二章一節 潜在危惧
左右の瞳の色が違う。
それだけでとても目立つから、いつの間にか注目の的にされないように逃げるようになっていた。逃げる、というよりは見られていることに耐えられなかったから、なのだが…。
逃げるように辿り着いた屋上には、同じような少女がいた。
容姿もあるが、彼女は確かに人気者ではあった。
そう、自分とは規模が違う。
世界中からその動向を注目されている少女だ。
「神は人を見て嘲笑うのです」
歌うように少女が何かを口にしていた。
屋上のドアが開いて、桃花がこちらを見ると嬉しそうに微笑んだ。学園の制服に身を包んだ少女は一見すると、かわいい部類に属する普通の女生徒にも見える。
「よう、今日は早いな」
「優くんこそ」
桃花はまたフェンスに向き直る。
優をここで迎えてくれる桃花。いつの間にか桃花がここにいるのは普通になっていて、挨拶を交わすようになっていた。
「毎日来ますよね、ヒマなんですか?」
「お前だって毎日いるだろ?」
「任務がある日以外は」
そう言われて優は確かに居ないときもあるな、と思った。
「なんでお前はここに来てるんだ?」
予想はできたが、何と無く尋ねてみると、桃花はうーんと人差し指を顎の下に当てて悩む。
「何も無いから、ここに来るんですね」
相変わらず答えているのか答えていないのかわからないような返事に優は安心した。いつもの桃花だ。約束したわけでもなく、互いがここにやって来る。それは変わらない日常の始まりを知らせてくれる。一瞬だけ垣間見た非日常は、つい三日前に起こった。だからこそ、この下らない毎日が優にとっては掛替えのないものだと知ることができた。
ふと桃花の横顔を盗み見ると、中学生に見えなくも無い可愛らしい横顔は何かを必至に見下ろしている。初めて会ったときは、同い年だと自己紹介を受けて優は驚いたものだった。
「優くん」
どこか遠くの世界に行っている様な瞳のまま呼ばれて、優は驚いた。
「何?」
桃花は身体の向きを変えて、フェンスに寄りかかるようにして体重を預けると、右足で床を蹴っ飛ばした。
「優くんは、もしこの世界がニセモノだったらどうしますか?」
相変わらず突拍子も無い質問に優はふと考える。
「うーん」
優もフェンスに背中を預けると、二人分の体重でフェンスがぎりしと鳴った。
「ニセモノってことは本物がどこかにあるんだろ?でもさ、俺はニセモノしか知らないから、やっぱりニセモノがホンモノになるんじゃないのか?」
比べられないんだ。比べるものを知らないんだ。
優はそう思うと、桃花が哀しそうに微笑む。
「そうです…よね」
何処か残念そうに言われて、優はふと悩んだ。
「もし…そのニセモノとホンモノを同時に知る機会があったら、ホンモノとニセモノ、どっちがいいんだろう」
取りとめも無く、答えもない話だ。
意味の無い会話。
そこに飛び込んでくる人影。
「優、てぇへんだ!」
悟が両手を膝について息を荒げながらも叫ぶ。
「どうしたハチ!」
「ハチって誰!?」
悟が叫ぶと優は「なんとなく、そんなキャラっぽいから」と呟くと桃花が苦笑する。
「敵ですか?」
「へい、隣の組の奴が!…っていや待って…日常で敵とか単語は出てこないで?」
悟が桃花に言うと、桃花が「残念です」と呟く。
「いやいや、敵がいないのが残念て、桃花さん、危険思想です」
優が突っ込むと悟が「もうやだ、この人たち」と涙を流す。
「で、この人は誰でしたっけ?」
桃花が悟を指差す。
「誰だっけ?」
優も悪乗りすると悟が優の襟首を掴む。
「お前よ…親戚で幼馴染で使える男ナンバーワンの俺を忘れたと?」
「はい」
桃花が頷くと、悟が手を離してよろける。
「ひどいよ、桃花ちゃん…」
「で、ハチさん、どうしたんです?」
桃花がさらりと受け流して尋ねる。
「ハチで固定ですか…じゃなくて…桃花ちゃんが乱入で転入生が探してる」
