ヤパーナー文化
アンシャルとアオイは並んで歩き出した。
「アオイ殿はどこに連れてってくれるんだ?」
「『アオイ』で結構です」
「それじゃあ、アオイ」
アンシャルはアオイの名を言った時恥ずかしさを覚えた。
それと同時にアオイに惹かれる自分がいるのも感じた。
アンシャルはアオイの後をついていく。
ただついていくのも気まずかったので、アンシャルは話しかけることにした。
木漏れ日が林道に差していた。
「アオイは恋愛の経験はあるのか?」
「私ですか? そうですね、あまり惹かれるような殿方がいないのが悩みですね」
「アオイならもてるだろう?」
「まあ、殿方から気持ちを向けられることはありますね」
アオイは客観的には美人だ。
それに性格もいい。
「いつも和服を着ているのか?」
「いえ、普段は洋服を着ています。お客様をもてなすときに和服を着るくらいですよ。まあ、おばあさまはいつも和服ですが……」
「そうか」
アンシャルは自分の心がアオイに惹かれていくのを自覚した。
こんな人が隣にいてくれたらいいのだが……。
アンシャルはセリオンを育てるのに20年の時間を捧げた。
それは自分の恋愛をあきらめるということでもあった。
アンシャルには恋愛の経験があるが、それが結ばれなかったのはセリオンやエスカローネを育ててきたからだ。
今はアンシャル自身も自分の恋愛に前向きだった。
セリオンとエスカローネが独立したため、アンシャルは自分の人生に伴侶が欲しいと思っていた。
そんな時だった、アオイと出会ったのは。
「アンシャルさんはテンペルの人ですよね?」
「ああ、そうだな。テンペルの副長を務めている」
「そんなに偉い方だったんですか? 失礼しました」
「私はテンペル設立の父の一人だ。私たち三人からテンペルという組織は始まった」
テンペル設立の父は二人いる。
一人はスルト、もう一人はアンシャル。
そして設立の母はディオドラだ。
「私はシベリウス教に興味があるんです」
「それなら、今度テンペルに来るといい。テンペルは万人に解放されているからな」
「ほんとですか? それは楽しみですね」
アオイが振り返ってアンシャルを見る。
その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「ホームステイの制度もある。何なら、私が申請しておこうか?」
「ぜひ、お願いします。私は大学に通っているので……」
「大学? どこの大学だ?」
「ツヴェーデン女子ソフィア大学です」
「なるほど、アオイは頭もいいんだな。ツヴェーデンの女子ソフィア大学は最高峰の女子大学だ。どうして、シベリウス教に興味があるんだ?」
「聖なるものに興味があるんです」
「シベリウス教への改宗ならいつでも受け付けているぞ?」
シベリウス教への改宗は簡単である。
聖職者の前で『私は主なる神を信じます。私は聖なる道を歩みます』と信仰告白すればいいだけだ。
「それは私の一存では決められません。私の信仰はシベリウス教に向いています。ですが、私は……」
アオイは苦笑した。
アンシャルはそれが気になった。
「大学では何を専攻しているんだ?」
「シベリウス教です」
「どうしてシベリウス教徒にならないんだ?」
「私の友達はシベリウス教徒になりました。私の場合は家系のせいでしょうか」
アンシャルは違和感を感じた。
宗教とはその人の精神と心の問題ではないのか?
なぜ、他人がそれを阻むのだろう?
