第22話 白と藍の施術室にて
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朝の光が白絹のカーテンを透けて、鏡面に薄い金色を落とす。
わたくしは身を寄せ、そっと頬に掌を添えた。
(最近、やることが多くて……疲れが抜けませんわ)
唇の端をきゅっと上げてみる。鏡の中のわたくしも微笑むけれど、目許のかすかな影だけは頑なに留まったまま。
(……もう少し、艶が欲しいですわ)
ため息になりかけた息を飲み込んだちょうどその時、扉の外から控えめなノック。
「セレフィーナ様、よろしゅうございますか」
「ええ、どうぞ」
マリーニャが素早く一礼し、いつもの落ち着いた声で切り出す。
「耳寄りなお話がございます。王都で評判のエステサロン『白猫商会』、ご存じでしょうか? 王妃様もこっそり通われているとか。――南部にも支店ができまして、もちろん、ブライダルの特別仕立てもございます」
「まあ! それは素晴らしいですわ。けれど、人気で予約が取れませんのでは?」
「ご安心くださいませ。そうおっしゃると思い、すでに本日午後のご予約をお取りしてございます」
「まあ、用意周到ですこと」
「花嫁様のお肌は一日にして成らず、でございますが……当日までに間に合うことも多うございます。南部に到着なさってからはお忙しい日々が続きました。ここらで一息、いかがかと存じまして」
ふっと胸が軽くなる。わたくしは鏡越しにマリーニャへ微笑み、藍の小さなリボンを胸元で結び直した。絹がきゅっと鳴る音が、さながら合図のように心を上向かせる。
「――行きますわ。今日は“わたくしのための午後”にいたしましょう!」
*
白と藍でまとめた小ぢんまりとした店先。看板には金の箔押しで『白猫商会』の文字。
鈴の代わりに据えられた小さな猫のブロンズ像を撫でると、ころん、と低く愛らしい音が鳴る。
扉が開き、迎えに現れたのは――水面の光をはらんだ青い髪の女性。
髪はふわりと波打ち、動くたびに薄日を受けてきらめく。首元には、鰓のようにも見える薄い痣が、一輪の花のように咲いている。
(あら、人魚の方なのね)
痣に目を留めながら、そう思う。
伝承によれば、人魚は「海の母」と称され、海と生命の守護者として知られている。名は人魚でも、魚に似るのは首の痣くらい。二本の脚でしなやかに歩むのだ。
「ふふっ、陸では人魚は珍しいでしょう? お待ちしておりました。白猫商会・南部店のルーナと申します」
彼女の髪には、猫の耳の形を模した小さな簪がひとつ。控えめな遊び心がのぞいた。
*
わたくしは、ふわりとした感触に誘われるまま、ベッドと呼ぶにはどこか異質なそれの端にそっと腰を下ろした。
いや、ベッドと言うのは少々違うかもしれない。ここは、白猫商会の空間で、施術室と名付けられたこの部屋は一種独特の雰囲気に満ちている。
視界を包み込むのは、まるで雲の中の柔らかな光のような間接照明。天井や壁から漏れるその灯りは、現実と夢の境界を曖昧にし、わたくしの心を穏やかに撫でていく。
空間を支配するのは淡く漂うアロマの香り。甘くもなく、辛くもない、その絶妙な香りが、わたくしの呼吸に溶け込み、どこか遠い記憶を呼び覚まそうとしているようだった。
耳に届くのは、まるで水面を撫でる風のような微かな音楽。これがいわゆる「癒し系」というやつだろうか。旋律はゆるやかに揺れながら、わたくしの心の奥底にまで染み渡っていく。
この光も音も香りも、どこか非現実的で、まるで夢の世界に迷い込んだような気分になる。そんな完璧な空間に、わたくしはひそかな期待と興奮を感じていた。
現実からふっと解き放たれて、心の奥底にある何かが呼び起こされるような、不思議な感覚。リラックスしていいのだ、と背中を押されているようなこの空間は、何か秘密めいた技を見せてくれるのではないか――そんな気持ちで胸が少し高鳴る。
わたくしはベッドの端に腰を下ろし、周囲をゆっくりと見渡した。ふぅ、と軽く息を吐くと、その音さえも空間に溶け込み、どこか心地よい。施術室は程よい広さで、中央にぽつんと置かれたベッドが主役のように空間を支配している。
その存在感に圧倒されるというより、むしろこれから何が始まるのかという期待感が膨らんでいく。背筋を伸ばして待つわたくしの中には、何か新しい体験が始まる予感があった。
ベッドの上で腰を落ち着けながら、わたくしは次なる展開を待つ。期待が胸に膨らんでいく。何かが変わるかもしれないという期待が、わたくしをここまで動かしてきた。
「お待たせしました。」
音もなく扉が開き、先ほどのルーナが入ってくる。
藍の瞳がやわらかく笑い、手には湯気の立つ茶器のお盆。無駄のない所作で卓上に置くと、香りがふわりと広がった。
「どうぞ、リラックスなさってください」
その声は、わたくしが抱える軽い緊張と、それ以上に膨らみつつあった期待に、優しく触れるかのようだった。その言葉だけで、わたくしの中にわずかに残っていた硬さが解けていくのを感じる。リラックス、と促されるその響き自体が、まるで魔法のように心をほぐしていくのだ。
彼女の細くしなやかな指が、湯気を立てるお茶をさりげなく指し示す。柔らかな湯気が空気に混じり、ほのかな香りが漂ってくる。
「これはリラックス効果のあるハーブティーです。心と体を穏やかに落ち着かせる作用があります。緊張を解くにはぴったりですよ」
わたくしはお茶に視線を落とし、彼女の言葉に従うように一口飲んでみた。ほのかに香る甘さが喉を通り過ぎ、体内に温もりが広がっていくのを感じる。それは確かに、落ち着きを与えるような味だった。
そして彼女は、マリーニャが少し前に書いた問診票を手に取り、そっと視線を落とした。事前にマリーニャが記入したわたくしの情報がそこには並んでいる。彼女の藍色の瞳が文字をなぞるように動き、その端正な顔が次第に柔らかく和らいでいくのがわかった。
「――ご結婚に向けて、お身体を整えていきたい、ということですね?」
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あとがき。
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次話は明日19:10頃に投稿致します。ぜひご覧下さい。
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