「典型的な間違え方は点数低いぜ。低い上に引くぞ」
優が呟くと悟は「ですよねー」と棒読みで答える。
「まぁ…教室にやって来るなり暴れてる女の子がいて、どうも桃花ちゃんを探してるらしいんだ」
「典型的な何か意図的に送り込まれてくる転入生、だな?お約束だぜ」
優が桃花を横目で見ると桃花も苦笑する。
「それがよー、聞いてくれよー」
「きしょいぞ、喋り方」
悟が鼻の下を伸ばして言うのに優が顔を引き攣らせる。
「すごい美人さんだぜ」
「ほう?」
優が身を乗り出して興味を示す。
「こう…おっぱいもいい感じだ。でかすぎず小さすぎない。腰の辺りも程よく…」
悟が胸部の前で丸くボールを抱えるような仕草をして、次は腰をパンと手で弾く。
「ほうほう、それはエレクトだな」
「だっしょー?」
悟がにやりと笑うと、優の頬がむぎゅっと桃花によって抓られる。
「大きいのがそんなにっ!」
なぜか涙目になってる桃花に優はぎょっとする。
確かに桃花は控えめなほうだ。
「まー、桃花ちゃんの知り合いに美人な転入生って知り合いいる?」
悟に尋ねられて桃花が優の頬を両手で引っ張りながら首を傾げる。
「んー、美人さんでしたら一人知り合いがいますね」
「ほう」
悟が目を輝かせると、桃花はぱっと優から手を離す。
「優くんにとって、今日は忙しい日になるかもしれません」
「は?」
優は両手で赤くなった頬を手で摩りながら首を傾げる。
「っとそれどころじゃないんだよ!行使術式で暴れてるから止めてくれないか?」
「まじかー」
優がそんなじゃじゃ馬は願い下げだぜ、と呟くと悟が屋上から出ようとした瞬間…。
「うぎゃあああああっ!?」
屋上を見事に後ろ周りしながら転がってフェンスに激突する悟。
「何だ?」
優が身構え、桃花が「ふぅ」と短く息を吐く。
勝気な瞳が銀色に輝き、すらっとした足を惜しげもなく晒しているスタイルのいい少女が仁王立ちになっている。
「も…桃花ぁっ!」
「うぉ…見えた!転入生の白!」
跳躍して桃花に飛び膝蹴りを入れようとした転入生の足が直前で軌道を修正して悟の顔面に直撃する。
「ぁー」
悟はそれでも立ち上がると、優の後ろに隠れる。
「隠れるなや」
「いてぇし、しょうがない」
何がどうしょうがないのかわからないが、取り合えず桃花に用があるらしいので優と悟はこっそりと隅に移動する。
「ある意味すげぇ光景だよな」
「ん?」
悟に言われて優は首を傾げる。
「可愛い系の桃花ちゃんと美人系の転入生。二人が並んでるんだ」
「あー」
確かに絵になる光景ではあった。
「黒沢優に関して話があるんだけど」
転入生が桃花を威圧するように言い放つと、優は他人の振りをしてそれを眺めている。
「おい」
「黙れ、俺は優など知らない」
白々しく言う優に悟は苦笑する。確かに教室で暴れたと聞いた少女が自分に関わっている、などと思いたくないのも理解できる。
「私にはないんだけれど?」
桃花が流し目で答えると、ぶちっと何かが切れた音が聞こえた。
だんっと床を蹴る転入生が空中で身体を捻るとバレリーナのように右足を桃花に向けて鋭く放った。桃花は真上に跳躍して三メートルほど飛んでそれを回避するとフェンスが歪んで遥か彼方に飛んでいく。
「蹴ったー…大きい…場外ほーむらーん…」
悟が人外の脚力に呆然とする。
「お前、さっき確実に蹴っ飛ばされてたのに、よく生きてたな」
「頑丈だけが取り得ですたい」
優もさすがに驚くと、悟が引き攣った笑みを浮かべている。
「お?」
桃花が両膝を畳んでそのまま自由落下して転入生の頭に乗るかと思いきや、転入生が寸での所で真後ろに跳躍すると、桃花が不自然なほど加速して床に膝を叩きつける。
ごぐんっ!っとくぐもった音がして床が凹む。桃花はすぐに立ち上がると転入生が右拳を突き出す。頭一個分、首を横に曲げると桃花の耳を掠めるようにしてそれが回避される。
