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第十一話 覇王の遺産と新世代


# 第二部 第一話:覇王の遺産と新世代


 天下の奇才、黒田如水がこの世を去ってから、一年が経とうとしていた。


 日ノ本の情勢は、如水が最期に大坂城で描いた「諸侯割拠の合議制」という未知なる仕組みのなかで、奇跡的な安定を保っていた。豊臣秀頼を盟主とし、黒田・加藤・島津・毛利といった西国の大名たちが「大坂合議会」を形成して国家の重要事項を話し合いで決める——かつての戦国乱世からは想像もつかない、新しき世の形であった。


---


 慶長十九年(一六一四年)春。筑前・福岡城。


 如水の跡を継ぎ、黒田家の若き当主となった黒田長政は、亡き父の居室であった庵に佇んでいた。


 庭の水鉢には、今年も変わらず青い空が映っている。しかし、そこを覗き込む父の鋭い眼光は、もうどこにもない。


「父上……貴殿の遺したこの合議の世、今のところは静かに流れております。なれど、水面の下では、未だ泥濁りの野心が渦巻いておりますぞ」


 長政がそう呟いた時、部屋の襖が静かに開いた。


 入ってきたのは、黒田家の智将・栗山四郎兵衛である。その表情は、かつての東西決戦の時さながらに険しかった。


「殿、駿府の素破より密書が届きました。……やはり、あの老狸、大人しく眠ってはおりませぬ」


 長政の目が細められた。


「家康か。第二の関ヶ原で我が黒田の地雷火に焼かれ、領地を江戸周辺に削られてなお、まだ天下を諦めておらぬか」


「はっ。家康は病床にありながらも、密かに東国の不満分子——南部や伊達、最上といった、西国連合の台頭を快く思わぬ大名たちに血判状を送っている模様。大坂の秀頼公が二十一の若輩であることを侮り、合議会を内側から引き裂く陰謀を巡らせているとのことにございます」


 長政は密書をひったくるように受け取り、一読すると、そのまま庭の火鉢へと投じた。赤い炎が、不穏な企てを静かに灰にしていく。


「父上が命を賭けて作った新しい日ノ本だ。一介の東国大名へと成り下がった徳川に、これ以上かき回されてたまるか。四郎兵衛、肥後の清正殿と薩摩の島津殿へ急使を。大坂城にて緊急の合議を行うと伝えよ」


---


 数日後、大坂城・千畳敷の大広間。


 黄金の障壁画を背に座る豊臣秀頼は、二十一歳を迎え、亡き太閤・秀吉の面影を宿しながらも、それ以上の気品と威厳を放つ青年に成長していた。その前に、黒田長政、加藤清正、そして島津義弘の名代として出席した息子の島津忠恒(家久)ら、西国大連合の主柱たちが居並ぶ。


「徳川が、再び動く兆しがある、か」


 秀頼は長政の報告を静かに聞き終えると、端正な顔をわずかに曇らせた。


「家康殿も往年の覇気を失うておらぬと見える。なれど、我らが築いたこの合議の仕組みは、一人の独裁者がすべてを従える旧き世を終わらせるためのもの。再び戦を興せば、民が泣く」


「秀頼公、そのお優しさは美徳なれど、家康という男は情で動く相手ではございませぬ」


 声を上げたのは、豊臣家への絶対の忠義を誓う加藤清正であった。その髭には白いものが混じり始めていたが、眼光の鋭さは健在である。


「奴がその牙を研ぎ澄ましているのなら、こちらからその根元を叩き割るのみ。清正、いつでも肥後の精鋭を率いて東国へ攻め上る覚悟にございます!」


「お待ちくだされ、加藤殿」


 長政がそれを制した。


「力でねじ伏せるだけならば、かつての家康と変わりませぬ。父・如水が最期に遺した言葉がございます。『武力は国を滅ぼす牙なれど、富は国を支える大樹なり』と。我らが成すべきは、徳川を武力で滅ぼすことではなく、徳川が逆立ちしても追いつけぬほどの富の差を見せつけ、戦う意欲そのものを奪うことにございます」


 長政は立ち上がり、広間の床に巨大な地図を広げた。


 それは、従来の日ノ本の地図ではなかった。長崎、琉球、そして海の向こうにある明国や南蛮(東南アジア)までが詳細に描かれた、世界の大地図であった。諸将の目が、その見慣れぬ地図に釘付けになる。


「父上は、第一の戦いにおいて南蛮の富と兵器を使い、家康を破りました。なれど、あれはほんの小出しに過ぎませぬ。九州王国が長崎や薩摩で蓄えた真の力——それは、海の向こうの国々と対等に商いを行い、日ノ本を一国の枠から解き放つ『大航海』の力にございます」


 長政の言葉に、秀頼の目が輝いた。


「大航海、とな……?」


「はっ。家康が東国の大名たちと狭い領地を巡って陰謀を企てている間に、我らは海の向こうの莫大なる金銀、硝石、そして鉄鉱石を我が物といたします。黒田・加藤・島津・毛利の水軍が一つとなり、世界と商う巨大な船団——『大朱印船艦隊』を組織するのです。江戸の徳川がこれに逆らおうとすれば、海路を完全に封鎖し、一粒の塩、一筋の絹すら東国へ渡さぬようにいたします。戦わずして勝つ。これぞ、如水の遺産にございます」


 広間に、驚嘆と興奮のどよめきが広がった。


 島津忠恒が不敵に笑う。「我が薩摩の船団の出番というわけですな。面白うございます」


 清正もまた、腕を組みながら満足げに頷いた。


 秀頼はゆっくりと立ち上がり、世界の地図を見つめた。


「黒田如水殿が水鉢に見た世界は、これほどまでに広かったのか。……よし、認めよう。日ノ本の若き力を、狭い島国に閉じ込めておく時代は終わった」


 秀頼の声が、大坂城の天井を震わせる。


「これより、日ノ本は大海原へと打って出る! 徳川の陰謀など、海の藻屑と消してくれようぞ!」


 諸将の鬨の声が響き渡った。


 駿府で死を待つ家康の陰謀を嘲笑うかのように、西国の大名たちはすでに日本という枠を飛び越え、世界の荒波へとその舵を切り始めていた。黒田長政の双眸には、亡き父が見据えていた「新世界」の黎明が、はっきりと映し出されていた。


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