「気を悪くしないでください。ヤパーナーの文化では家系の影響は大きいんです。あ、着きましたよ」
「ここは……」
アンシャルは大きな道場に連れてこられた。
門下生たちが気合を入れて木刀で素振りをしていた。
「失礼します。見学よろしいでしょうか?」
「これはアオイお嬢様、ぜひ見学して行ってください」
壮年の男性がアオイに許可を出した。
おそらくここの道場の師範なのだろう。
「アンシャルさん、こちらは師範のキクノジョウさんです」
アオイがキクノジョウを紹介する。
「キクノジョウだ」
「アンシャル・シベルスクだ。よろしく」
二人は握手した。
アンシャルは手を放そうとした。
ところが、キクノジョウは力をこめてアンシャルの手をつかんだ。
「フフフフ……いい手をしているな。それにその身のこなし……君は剣士かね?」
「よくわかったな」
「私も剣の道を歩むものだ。手には剣の跡が出る。それに体の動きは剣士の鏡のようなものだ」
キクノジョウは楽しそうにうなずいた。
アオイが止めに入る。
「師範! お客人に失礼ですよ!」
「フフッ、いいではないか、これくらい。私たちは剛気流の剣客だ。アンシャル殿、あなたは強そうだ。そこで門下生と打ち合わないか?」
「いいのか? 恥をかくかもしれないぞ?」
アンシャルはその挑戦を受ける。
アンシャルはセリオンの剣の師だ。
アンシャルには勝つ自信があった。
「アンシャルさん、無理に受けなくともいいのですよ?」
「フフフ……むしろ望むところだ。剣はどれを使えばいい?」
「壁に木刀がかかっている。それを使ってくれ」
「いいだろう」
アンシャルは木刀を手に取った。
そしてそれを振るう。
「私の相手は誰がしてくれるんだ?」
「フッフッフ、ユキノスケ!」
「はい!」
相手は二十代そこそこの若者だった。
アンシャルは拍子抜けした。
アンシャルはかなり強い。
この手の若者ではアンシャルの相手にはならないだろうが……。
門下生たちはアンシャルとユキノスケを取り囲んだ。
アオイは心配なせいかハラハラしている。
「安心しろ、アオイ。私は必ず勝つ」
「アンシャルさん……」
「大言壮語だな。俺が簡単に負けると思っているのか?」
「君では私には勝てない」
「いいだろう。アオイお嬢様の前で恥をかくがいい!」
ユキノスケが木刀を構えた。
アンシャルも木刀を構える。
「それでは、いつでもどうぞ」
アンシャルが不敵に笑う。
「双方、礼!」
アンシャルとユキノスケが礼をする。
礼はヤパーナーの文化の一つだ。
礼に始まって礼に終わる、それをヤパーナーは理想としている。
「くっ!?」
ユキノスケは木刀を振り上げた。
それから彼はアンシャルに斬りかかろうとする。
しかし、ユキノスケは冷や汗を流していた。
「はっ! でやっ! せいっ! とおおおおお!」
ユキノスケは一太刀もアンシャルに浴びせかけられない。
ユキノスケはアンシャルを恐れていた。
ユキノスケにはどう斬りかかっても斬り返される未来が脳裏をかするのだろう。
声だけは盛大だったが、それだけではアンシャルにかなわない。
ユキノスケは本能からアンシャルにかなわないと思い知らされた。
だが、このままでは剣士としてのプライドにかかわる。
「きえええええ!!」
ユキノスケはアンシャルに木刀を振り下ろした。
一瞬、すべては刹那だった。
アンシャルはただ一振り。
ユキノスケの木刀が宙を舞った。
門下生たちは息をのんだ。
ほんの一瞬で勝負がついてしまった。
アンシャルは木刀をユキノスケに突き付ける。
「私の勝ちだ」
「くっ!?」
ユキノスケは苦渋に満ちた顔をした。
これは屈辱だった。
ユキノスケは門下生の中でも一番の使い手だった。
それがこれほど簡単に負けた。
その事実が門下生たちを驚かせる。
「勝負あり! 勝者アンシャル殿!」
「フッ、まあこんなところだな」
「アンシャルさん、すごいです! すてきでしたよ!」
アオイが子供のようにはしゃぐ。
こんなアオイの表情を見れただけでも、戦った価値はある。
「まあ、アオイが見ている前では恥ずかしい振る舞いは見せられないからな」
「さすがだ、アンシャル殿。私が全盛期ならぜひともお手合わせ願いたいのだが……」
アンシャルはぜんぜん本気を出していなかった。
ユキノスケが弱いというより、アンシャルが強すぎるのだ。
アンシャルとアオイは礼をして道場を後にした。