速さで言えばボクサーの試合を見せられているようだった。
「桃ちゃんがピンクで転入生が白。紅白試合?」
「何が」
悟は言われて首を傾げると「あー」と納得する。
行使者同士の戦闘、と言えば初めて見せられるものではあったが、優たちはどことなく二人を目で追えていた。
「え?」
「マジで?」
優が悟の前に立って行使術式・反射を起動する。
桃花と転入生が一定の距離をとったかと思うと、桃花が左手を、転入生が右手を相対する者に向けていた。
行使術式方向が収束する。
『射撃!』
二人が同時に叫ぶと桃花から白い光が、転入生から淡い緑の閃光が放たれると中央でぶつかった。
「これは…まずいぜ」
優が校舎が振動して崩れるのを感知すると、壁を解除して二人の間に割ってはいると空に向かって両者の射撃を弾き返す。突風をモロに食らって悟がフェンスに激突する。
「誰?」
二人の射撃が同時に終息して、転入生が優を睨んだ。
全力の一撃を反射されて驚くのも無理はない。優は三日間もの間、寝る間も惜しんでさくらと桃花にみっちりと鍛えられているからそれくらいのことは可能でもあった。
「始めて会ったらまずは自己紹介…だったよね?桃ちゃん?」
優が始めて桃花に会ったときに言われた言葉を思い出して口にすると、桃花が苦笑する。
「おーい、いきてるぅ?」
フェンスに貼り付けになっている悟に声をかけると、悟が力なく貼り付けにされたまま右手を上げると、だらりと右腕が落ちた。
「死んだな」
優は両手を合わせて拝む。
「桃花、紹介してくれよ」
優が言うと桃花が頷いた。
「あの子は贖罪の風の異名を持つ三森儚ちゃん。同い年のB級行使者だよ」
「ほう」
優が頷くと、悟が回復して優の後ろでふむふむと頷いている。
何だか良く分からない単語も含まれていたような気がするが、桃花の天使旋律と同じようなものか、と理解する。
「あんたは何者なの?桃花と私の射撃を同時に受け流すなんて、そこらへんの行使者に出来るとは思えないんだけど?」
「俺は黒沢優、こいつはハチ」
優が親指で悟を指すと悟が残念そうな顔をする。
「俺はハチじゃな…」
「名前を聞きたいわけじゃないわ!貴方は何者なのかと聞いているの!」
悟の言葉を遮って儚が叫ぶと、優は困ったような顔をして桃花に助けを求める。
「俺から言わせてもらえば、お前がっと失礼。儚さんは何なの?行き成り喧嘩おっぱじめるなんて狂気の沙汰だ」
その行動は聞いた話では教室で暴れて、目の前では悟を吹き飛ばして、桃花に殴りかかる。それはまともな人間のする行為ではない。
「アンタには関係ないだろ!」
なぜか指を指されて優は同じように桃花に助けを求めると、桃花はそっぽを向いている。
我関せず…これ極意なり…。
優は何と無く桃花がそんな感じに考えているような気がした。
「そ…そうか…わかったぞ!」
優が目を見開いて、なぞはすべてとけた!と言わんばかりに儚を見る。
「恋敵だったんだな!」
「なんでそーなる」
ぱかん、と悟が優の頭を叩く。
「な、何でそうなるわけ!?頭回転してる?動いてる?ねぇ?はいってますかー?」
こんこんと優は儚に頭を小突かれて「冗談なのに」と呟く。
顔を真っ赤にしている儚はなかなか弄り甲斐がありそうだなぁと優は苦笑する。
「頭は回転しないけど、首ならこの程度に動くぞ」
優は首をくりん、くりんと回して見せると儚がこれ以上は顔も赤くならないだろうというほど真っ赤になった。
「そういうこと言ってるんじゃねーわよっ!」
悟と優は可笑しくなって大笑いすると儚が肩を震わせる。
あんまり挑発するとお星様にされても知りませんよ…。
桃花はそう思うと、ぽんと儚の肩に手を置く。
「儚、久しぶりね」
「え?」
桃花の笑顔に毒気を抜かれて、儚がきょとんとする。
「この街はいいところだよ。住みやすいし」
