かを呟き始めている。
「すまない。何か問題があったのか?」
ソラは有無を言わさずに近くにあったデッキブラシを振り下ろす。ベキリと、黒い装甲を殴打すると同時に柄が折れた。ビリビリと衝撃で手がしびれる。わかっていたことだがレイルは無傷だった。
「大あり……! 早く、出て行って! リーミニさんのときも入っちゃダメ! わかった!?」
「ああ。……? 理解した。キミはそういえば――失念していた。だが水浴びもほどほどにしたほうがいい。風邪をひくと大変なことになる」
わかったんだかわかってないんだか分からない返事をしながらレイルが踵を返す。一息ついて、ソラはジッとリーミニを睨んだ。
「今まで何も言わなかったの?」
「…………前までは、平気だった。けど、今は……それを言うのも。言いづらくて……ソラ。感謝」
言ってやりたいことは沢山あったがもどかしくて、怒る気も失せてそそくさと体を拭いた。話せば話すほど棘のようなものが胸に食い込んでいく気分だった。
「……私も。助けられてれば。こうならなかったのかな」
自問自答。現実逃避みたいで嫌気が差してすぐにやめた。




