8-22 思い。
ヴァインが反逆罪の罪で近衛騎士達に拘束されていたその時、ジニー達の乗る荷馬車は当初の予定通りベイルファースト領北部大森林へ繋がるメーリング峡谷の傍に辿りついていた。
「もうすぐ、メーリング峡谷に着くっスよ。それを超えれば大森林っス」
御者台から荷台に向け、マークの声が響く。
毛布に包まり荷台の片隅で小さく蹲っていたジニーには、その声の内容がどこか遠くの事のように感じられていた。
ヴァインが荷台を降りた時は、酷く取り乱したジニーだったが、マークに叱咤され、今は荷馬車にヴァインが無事追いついてくる事だけを祈っている。
ヴァインが荷台から飛び降りてしばらく後、無理やりに御者台へ身を乗り出したジニーは荷馬車を停めさせ、マークの服を掴みかかり彼に声高に訴えかけていた――
『お願いマーク!今すぐ戻って。このままだとヴァインが!』
『……』
『聞いているの?早くして!そうしないとヴァインが危険なの』
『……戻らないっス』
『ねぇ、聞こえないの……て、何を言って』
『戻らないって言ったんスよ!ヴァージニアさん、俺はあんたを無事にベイルファーストに届けてくれってあの人に頭を下げて頼まれた。俺にしか頼めないって。絶対にあんたをベイルファースト迄送り届けなくっちゃならない!あの人があんたを助ける為に、どれだけ走り回ったかを俺は知っている。あの人が、あんたをどれだけ大事に思ってたかなんて、みんな知っている!』
普段は弱腰なマークが自分の肩を掴み、声を荒げる姿に、ジニーは言葉を失った。
『あの人は誰よりも自分であんたを守りたいって思ってたんだ。なのに、俺に頼むって頭を下げた。自分で守りきれない事に、誰かに頼まなければいけない事に、あの人がどれ程悔しく思ったのか、あんたにだってそれぐらい判るだろ!』
『……』
『俺に出来るのは、あの人の頼みに応える事だけだ。ヴァージニアさん、あんたをベイルファーストに連れて行く。何があっても絶対に!』
マークの言葉に、ジニーは涙を流し崩れ落ちる。それからはただ、荷馬車の片隅で膝を抱えて蹲る事しか出来ない自分を、ジニーは酷く悔しく感じていた。
ジニーの胸部を襲った鋭い痛みは今、鈍い痛みに代わっている。
その変わり身体は熱を帯びて酷く重く感じ、まるで自分が泥の中で埋もれているかのようジニーには感じられていた。
不調は続くが、耐えきれないものではない。
だが、今は新たな感じる別の痛みに、ジニーは顔を歪めていた。
マークがジニーに発した言葉は正しい。
ジニーもそれは理解出来た。
だからこそ彼の判断に従い、こうして荷台で静かに荷馬車がベイルファーストに到着するのを待っていた。だが、ヴァインを一人残してしまった事への焦燥と、大切なものが剝ぎ取られたような喪失感が、ジニーは胸を張り裂けんばかりに痛めつけていた。
『ずっと愛してる。これまでも、これからも』
微笑みを浮かべ自分に囁いたヴァインの声が、今も耳に残り続ける。
その優しい笑みを思いだす度に、胸が締め付けられるように痛くなるのを感じる。
二度とヴァインに会えないかもしれない。
そう思うだけで膝は震え、涙が溢れだし止まらなくなる。
いやだ、いやだ、いやだ。
そんなのは絶対に嫌だ。
ヴァインを失う事を、心の底から怯えている自分の存在にジニーは気が付く。
初めてこの世界で他者の記憶と共に『自己』を認識した時、ジニーはこの世界で一人、生きぬく事を心に誓った。だが、今は隣にヴァインがいない事を、心細く感じている。
『お前は、一人で悩まなくていいんだ。フィルツだって、俺だって、いつでもお前の味方だから』
初めはヴァインが自分に示す好意を、ただの友情の延長だと考えていた。
友情と恋愛感情を取り違えているだけで、いずれその事に気づけば、自分から離れていくだろう。ジニーはそう考えていた。