「そう…?私はまだ来たばかりだからよくわからなくて…生活用品とかがさ…」
「あぁ、じゃあ今度案内するね」
桃花が微笑むと儚が頷く。
「あ、うん。よろしくね」
その和んだやり取りを見て悟が唖然とする。
「桃花ちゃんマジックが発動した」
「ああ、あの交渉術はネゴシエーターにもってこいだな」
優も納得する。どんなに相手が勇んでやって来てもいつの間にか桃花の術中に嵌ると言う、生徒会長の結衣ですら恐れる交渉術だ。
「じゃあ放課後にでも」
「あ、はい。じゃあ放課後に…」
ハタ、と入り口で足を止めて儚が振り返る。
「そうじゃないのよっ!」
面白い人だなぁ、と優と悟が儚を眺める。
「桃花!アンタ何をしてるの?」
仕切りなおしか、と優がうんざりする。あのまま立ち去ってくれれば平穏な朝に戻れるような気がしたが、それはないようだ。
「桃花ちゃんに言いくるめられたの無かった事にしてる」
悟が呟くと、儚が何かを振りかぶって投球すると悟の顎にそれが直撃して背中から倒れる。
「ハチは黙ってなさい!」
「っとらーいく…いや、デッドボールか」
優がしゃがんで悟の頬をぺちぺちと叩くが完全に気を失ってしまっている。
何やら桃花に向かって一方的に騒いでいる儚を横目に、悟が目を開くとふらりと立ち上がってフェンスを右手で掴んで遠い目をする。
「空はこんなに青い」
「おーい、人は空をとべねぇぞ?」
「とびませんから!?」
優の物言いに悟が抗議すると優はそれを受け流す。
「とりあえず桃ちゃん、これはどういう状況だか説明してくれないか?」
優が尋ねると桃花が妖艶に微笑んだ。今までの常に浮かべている微笑とは少し違う…笑み。
「私は優くんを殺しに来たの…。優くん、あなたは人類の敵だからね」
桃花が優の背後に瞬間的に回り込むと、優の襟を後ろから引っ掴んだ。そして優の身体が上に引っ張られると、簡単に両足が設置感を失った。少女の細腕が男一人を簡単に持ち上げる映像。行使者ならば出来る、と悟は知っていながらも、やはりその異常な光景に反射神経を奪われた。
落下防止用のフェンスは三メートルはある。それを優が放物線を描くようにして外に放り出され、桃花が跳躍すると、一度フェンスの頂点に足をかけて、後を追うようにして飛び出していく。
法具…持ってきてない…。
悟は飛び降りるにしても、今は生身の人間で…。落ちたら死ぬ。
「!」
儚が自ら蹴り飛ばしたフェンスのない部分から飛び出そうとしているのを視界の隅に捕らえて、それに抱きついた。
「え?」
「うぉ!」
既に飛び出している儚に抱き着いたものだから、全力で抱きついてしまう。
「うおおおおお!落ちる!死ぬ!」
「だったら飛びつくな!」
四階建ての校舎の屋上。儚は悟を振り落とす訳にも行かず、とりあえず滞空するとその手の位置を見て顔を真っ赤にする。
悟は掴みやすい部分を両手で思い切り掴んでいる。
「やわい…やわけぇ」
悟もようやく事態を理解して慌てるが手を離せない。
「Cの八十…七?」
「うっ!」
思わず口にすると、ごんっと後頭部が悟の顔面にぶつけられる。
「と…とりあえず掴まってなさい」
「はい。ご迷惑をおかけします」
悟が呟くと、二人がグランドに降り立つ。
「事故だから…」
悟が言い訳をしようとすると、儚が泣きそうな顔をしている。
「ごめんよ?」
「いいわよ…」
儚はふぅっと自らを落ち着かせるように大きく息を吐いた。
「あまり軽率な行動をしないで?人間は落ちたら死ぬわよ?」
「うん。でも俺もお前も人間じゃないか」
言われて儚がきょとんとする。
「変わった人間だね?あなた、本当の名前はなんていうの?」
「俺は悟だ」
すっと手を差し出すと、儚がその手を握るとグランドに向き直る。
「同じ人間として見てくれるのは嬉しいんだけどね…あれは果たして人間なのかしら?」
視線の先にいる桃花と優が、なぜか対峙している。
