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第88回(家=国家=小宇宙の神話以前・その40)

 振り返るや泣きそうな顔でそんなことを尋ね、ぷしゅっ。おんや? ドアをどうやってなんて何聞いてんの、そんなのノブを回すなり押すなり、と呆れて言おうとした矢先、そのドアが鋭く空気を逃がすような音を立てたのです。見守ればおろろ、なんかドアが民家のそれでは普通有り得ない方向へ、それというのも真っ直ぐ後ろへ、重量を感じさせながらも滑らかにスライドし始め。数十センチは下がったでしょうか、そこが可動域の限界かがこんと止まって、今度はわたしたちから見て左の方、やはり重たく滑らかに横滑りし、最後は外壁の後ろに隠れ見えなくなってしまったのでした。おおー、これ即ち宇宙仕様の普請のひとつですか、出入りには不便そうですが特に男の子にはどうという理由もなくwktkアピールするような。そして今は四角く切り取られたドアの向こう。勝手に動き出した建具に身を固くしていたリンちゃんが、意を決して覗いてみようとすると。

「こんにちはー」

「ひゃっ…!」

「あ、どうも。ISSを代表してご挨拶に参りましたー」

 ふわふわ、陰から突然ひとつの人影が漂い出て、驚いて尻餅をつきかけたリンちゃんを見てにこやかに挨拶したのでした。完全に顕わになったのは作業着のようなツナギ姿、手には菓子折と思しきものを携えて。

「あっ…こ、これはご丁寧に、ありがとうございます。本来ならこちらから伺わなければならないところを、ご足労いただいて申し訳ありません…」

 リンちゃんはなんとか持ち直して慌てて頭を下げます、そして更に顔を赤くして、

「何から何まで至らなくて…あの、どうぞ。どうぞお上がりください…」

 小さくした身を引いて、遊びに来てくれた宇宙飛行士さん、だよね? 宇宙飛行士さんに場所を空けたのでした。ねーねー風ちゃん。ほらあの人の服の袖のところ。日の丸付いてるよ、日の丸ー。

「んん? はっはっは。いやいやあれは。うん、ほら。多分ミッションロゴマークってやつだろう。全く見事な視認性の。シンプルデザインで。HA ッ HA」

「おっと!」

 なんだなんだ。浮遊したままリンちゃんに菓子折を手渡し、招かれるままそれじゃ失礼しまーすと楽しそうに我が家に半身を漂い入れた宇宙飛行士さんなのですが、突然浮力を失い辛うじて床に両手両脚をついたのです。まるで急にくずおれたような様子に、姐御さんや女神様や小動物、なにやらこの邂逅には積極的に関わり合いたくないらしい風ちゃんもさすがに飛行士さんに駆け寄った、けど飛行士さんは集まったみんなに照れ臭そうに手を振って、

「いやぁ、お騒がせしました。こちらには重力があったんですね。すっかり無重量に慣れてしまって、浮いたままお邪魔するつもりでいました」

 たはは、とか笑ってらっしゃいますがこっちと向こう、扉1枚隔ててまるっきり重力の在り方が違ってましたね、そりゃ普通は想像だにしない。ん? 姐御さんに支えられて何事も無かったように立ち上がり手と膝をはたいてる飛行士さんを見て、ちょいと疑問が湧きましたよ? 無重量に慣れきったとご自分でも仰ってたこの飛行士さん、重力のある環境に突然放り込まれて、なんでこんなにも普通に動けてるんでしょう。おいらたちが知り得た限りでは、体を再び地球仕様に戻すにはそれなりの時間が必要だったような? おいらたちが不思議そうに見守るのも知らず、飛行士さんは笑顔で風ちゃんらとも挨拶、まったく地球に帰還後落ち着いたところで関係者に報告して回ってるとか講演会に招かれたとか、すっかりそんな感じです。うむむぅ。この飛行士さん、一体。

「え、もうそんな時間? すみません、つい話し込んでしまいました」

 パワポが投影された大型スクリーン上にレーザーポインタで大きく円を描き、更にお話を続けようとした飛行士さんが振り向いて客席の最前列を見るや、恐縮して慌てだしたのです。最前列の真ん中には “終わり” と黒々大書された小型のホワイトボードを澄まし顔で膝の上に戻す姐御さんが居ます、じゃあ大急ぎでまとめを、と飛行士さんは残りのパワポをぽんぽんぽんと快速表示、それでも最後は今後の宇宙開発への期待を膨らませるのに最適な言葉を聴衆へそつなく送り、まだ家具も入ってない新居の台所、思い掛けず始まっていた講演を締めくくったのです。いんやー、ロマン溢るるいいお話だったわー。聴衆卦好家一同、みな惜しみない拍手です。

「本日はお忙しい中、第1回卦好家タウン…ホームミーティングにお運びいただき、誠にありがとうございました」

 替わって登壇した女神様がなにやら挨拶めいたことをやり始めたのですがそれを背中で聞きつつ、飛行士さんが舞台袖と見立てられたこちらにやって来ます。

「やぁ、皆さんとても良い反応で、私の方が話に夢中になってしまいました」

「とてもいいお話で感動しました…あの、どうぞ…」

 ハンカチで額の汗を拭っていた飛行士さんですからリンちゃんが差し出した冷たいお茶を嬉しそうに一口、ふうと満足そうに息をつきまして、

「えーと、それで。後は荷物の受け渡しですね」

 爽やかに一礼して飲み干したコップをリンちゃんへ返し、期待に満ちた目で周囲を見回し始めます。

「あ、これか。こちらがリストにあった実験用の生きものたちですね」

 飛行士さん弾んだ声で言うや台所の隅に駆け寄り、その辺りの床に積み重なって押し合ったりじっとしてたり、塊としてもぞもぞしていた幾種類かの小型メル変どもをひょいと一抱え、顔を寄せればまた嬉しそうに笑います。えー、実験用って。そのメル変どもISSに行けるの? いいなー。

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