『あの日に惹かれ、共に居続けたいと願った一人の少女が本当は誰かだなんて俺には関係がない。俺にとって目の前の君が全てだから』
だから、学院の図書室で彼の言葉を聞いたとき、ずっと変わらない彼の思いに戸惑い、そしてそれに縋り利用しようとする自分に嫌悪した。
だが――
『ずっと愛してる。これまでも、これからも』
自らを犠牲にしてでもジニーを逃そうとする彼の姿を見た時、自分の中で、ヴァインの存在が思っていた以上に自分の中で大きく育っていた事をジニーは知った。
彼を失いたくない。
その思いが強まる程に、これまで彼と共にすごしてきた時間の記憶が、頭から溢れ出す。
初めてベイルファーストの森で出会ったヴァインは酷く生意気で、だけど魔術には真摯に向き合うそんな少年だった。
『――水よ魔槍となりて、穿ち衝け! 【水衝】!……出来た。出来たよヴァイン!』
『おう、上出来だ』
魔術における誘導の大切さをジニーに教え、魔術の成功を一緒になって喜んでくれた。あの出会いの記憶は今でもジニーの中で美しい宝石のように光輝いて見えていた。
『よかったんじゃね? 仲直りできたんだろ。それにその髪飾りだけどさ……似合ってるよ』
リズとの関係がこじれそうになった時でも、傍にいてひそかにずっと心配し続けてくれていた。彼の優しさの記憶は温かく、暗闇を灯す光のようにジニーを照らし続けている。
『ジニー。魔術を発動させよう。俺とお前の二人で』
アンナとフィーアの兄妹を救う為、発動させた合体魔術。
自分に対するヴァインの思いがオドの流れとして感じられた。彼にもまたジニーの思いが感じ取れていた事だろう。それでもずっとヴァインの気持ちは変わる事なく、自分へと向け続けられてきた。
いつでもどんな時も、自分の傍で支え、助け続けてくれる少年。
ヴァインとなら大丈夫。きっと何とか出来る。
彼の力に頼り、支えられる事を当たり前とさえ感じていた自分がいる。
だから当たり前のようにそこにある事の大切さに、ずっと気づかずにいた。
そうして失われそうになり、初めてそれがもつ価値の大きさを思い知らされる。
今更、遅いかもしれない。ジニーは胸に募る後悔の念に苦しんだ。
彼を失いたくない。
彼の温もりを感じたい。
その声でまた、優しく呼びかけて欲しい。
……彼と触れ合いたい。
湧き上がる思いはジニーの中で激流となり溢れ出す。
「あぁ、そうか。私は――」
そうと悟った瞬間、ジニーは自分の中で何かがストンとはまるような感覚に襲わる。
――私はヴァインの事が好きなんだ――
彼への思いを実感する程に、ジニーは自分の中でその存在が大きくなるのを感じていた。
杜 霧守の記憶を持ち目覚めた自分が、男性のヴァインを好きだと感じている事を、以前の自分なら気持ち悪い切り捨て、その思いを偽り続けたかもしれない。だが、今のジニーは自らの気持ちに嘘をつく事は出来なかった。
「私はヴァインが好き」
声に出せば、その思いが強まるようにジニーは感じた。
彼が好きだ。大好きだ。愛している。
言葉が力になり、胸の奥から温かい何かが自分が溢れ満たされていくように思える。
急いでベイルファーストに行き、フィルツに会おう。
自身にかけられた呪いをフィルツなら解いてくれるだろう。
呪いさえ解ければ、今も重苦しく感じるこの脱力感から解放されるはず。
そうすれば、ヴァインをただ待ち続けたりなんてしてやらない!
一人で生きる為に鍛えてきた剣の腕や魔術の力を駆使し、絶対にヴァインを探し出してみせる!
ジニーは逸る気持ちを抑えて、両手を抱き蹲る。
「待っていてねヴァイン。きっと迎えに行くから」
小さく呟き、ジニーは涙の跡が未だ残るその顔を毛布に埋める。
ヴァインがくれた温もりを思い出しながら。