人間の目で追うにはぎりぎりの接近、そして離れてはまた接近。
ハンマーを互いに握って全力でそれを相手に叩きつけているような轟音が響く。
「俺にとっちゃ、友達で人間だよ。どっちも」
「ハチの癖に言う事は立派ね」
言われて悟は苦笑する。
「触ったこと許してくれるの?」
悟が尋ねると、二人がロケットのように空へ上がっていく。
「事故、なんでしょ?ほら、置いて行かれるわよ」
儚が悟の右手をぎゅっと握る。
「最後まで…私たちを人間と定義してくれそうなのは貴方だけかな?」
「ああ、最後まで…俺は人間で在り続けて、お前たちを人間として見続ける」
儚は嬉しそうに頷く。
「でもさ、人間は脆くて弱いよ」
「それは…誰も一緒だ」
悟が手を握り返すと、儚は空ろな瞳で空を見上げる。
「神と悪魔は人を見て嘲笑うのよ」
ぐんっと腕を引っ張られて、悟は久しぶりに恐怖を覚えた。
自分で法具を使って飛翔するわけではない。手を離されてしまえば、重力に逆らう術はなくなって、地面に叩きつけられる。本来の人の姿がそれだった。
朝からこんな場所に呼び出されるとは、今日は日が悪い。
優はそう思うと死刑囚のような顔をしている桃花、悟、儚と一緒に秋雨に呼び出された職員室で立っていた。秋雨も朝から怒らなければならないのか、とデスクをトントンと苛々した様子で指で叩いている。
「何をしていた?」
じろり、と睨まれて悟が一歩後ろに下がる。他の教師たちも何事かとこちらの様子を伺っている。
秋雨の姐御…不良たちも一目置く存在の教師でサバサバとした性格がウリの近所でも有名な女教師。その睨みは魔王だろうと萎縮させると言われるほど凄みがあった。
「ここじゃ話しづらいこともあるか」
秋雨はこの四人が特別であることを知っているが故に、周囲の教師もとい教官でもある人物の目に触れる場所では言い難いこともあるだろうと察する。
「見逃してくださいよ」
悟が呟くと秋雨は出席簿でぽこん、と悟の頭を軽く叩いた。
「本来、封殺制御してない上での教練は認めていないんだ」
「あー、そうすっね」
出力だけなら特A級の優と特A級に認定されている桃花がほぼ全力でぶつかり合っていたんだから、上からも下からも苦情が出ていることは容易に察することが出来る。
「着いて来い」
秋雨が四人に促すと、一階の職員室から教務室に移動する。秋雨は現代国語の教員で、それぞれの教科準備室というところにも教員たちは机を用意されている。
「入れ」
ドアを開けられて中に入ると、一人、大きな熊のような恰幅のいい二十代後半の男性教師がいるだけで、他には誰もいない。
学園、現国の教務室。学園最強の教官が集うという…生徒たちが最も恐れる魔窟。秋雨を始め、熊のような大男、大隈啓吾がこちらを見るとにやりと笑った。
「教師の待遇ってかなりいいですよね」
優が何の気なしに呟くと、秋雨が椅子に座って「ん?」と首を傾げる。
「ここは行使者の特別教育施設も兼ねてるからね。それなりの行使者の人材を一箇所に集めるんだ。その教師…教官だってそれなりに待遇が自然と良くなる。ちなみに、お前たちだって待遇がいいとは思うぞ。学費は鳳凰院が全部出すし、全寮制できちんと管理されたプログラムの上で教育課程が決められているんだ」
「金がなくても、親がいなくても、規律と言う不自由の中の自由にて、俺たちは教育を施されるんだな」
優の物言いに秋雨は苦笑する。
「とりあえずだ…緋村桃花、黒沢優、三森儚。通告一の減点が二。優は今すぐ身体検査を受けてもらおう」
「身体検査?」
悟がなんで?と首を捻る。
「身体検査って言えども、普通のじゃないさ。行使者が受ける潜在能力の測定を兼ねた精密検査を身体検査って言うんだ」
「はぁ」
優はいまいち理解できないが、取り合えず頷いておく。
「でもどうして?」
悟がいちいち口を挟んでくるが、秋雨はそれを邪険にせずに教育の一環としてなのか、しっかりと答える。
「神と悪魔は人を見て嘲笑うんだ」
優はその言葉を聞いて、流行ってるのかな?と桃花を見る。
桃花は腹部を右手で摩って、「うー」と何か悩んでいるようで、人の話は上の空のようだ。
「次いで、桃花、儚に通達」
「はい」
「ん?」
儚と桃花が呼ばれて秋雨を見ると、秋雨がいつも以上に険しい表情をした。
「優が魔術災害…魔術溶解現象を発露させる前兆を見せたら、殺せ」
ばん、とデスクを叩いて命令を下す。
本人の前で言うのか、それ。
優は何と無く、殺されるだの捕縛されるだのという言葉は聞きなれてしまって耐性が出来た。
桃花が一瞬、優を見て諮詢したが口を開く。
「本日、今朝未明、私は黒沢優の暗殺任務に失敗しました。適正があるとは思えません」
「正式な命令は履行されていない状況で、なぜその行動をとった」
秋雨はやはり、そういうことかと納得する。
「三森儚の学園赴任が黒沢優の暗殺であることは推測に容易く、その行動は私の職務権限と重複していたため、私も強硬姿勢を決定しました」
「なるほど」
秋雨は頷く。
「儚は優の暗殺を今朝決行するつもりだったのかい?」
「私は黒沢優を保護観察対象として当初、見ていましたが、緋村桃花との戦闘を見て確信しました。彼は人類の敵に成り得る。それほど強い行使者です」
優はその会話を適当に受け流していたが、悟は歯を食いしばって拳が真っ白になるまで握り締めていた。
「わけわかんなくね?」
悟が小さく、怒りを押しつぶすように呟く。
秋雨、桃花、儚が悟を見る。
「説明しろっつーか訳わかんねぇのは説明されても変わんねぇんだけどよ?」
がんっと壁を殴る悟に、秋雨の向かいに立っていた男性教師がガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。それを秋雨が左手を上げて制する。
「優の持つ行使容量の問題だ。こいつは一人でも戦争を続けられるほどの…悪質なほどの能力を保有している。それが何かの陰謀に使用される前に消すのも妥当な判断だ」
「そいつはすげぇな。数の暴力か」
優一人を殺せば、他の大多数が危険に晒される事はない。そういう意味合いでの暗殺命令。
「それでも俺は優を殺すのは反対だ。他の沢山の人間のために死ねって言うのは間違ってる」
「まともな事を言ってるとは思うよ」
秋雨が見下したように言うと、悟は事もあろうか秋雨に掴みかかる。秋雨は座ったまま、悟を物凄い形相で睨み付けると、悟は見えない壁に当たったかのように弾き飛ばされて、背中から壁に激突して、そのまま壁にもたれかかって尻を床に着いた。桃花と儚は壁を展開して防御、優は平然と立ったまま…。これが力量の差でもあった。現実的で圧倒的な、人間とその他の境界線。
「行使者じゃないお前が一番理解しているはずだと思ったんだけどな」
「何…しやがる!」
悟は立ち上がるが掴みかかろうとはしなかった。同じ事をしても同じように吹き飛ばされるだけだと直感でわかった。それは無意味な行為。
「あんたもタフな奴だね。見ろ、桃花、儚ですら一歩後ろに下げる程度の力を行使した」
体重の差もあるだろうが、桃花と儚はそれでも軽く押し込められたが、優は何もしていないのにその場に、まるでそよ風を当てられたかのように平然としている。
「こいつはそういう存在だ。管理しきれない行使者なんだ。一定の教育を施して従順にさせるか、元からいなかったものとして抹消するか、人間は身勝手で傲慢だ。そして自分たちは手を下さず私たちにそれをやらせる」
「優だって人間じゃねぇかよ」
悟が喚く。
「わかんない奴だね…。私らは人間なんてそれこそ、一秒に満たない時間で何十人と殺せるんだ。そんな私たちをお前は人間と呼ぶのか?」
「ぐ…」
悟が口を開こうとして…言葉にならなかった。
「人間でいられるってことは幸せなのかもなぁ」
まるで人事のように優が呟く。
「あぁ…優。お前は昔から普通と違うことができたっけなぁ」
何と無く、ずい分と昔のことを思い出して悟が呟く。
「そうだな」
悟と優がにやり、と笑う。
言葉は要らない。
分かり合える部分があった。
暗殺命令だろうと何だろうと、昔から優と悟は二人で何かをこなしてきた。だからこそ、分かり合えた。
暗殺命令だろうと何だろうと、全て返り討ちにする。
優の声が聞こえた気がした。
「どうあれ、優の固有行使術式の危険度はかなり高いものであることが推測されている。桃花の天使旋律と同じかそれ以上だな」
ふと、秋雨は黙り込んでいる桃花の様子の異変に気付いて首を傾げる。
「桃花?あんたどうしたんだい?」
尋ねられても桃花は俯いたまま、顔を伏せて上げようとはしない。
「私にはわからないんです。この世界はホンモノなの?ニセモノなの?」
秋雨はため息を吐いた。思考の仕方がいまいちわからない桃花に付き合っていられるほど、自分はヒマでもない。
「そのよくわからん台詞で任務を放棄する事は許さん」
秋雨はデスクの一番上の引き出しを引っ張り、中から青い紙を二枚取り出す。
「黒沢優の暗殺…正式命令書類だ」
儚がそれを受け取って、一枚を桃花に渡す。
青紙…最重要任務の記された絶対力の強い命令書。
桃花は突き出された紙を呆然と焦点の合ってない瞳で見下ろして、受け取ろうとはしなかった。
「桃花、私たちはこれを受諾しないと殺されるよ」
「え?どうやって?」
桃花が満面の笑みで儚に尋ねる。
「誰が?どうやって私を殺せるの?ねぇ、どうやってかなぁ」
純真無垢な子供のように、桃花が首を傾げる。
「殺せるってことは…私も殺しちゃっていいのかなぁ」
「桃花、その先を言うな」
秋雨が桃花を制止すると、桃花は「残念」と呟いて儚から紙を受け取って無造作にスカートのポケットにそれを突っ込んだ。
「取り合えず、受け取っておきます」
執行するかどうかは別問題、と言わんばかりに桃花がくるりと背を向ける。
「ね、優くん。いこっか」
ぐい、と手を引っ張られて優が教務室から連れ出されていく。
「くそったれ」
悟が呟くと、秋雨は左肘をデスクに立てて手に顎を乗せる。
「何がそんなに気に入らないんだ?」
苛々している悟に尋ねると、悟は「別に」と答える。
気に入らないのは全部だった。そう、全てだった。
儚は任務だからと割り切っている節があるし、秋雨は立場上。桃花に至っては正式にその命令を拒否しているのに、どうしてそれが行われるのか。
それが納得できなかった。儚は今日出会ったばかりだが、暗殺決行なら今朝も行えたはずだ。それなのにそれをしないとなれば、やはり心の何処かでは、やり難いと感じているのではないだろうか?
「なぁ…みんな決まり事とか、そういうのに縛られてそれって正しいのか?」
「正しいとは思わないよ。また間違っているとも思わない。それは全部、そのときの状況に寄り蹴りさ」
秋雨が「だろ?」と儚に尋ねると儚も頷いた。
「人が人を裁くように、行使者も行使者を裁くの。それが法則。人は人の作った法律の上で自由を得て、私たちは人と行使者の作った法の上で自由を獲得するのよ」
儚に聞かされて悟はなるほど、と感心する。
「人より多くのことが出来て、人よりすごいのに、優は殺さるかもしれないんだな」
「それはだな…」
珍しく秋雨が言葉を選んだ。儚が「それはね」と間に入る。
「人間の中にもいるでしょ?人よりすごいことが出来るから、嫌われちゃう人」
「え?ああ」
確かに嫉妬されてしまう人も確かにいるだろう。それは確かに存在する。
「えとね…それと同じだと思うの」
「でもそれが全部じゃ…」
言いかけて悟は気付いた。
一部の行使者がその全く逆の思考を持ち始めたらどうなるのだろうか?
選民思考。
それを持って人間を見下してしまったら、大惨事になりかねない。
今回の場合は優だ。優ならば大丈夫だろうという保障はどこにもない。
優を知っている自分だからこそ、まだ心情的に信じられるが、全く知らない人間ならどうだ?彼は信じるに値する人間なのか?
「バカではなくて安心した」
秋雨はまるで悟の心の中を覗いたかのように嬉しそうに笑んだ。それを受けて悟は嫌そうな顔をする。
「まぁ、人間ってのも色々いるわな」
向かいの席の大男が口を開く。現代国語の教員というよりは体育の教員のほうが向いている気がしなくもないが、大熊と呼ばれている大隈啓吾が口を挟んでくる。
「とっつぁんも行使者なの?」
悟が啓吾に尋ねると、啓吾は首を横に振る。ぶんぶんという擬音が似合うような大きなアクションだ。
「俺は違うぜ。俺は人間の部類に入るな。まぁ、そこの京とは昔からワケアリなんだよ」
「ほほう」
悟がニヤリと笑うと秋雨がため息を吐く。京とは秋雨のことで、秋雨の本名は秋雨京だ。
「悟、お前は何をそんなに期待してるんだか…。期待、と言えば私はお前に期待してるぞ」
「へ?」
悟は正直に言われて唖然とする。そんなことを教師に言われるほど、成績がいい訳でも素行がいいわけでもない。
「まぁいい。出てお行き」
しっしっと追い払われて、悟はしぶしぶと教員室を出て行く。
儚と秋雨が向かい合う。
「お前には迷惑をかけるね」
「いえ。昔からそういうことには慣れてますから」
儚が苦笑すると、秋雨は「慣れるっていうのかね」と呟く。
ふと思う。
労いの言葉など不要だった。その程度で安らぐ精神ならば当の昔に朽ち果てていただろう。
「黒沢優…対象はとてもいい友達を持っていますね」
「ん?あぁ、悟のことか」
秋雨はそうさね、と頷く。
自分とは関係ない、ただの友達が殺されるかもしれない、と言うときに、悟は本気で怒った。そういうことができる友人を持つことは掛替えのないことなのだろう。
そして…少し羨ましい。
「緋村桃花の暗殺命令を受諾します。状況次第では両名を…」
秋雨は何も言わなかった。
桃花の言動の変化に少しばかり気になっていたが、先ほどの桃花の危険思想は度外視できない状況にまでなっている。それは許されてはいけない。
「あんたも嫌なら…」
止めていいんだよ?
口にはしない。そうすれば儚の存在理由が失われてしまう。
「いえ…私は世界の秩序を行使しますよ」
儚はそう言って教務室から出て行く。
「京」
不安げな表情を隠さずに啓吾が心配そうにこちらを見ている。
「何だい?」
心配性なのは昔から変わらない啓吾に尋ね返すと、啓吾は大雑把な身体の造りに反して繊細な顔をする。
「わかってるよ。あの子達は何だかんだ言っても子供なんだ。大人は守ってやらなきゃならん」
「止めてやれないのか?儚も桃花も」
止める…か。
それをするにはもう遅すぎる気がする。
桃花も儚も高く舞い上がってしまった鳥のようなものだ。
そこで羽ばたくのを止めろといえば、あとは落ちて死ぬだけだろう。
「私ももう少し気楽な部署で気楽に考えていられればよかったんだけどねぇ」
思わず愚痴が出ると啓吾が豪快に笑った。
「そういうわけにもいかんな。魔法省内務庁暗殺部隊統括長さんなんだかよ」
「無駄に長い看板を背負わされてるだけさね」
秋雨は電話を取ると、相手が出るのを待った。
「私だ…」




